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豊郷~甲良~多賀~霊仙山~柏原巡礼2

(承前)
 3月27日朝、東近江の豊郷から徒歩で安食~四十九院~甲良町尼子・在士と順拝し、勝楽寺に参拝したことは、前回記しました。10時に勝楽寺を出発。金山神社にお参りして国道に出、犬上川を渡って多賀町へ。
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青龍山の麓の胡宮神社に参詣。
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安土城と同じような巨大な石段を登ってゆき、拝殿へ。
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胡宮神社の祭神は伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)、多賀大社と同じです。境内にかつては敏満寺がありましたが、織田信長に焼かれて廃寺となったとのこと。さらに北へ歩を進め、11時に多賀大社に到着しました。北東に霊仙山を遥拝。
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御神門をくぐり拝殿に参拝。
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「古事記」によれば、伊邪那岐命と伊邪那美命が日本の国土と様々な神々を産んだ後、火之迦具土神(火の神)を産んだ際の火傷が元で伊邪那美命は亡くなってしまいます。国作りの途中で愛する妻を失った伊邪那岐命は、黄泉の国まで伊邪那美命を追いかけますが、「私を見ないでください」と伊邪那美命に言われたにもかかわらず、既に蛆にたかられ体から八雷神を生成していた亡き妻の姿を見てしまいます。伊邪那岐命は黄泉の軍勢と伊邪那美命に追われつつ、黄泉比良坂(よもつひらさか)から地上に逃げ戻ったのでした。
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(出雲・揖屋の黄泉比良坂、2019.1.31)
黄泉津大神となった伊邪那美命と別離した伊邪那岐命は、筑紫で禊(みそぎ)をして住吉三神等を生んだ後、左目を洗った時に天照大御神、右目を洗った時に月読命、最後に鼻を洗った時に須佐之男命を生んだのでした。伊邪那岐命は天照大御神に高天の原を、月読命に夜の国を、須佐之男命に海原を治めさせることにしましたが、須佐之男命は

「僕(あ)は妣(はは)の国根の堅州国に罷(まか)らむと欲(おも)ふ」

つまり、伊邪那美命のおられる黄泉の国に行きたい、と、あごヒゲが胸に垂れるまで泣き続け、父・伊邪那岐命から勘当され追い払われてしまいます。そして、伊邪那岐大神は

「淡海の多賀に坐すなり」

近江の多賀にお隠れになったのでした。
 大切なパートナーを失ったことで伊邪那岐命の国作りは中断されましたが、高天の原を追放され出雲に降りた須佐之男命の子孫で婿でもある大国主神(大己貴命)によって、葦原の中つ国の国作りは進められます。大国主神は、神産巣日神(カミムスヒノカミ)の息子・少名毘古那神(スクナビコナノカミ)と共に国作りを進展させましたが、やがて少名毘古那神は常世の国に渡ってしまい、

「吾独りして何(いか)によくこの国を得作らむ。」

と愁えていた時、海を照らして依ってきた神がありました。「日本書紀」には、この神に大己貴神(大国主神)が

「汝は是誰ぞ」

と問うと、

「吾は是汝が幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)なり」

と答えたとあります。大国主神はこの「幸魂奇魂」を大和の三輪山に祀り、この神が後に比叡山の大比叡神となりましたが、そんなことよりも、国作りの大事なパートナーを失った大国主神が他者にではなく、自らの内に依り所となるものを見出だし、拝んだことこそ、民族も宗教も時代も超えて私たちを導く、人類のお手本と私には思われるのです。お釈迦さまは

「自らを洲とし、自らを依り所として、他人を依り所としてはならぬ。法を洲とし、法を依り所として、他を依り所としてはならぬ。」

と説かれました。また、イエス・キリストは

「あなたがたは世の光である。」
「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。」

と説かれました(「マタイによる福音書」)。大国主神は、人間の内にある神性・仏性に気づき、それを拝んだのだといえましょう。
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(幸魂奇魂を拝む大国主神の像(出雲大社)、2019.2.1)
(続く)
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝