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伊夫岐神社~伊吹山~上平寺登拝1

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 4月11日、久しぶりに伊吹山に登拝してきました。朝5時半前、米原市間田(はさまた)の岡神社に参拝。
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白雉元年(650)、出雲国の人たちが当地を開拓し、姉川から水を引いて用水路「出雲井」を三年かけて建設したとのこと。そして、 皇産霊大神(スメムスヒノオオカミ) を勧請して祀ったのが当社の始まりだそうです。「皇産霊大神」とは、「古事記」の冒頭、天地開闢の時に生成した天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)の次に現われた高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)と神産巣日神(カミムスヒノカミ)のこと。高御産巣日神は、天照大御神の皇孫が葦原の中つ国に降臨するのを指揮する、高天の原の最高指導者。神産巣日神は、殺された大国主神を生き返らせたり、息子の少名那毘古神に大国主神の国作りを補佐させる等、出雲を陰に日向に助けておられる神さま。両性分化以前のわが国の原初的神さまに参拝し、伊吹山へと北へ行道。
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桜と伊吹山を拝みつつ、出雲井沿いに足を進めてゆきました(冒頭写真)。
 6時に姉川の出雲井取水口着。
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すぐ隣に鎮座する、伊夫岐神社。
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平安時代前期・九世紀後半に三修上人が伊吹山四ヶ寺(観音寺・長尾寺・太平寺・弥高寺)を開かれる前から鎮座する古社で、伊吹山寺創建後は「伊福貴大菩薩」「伊吹大菩薩」と称して四ヶ寺の中心的存在であったようです(「伊吹山寺(伊吹町文化財第2集)」)。祭神は多多美比古命、素戔嗚尊(須佐之男命)、八岐の大蛇(やまたのおろち)など諸説あります。「近江国風土記」の逸文によれば、夷服岳の神・多々美比古命が姪の浅井比賣命(浅井岡(金糞岳)の神)と背比べをして負け、怒って浅井比賣を斬り、琵琶湖に落ちた首が竹生島とのこと。素戔嗚尊や八岐の大蛇との伝承は、白雉元年(650)より出雲の人たちが三年がかりで建設した用水路「出雲井」と関係がありそうです。天照大御神の弟・須佐之男命(素戔嗚尊)は高天の原で大暴れをし、天照大御神は天の石屋戸(あめのいはやと)に籠ってしまいますが、八百万の神々が天照大御神を石屋戸から引き出すことに成功すると、須佐之男命は天界から追放されたのでした。出雲の斐伊川上流に降った須佐之男命が、生け贄になる寸前だった櫛名田比賣を救って退治したのが、八俣の大蛇。八俣の大蛇の尾の中から出てきた草薙の大刀を、須佐之男命は姉の天照大御神の献上したのでした(「古事記」)。ところで、「源平盛衰記」巻第四十四には、素戔嗚尊からこの剣を受け取った天照大御神が

「吾天ノ岩戸ニ閉籠シ時、近江国膽吹嶺ニ落タリシ劒ナリ」

とおっしゃった、とあります。また、八岐大蛇は膽吹大明神の法体である、とも記されているのです。 
 須佐之男命の時代よりずっと後、景行天皇の子・日本武尊は東征に行く際、伊勢神宮の倭比賣命(日本武尊のおば)からこの草薙劒を賜り、無事に東征を終えて尾張の美夜受比賣(ミヤズヒメ)と一夜をすごしました。そして草薙劒を美夜受比賣の許に置いたまま、伊吹の神を退治しに出かけたのでした。「古事記」によれば「白猪」、「日本書紀」によれば「大蛇」の姿で現われた伊吹神を、日本武尊は遣いっパシリと勘違いして見過ごし、大氷雨に打ち惑わされ致命傷を受け、故郷・大和への途上、鈴鹿の能褒野で亡くなってしまいます。「本朝神社考」によれば、膽吹神とは草薙劒を取り戻そうとした八岐蛇の霊の、変身の姿とのこと。
 伊吹山の神が八俣の大蛇と同体であるとの、これらの伝承。八俣の大蛇を拝むこと、それは、化け物の手下になることではなく、八俣の大蛇の霊を鎮めること、己れの内なる八俣の大蛇を鎮め、宝剣に変ずることでありましょう。泰澄大師が白山天嶺の池に現われた九頭龍を鎮め、十一面観音さまの玉体を見出だしたように。
(続く)
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝