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白山と喪山

 「古事記」によれば、天若日子(アメノワカヒコ)の喪屋を阿遅志貴高日子根神(アヂシキタカヒコネノカミ)が切り伏せ蹴飛ばして、美濃に落ちてきたという喪山。
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(美濃市の喪山、2018/12/15)
白山と表面的には関係のなさそうなこれらの神話に、なぜブログ「白山順禮」でこだわるのか。それは、これらの神話の背後に、白山三所権現の意味するところが垣間見えるからです。
 須佐之男命の子孫で婿である大国主神(大己貴命(オホナムチノミコト))が、出雲を拠点に進めていた葦原の中つ国の国作り。それに対し、高天の原の天照大御神(須佐之男命の姉)は

「豊葦原の千秋五百秋の水穂国は、我が御子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊の知らす国ぞ」

と、息子の天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)を降臨させようとしましたが、まだとても治められる状態ではないと戻ってきます。そこで、天忍穂耳尊の弟の天菩比神(アメノホヒノカミ)が遣わされましたが、大国主神に従って三年たっても戻らず。次に遣わされたのが、天若日子なのでした。
 が・・・天若日子は大国主神の娘・下照比賣(シタテルヒメ)と結婚して大国主神の婿となり、八年たっても音沙汰なし。高天の原から様子見に遣わされた雉を、巫女の天佐具賣(アメノサグメ)の進言に従って射殺します。高天の原まで届いたその矢を高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)が衝き返すと、矢は朝寝していた天若日子の胸に命中したのでした。妻の下照比賣の泣き声は高天の原まで届き、天若日子の親族が下ってきて葬礼を行います。弔いに来た下照比賣の兄・阿遅志貴高日子根神(大国主神の長男)は、容姿が天若日子にソックリ。親族たちは「天若日子は生きていた!」と勘違いして、阿遅志貴高日子根神の手足をとり涙を流します。すると、阿遅志貴高日子根神は

「我は愛しき友なれこそ弔ひ来つれ。何とかも吾を穢き死人に比ぶる!」

と怒り、喪屋を剣で切り伏せ、蹴飛ばしたのでした。喪屋が落ちてできたのが、

「美濃国の藍見河の河上の喪山ぞ。」

喪山は出雲から、あるいは下照比賣がおられたという伯耆国一ノ宮・倭文神社(しとりじんじゃ)辺りから、ほぼ真東に数百キロ飛んできたことになります。
 この神話とそれに続く神話(建御雷神(タケミカヅチノカミ)の派遣と大国主神の子・建御名方神(タケミナカタノカミ、諏訪明神)との戦い、大国主神の国譲りと大社の創建、天忍穂耳尊の息子の邇邇芸命(ニニギノミコト)の降臨)は、出雲を拠点にわが国の国作りを進める大国主神(大己貴命)と、統治者として高天の原から降臨しようとする天照大御神の御子・天忍穂耳尊の間の、葦原の中つ国(日本)の統治をめぐる対立と和平の物語です。そして大国主神(大己貴命)と天忍穂耳尊は、白山においては白山三所権現のうちの二尊として、中尊の白山妙理大権現(本地・十一面観音菩薩、垂迹・伊弉諾尊、伊弉冊尊)を補佐しているのです。即ち、御前峰の北の大汝峰に鎮座する越南知権現(本地・阿弥陀如来、垂迹・大己貴命)と、御前峰の南の別山に鎮座する別山大行事権現(本地・聖観音菩薩、垂迹・天忍穂耳尊)です。
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(三ノ峰より拝む白山三所権現、手前から別山・御前峰・大汝峰、2018/3/25)
白山三所権現の登拝・遥拝を行じ続けてきて、ようやくほのかに見えてきたその意味。約千三百年前に越の大徳・泰澄大師が開かれた白山三所権現とは、陰陽・幽顕・無意識と意識の均衡の象徴であり、その内奥には、記紀に描かれているような私たちの祖先の対立と融和の歴史が、隠されているのです。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝