FC2ブログ

記事一覧

泰澄寺/越前海岸巡礼2

(承前)
 大味海岸より望む、これから歩いてゆく小丹生(こにゅう)の海岸。
2019031509392997e.jpg
陽光に、海も青さを増してきました。
20190315093929351.jpg
13時、「弁慶の洗濯岩」着。
20190315093929dcd.jpg
文治2年(1186)、源義経一行が京から奥州平泉へと落ち延びる途次、この岩で衣類の洗濯をしたとのこと。「義経記」によれば、山伏姿の義経一行は敦賀から「木目と云ふ山」(木ノ芽峠)を越え、越前国府に三日逗留。その後、白山越前馬場・平泉寺へと向かっています。越前国府は武生辺りにあったようなので、「義経記」のルートからすれば越前海岸は通らぬことになりますが、人目を忍んでの逃避行であれば越前海岸の方が相応しいかもしれません。弁慶の洗濯岩を過ぎると、「神の足跡」が現われました。
201903150939295c4.jpg
昔、当地が大干害に見舞われた時、皆で氏神の春日神社に集まって一心に祈念すると、夜中に神さまが徹夜で海水を汲み、田畑に水を撒いたとのこと。足跡の向かいには石仏も祀られており、神仏に掌を合わせました。一光川を渡り、大丹生へ。
20190315093929548.jpg
海岸を白浜町へと北上してゆきました。
 13時半、白浜町の欣浄寺、神明神社と順拝。
20190315093929a3b.jpg
神明神社の由緒によれば、白浜は天正17年(1589)に石見の国から尼子一族が移ってきて土地を開き、居を構えたとのこと。
20190315094606e3f.jpg
戦国時代、出雲国守護代であった尼子経久の活躍で出雲・月山富田城を拠点に山陰山陽八ヶ国を領有した尼子氏。しかし、経久の曾孫・義久は永禄9年11月(1567年1月)に毛利元就に敗れ降伏、尼子氏の家臣・山中鹿之助(幸盛)らの活躍で再興したものの、天正6年(1578)に滅亡してしまいました。白浜は、出雲の尼子一族が落ち延びて開いた地なのでした。寺社に参拝して尼子一族を供養。白浜から鮎川浦を北へ。
20190315094606f94.jpg
「越前国名蹟考」に、

「鮎川浦◎反子(そりご) 此浦にそり子と云者あり又べざい共いふ一浦の人数高の外の漁父にて是を浦中に抱え置て漁猟をなさしむるものなり」

とあります。「そりこ舟」は舳先が大きく反った舟で、出雲の中海などで赤貝の桁曳き漁に使われていた舟です。出雲では昭和30年代まで活躍していたそうです(「島根県立古代出雲歴史博物館展示ガイド」)。その「そりこ舟」が鮎川浦に伝わったのは、「越前国名蹟考」によれば、「出雲国猪の島」という所の漁人数十人が暴風で鮎川浦の沖に漂流し、浦人に助けられこの地に留まったとのこと。鮎川の港に鎮座する西之宮蛭子神社に参拝すると、さらに当地と出雲・石見との深い縁に驚かされました。
201903150946061c6.jpg
 境内の「西之宮蛭子神社氏子顕彰碑」によれば、鮎川浦の先祖は、尼子氏に仕えて島根県温泉津(ゆのつ)町の物不言城を守っていた「清水谷衆」という武士たちとのこと。物不言城は、石見国の福光にあった城です。尼子氏は石見銀山の領有をめぐって周防の大内氏、後には安芸の毛利元就と争奪戦を繰り返しました。戦国大名としての尼子氏が滅んだ後、「清水谷衆」は白浜町の尼子一族と共に日本海を東進し、当地に新天地を開いたのでした。また、「越前国名蹟考」にある出雲の漁人たちは明暦年間(1655~58)に難破して助けられたそうで、新たな住人として迎え入れられたとのこと。神社の裏より、海の彼方の出雲大社を遥拝。
2019031509460688f.jpg
当地の出雲・石見との深い縁に、越前海岸から山を越えた処に弥生時代後期中頃(二世紀初頭)に造られた四隅突出型墳丘墓・小羽山30号墓の頃からの、出雲地方との交流を思わずにはおれません。
小羽山30号墓
(小羽山30号墓、2019.3.6)
小羽山30号墓は、出雲をはじめ山陰地方で多く造られた四隅突出型墳丘墓の、越(北陸地方)最古の墳丘墓です。
 蛭子神社境内には、松平春嶽(幕末の福井藩主)の歌碑。
20190315094606206.jpg

海のさちあたへ玉ひてあさゆふに桜鯛よれうらの春かぜ

海岸から町中に入り、高台の加茂神社に参拝。
201903150946069e1.jpg
海辺に戻ってさらに北へと足を進め、奇岩聳え立つ大岬へ。
20190315095515065.jpg
潮騒の音、広大な空・海・水平線。
20190315095515334.jpg
大いなるものの前には、念仏も題目も心経も真言も神語も、一つです。大岬から北へ歩み、15時すぎに鉾島に着きました。
201903150955153fb.jpg
頂上の祠に祀られる聖観音菩薩の御前で勤行。
20190315095515ac1.jpg
鉾島の名は、大国主神の別名・八千矛神(ヤチホコノカミ)を思わせます。白山および越知山三所権現の越南知権現(白山・大汝峰に泰澄大師が感得された)は、垂迹が大己貴命(大国主神)、本地は阿弥陀如来。西に広がる大海が、雲間からもれる陽光に照らされていました。四拍手し、大社と極楽浄土を遥拝しました。
201903150955159f9.jpg
鉾島バス停で福井行きのバスに乗り、帰路につきました。
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

白山順禮写真館

Haxanjunrei

松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝