FC2ブログ

記事一覧

安来・比婆山~月山富田城放浪1

2019040610093385d.jpg うつし世に疲れはてなばいざゆかむ母なる神のいますみ国へ   順昭

4月4日朝7時前、米子城跡に登って東に大山(だいせん)を遥拝。まだ白い山上を覆う東雲。西には中海。
2019040610093314d.jpg
伯耆西端の米子から電車に乗って出雲に入り、お隣の安来駅で下車しました。「出雲国風土記」によれば、神須佐乃袁命(須佐之男命)が国のはてまで廻った際、当地に来て

「吾が御心は、安平(やす)けく成りぬ」

とおっしゃったとのこと。「安来」の地名の由来です。須佐之男命は、「古事記」によれば父・伊邪那岐命(イザナギノミコト)に逆らって母・伊邪那美命(イザナミノミコト)のおられる黄泉の国に行きたいと泣き続け、父に勘当されます。姉の天照大御神が治める高天の原に別れの挨拶に行った須佐之男命は、誓約(うけひ)をした後に大暴れをし、天界から追放されて出雲の斐伊川上流に降ったのでした。そして「高志の八俣の大蛇」の生け贄になる直前だった櫛名田比賣を救って大蛇を退治し、須賀の地に到って

「我が御心すがすがし」

と須賀宮(須我神社)を建て、

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

と歌ったのでした。須賀は大原郡東部、安来は大原郡の東隣の意宇郡(おうぐん)東部ですが、これらの伝承は、荒々しい心をもつ神であった須佐之男命が、出雲に来て心の安らぎを見出だしたことを示しているといえましょう。
 安来駅の南側の高台に、毘売塚古墳があります。五世紀の前方後円墳です。
201904061009335ec.jpg
「出雲国風土記」に、天武天皇の2年(674)、語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)の娘が当地を逍遙していた時、「和尓」(わに、サメのこと)に襲われて戻ってきませんでした。父・猪麻呂は嘆き悲しみ、天神地祇と出雲国のすべての神社、および海神に復讐を祈願します。すると、サメたちは一匹のサメを取り囲んで依ってきたのでした。猪麻呂がそのサメを鉾で刺し殺し、切り裂くと、中から娘の片足が出てきたのでした・・・。毘売塚古墳は、この娘のお墓と言い伝えられているとのこと。念仏をお称えし、北に中海を望みました。
201904061009337af.jpg
尾根伝いに南西に行道し、金屋子神社に参拝。
201904061009334bf.jpg
祭神の金山毘古命と金山毘賣命は、鉄づくりの神さま。「古事記」によれば、伊邪那美命が火之迦具土神(火の神)を産んだ時の火傷が元で亡くなる前、嘔吐したものから生まれた神さまです。砂鉄の豊富な出雲では古くから製鉄が行われ、飯梨川上流・比田の金屋子神社は、金屋子神が飛来して「たたら製鉄」を伝えた処と伝わります。安来駅南の当社は、比田の金屋子神社を明治時代に勧請した社だそうです。駅に戻り、バスで伯太川沿いに上流へ。目指すは、日本の母・伊邪那美命が葬られた「比婆山」です。
 安来駅から三十分ほどで横屋に着き、下車。
20190406100933111.jpg
伯太川を渡ると、久米神社里宮がありました。
201904061017454ef.jpg
「久米」の語源は、「コムル(隠し奉る)」だそうです。「古事記」によれば、火の神を産んだ時の火傷によって亡くなった日本の母・伊邪那美命は

「出雲国と伯伎(伯耆)国との堺の比婆の山に葬」

られたのでした。参詣して比婆山頂の奥宮へと入峯。伯太川の水面に照り映える陽光。
20190406101745149.jpg
歴史を感じさせる山道。
2019040610174515f.jpg
玉抱石を経て入峯から三十分で社祠峰に出ました。
20190406101745dd6.jpg
山頂・御陵峰の遥拝所で、本社跡・拝殿跡・揖社跡があります。勤行を修し、御陵峰へ。
201904061017458a7.jpg
10時に登頂、日本の母・伊邪那美命の御陵の前に建つ久米神社奥宮にお参りし、伊邪那美命を偲んだのでありました。
201904061017456d9.jpg
20190406102749e0f.jpg
 「古事記」によれば、伊邪那美命が此処に葬られた後、夫の伊邪那岐命は火之迦具土神を切り、亡き妻を追って黄泉の国へ行きます。しかし、伊邪那美命との約束を破って蛆にたかられた亡き妻の姿を見てしまい、黄泉の軍勢と伊邪那美命に追われつつ、黄泉比良坂(よもつひらさか) から地上に戻ったのでした。この黄泉比良坂は、

「出雲国の伊賦夜坂と謂ふ」

とあります。
blog_import_5c77e963498bc.jpeg
(揖屋の黄泉比良坂、2019.1.31)
伊邪那岐命は、黄泉津大神となった亡き妻と離別して筑紫(九州)で禊(みそぎ)をし、最後に天照大御神・月読命・須佐之男命を生みます。父に逆らい、母・伊邪那美命のおられる黄泉の国に行きたい!とアゴヒゲが胸に垂れるまで泣き続けた須佐之男命が、天界を追放された後に出雲国に降ったのは当然の成り行きであったといえましょう。伊邪那岐命と伊邪那美命は、日本の国土と様々な神々を生んだ父母。私たち日本人は皆、この父母の子です。御陵峰から北に、中海が望めました。
20190406102749204.jpg
 御陵峰の西側には、「尼子道」が下っています。戦国時代、出雲国守護代から山陰山陽十一ヶ国にまたがる戦国大名となった尼子経久の本拠地・月山富田城(がっさんとだじょう)へと通じる古道です。経久を始め、尼子氏は比婆山を篤く崇拝し、社殿や坊院を整えたとのこと。南側へ下ると、坊院跡に梅と桜が咲き、陰陽竹(インヨウチク)が茂っていました。
201904061027499cd.jpg
妙見池から、伊邪那岐命を祀る妙見峰へ。
2019040610274938f.jpg
道はなく、笹藪掻き分け登頂。
201904061027492c6.jpg
山頂も藪です。黄泉比良坂で別れた陽神(をかみ)と陰神(めかみ)ですが、此処・比婆山と伊邪那岐命の鎮まる近江の多賀大社は、ほぼ同緯度。多賀のすぐ近くには、尼子氏発祥の地・尼子もあります。別れても、子にとっては父母は父母。伊邪那岐命と伊邪那美命を垂迹神とする白山妙理大権現を念じ、南へと下ってゆきました。
(続く)
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

白山順禮写真館

Haxanjunrei

松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝