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泰澄寺/越前海岸巡礼1

 3月12日朝6時半、霧の中、越前・三十八社の泰澄寺に参拝。
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白山を開かれた越の大徳・泰澄大師がお生まれになった処です。「泰澄和尚伝記」によれば、泰澄和尚が生まれたのは白鳳22年(682)6月11日。和尚は14歳の時(持統天皇9年(695))から毎晩、西方の越知山(おちさん)に登って修行していたそうです。泰澄大師のご命日は神護景雲元年(767)3月18日。ご宝前で般若心経と念仏をお唱えし、白山三所権現と泰澄大師を供養しました。境内には宝篋印塔もあり、宝篋印陀羅尼を誦しました。
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 泰澄寺から南方へ歩を進め、下江尻の白山神社に参拝。
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夜中の雨は止み、幻想的な霧の中を道なりに南側へダッシュ。
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7時、五世紀の円墳・兜山古墳に鎮座する八幡神社にお参りしました。
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神明駅前で越前海岸方面へのバスに乗車。幸若舞発祥地の西田中、織田氏発祥の地・織田を経由。車窓から、須佐之男命を祀る織田の劔神社に掌を合わせました。8時半前に梅浦港で下車。
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微雨ですが、傘をさすほどではありません。海岸に建つ恵比須宮から岬に出ると、南に敦賀半島を遠望。
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今日は此処から越前海岸を北上します。海辺の断崖を流れ落ちる、滝。
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トンネルの海側側面に開いている、洞。
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梅浦から玉川に入りました。
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「越前国名蹟考」に、

「越前水崎(みさき) 窟観音 此浦の山上に岩窟あり西は滄海漫々として大磐石切立たる様なる中間の石穴の中に古より観音の霊像西向に坐すといへり」
「泰澄大師の作 玉川の窟に十一面観音」

等と記されています。この観音さまのお堂は、平成元年(1989)の国道崩落で現在地に移転したとのこと。
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現在地より奥の崖下に鳥居が遠望できますが、通行不可です。
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ご本尊の十一面観音さまは、泰澄大師作との伝承の他、仲哀天皇(神功皇后の夫)が船でこの窟の前を通った時に龍に乗って現われ、波浪を鎮めたとの伝承もあるそうです。ご宝前で観音経と念仏をお唱えし、東日本大震災で亡くなられた方々に想いを致しました。
 玉川トンネルをくぐって北に足を進め、9時半に越前岬展望台に登って見下ろした海岸。
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見上げれば、越前岬灯台。
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海沿いの急峻な崖は、あちこちで崩落して工事が行われています。さらに北へと行道、10時に呼鳥門に着きました。
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巨大な天然のトンネルです。越前海岸は千年に約一mの速度で隆起し続けているとのこと。門の近くには、海食洞(愛染明王洞)に鎮座する水仙廼社(すいせんのやしろ)。
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当地の言い伝えによれば、寿永2年(1183)、源義仲(木曽義仲)が白山権現のご加護で倶梨伽羅峠で平家の大軍を破り、加賀~越前国府経由で上洛しましたが、越前海岸の山本五郎左衛門と長男の一郎太も従軍していました。しかし、翌年に義仲は源頼朝の軍に敗北、五郎左衛門父子も戦死してしまったのでした。残された次男・次郎太は、ある日、海に漂流していた娘を助けて「仙」と名づけました。そこへ、死んだと思われていた兄・一郎太が帰って来、やがて美しい「仙」をめぐって決闘を始めます。すると、二人を守るために「仙」は海に身を投げ、翌日、一輪の可憐な花が海から流れ着いたのでした。村人が「仙」の化身であろう、と植えると、毎年「仙」が身投げした頃、咲き乱れるようになったそうです。この花が後に「水仙」と呼ばれるようになったのでした。
 銭ヶ浜を過ぎると、越前市から福井市八ツ俣に入ります。八ツ俣白岩。
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「越前国名蹟考」には「八俣村」とあります。越前海岸の「八俣」の名は、「古事記」で須佐之男命が出雲の斐伊川上流で退治した「高志の八俣の大蛇(こしのやまたのおろち)」を連想させます。10時半、八ツ俣の神明神社に参拝。
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かつて、この海岸に江津浦という集落があったそうですが、文政12年(1829)10月に大津波が発生、此処から北の居倉浦や蒲生浦が大被害を受け、江津浦の家屋も流されてしまったとのこと・・・。難を逃れた江津浦の人々は、祀っていた神明神社と共に八ツ俣に移ったそうです。
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天照大御神や須佐之男命は、太古の昔から繰り返されてきたわが国の災害をご存知のはず。苦難の中には、未来に活かせる宝が隠されているかもしれません。須佐之男命が、出雲の斐伊川上流で退治した「高志の八俣の大蛇」の尾の内奥に宝剣「草薙の大刀」を見出だし、姉の天照大御神に献上したように。越の大徳・泰澄大師が、白山天嶺に現われた九頭龍の内奥に十一面観音さまの玉体を感得したように。
 10時半、八ツ俣より、これから歩いてゆく海岸を遠望。
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海辺に咲く水仙。
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二百年近く前、大津波に襲われたという居倉浦と蒲生浦。
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11時、居倉浦の「水仙の里」に着きました。呼鳥門の近くの水仙廼社の水仙伝説の舞台が、此処です。
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向かって左が、一郎太と二郎太が決闘した「雄岩」。右が、二人を救うために「仙」が身を投げた「雌岩」。「仙」は命を捨てて兄弟の争いをやめさせ、水仙の花となったのでした。
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「水仙の里」 から北東へ歩を進めると、現われた洞窟。
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鯨穴洞窟です。「越前国名蹟考」に、

「居倉村◎窟 南に鯨穴と云窟あり」

とあります。窟は、内奥の世界・黄泉の国の出入口。窟内で念仏をお称えしました。
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外界の雨は止み、青空が見えてきました。
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足見滝に参拝し、蒲生浦へと海辺を行道。
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「越前国名蹟考」に、

「蒲生浦○郷名加茂今云蒲生浦」

とあります。
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 正午、蒲生(越廼(こしの))の気比神社に参拝。
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この辺りの寺社は、海沿いの高台に鎮座しています。敦賀の気比神宮は越前国一宮。続いて、梅の花咲く松尾神社へと順拝。
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山城(京都)の松尾神社の祭神・大山咋神(オホヤマクヒノカミ) は、須佐之男命の子の大年神の子です。 松尾神社より西に見下ろした海。
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さらに茱崎(ぐみざき)の越知神社へ。
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朝歩き始めた梅浦は越知山の南西でしたが、蒲生(越廼)は越知山の北北西。白山三所権現と泰澄大師にお参りし、海岸をさらに北上。12時半すぎ、大味川(おおみがわ)を渡りました。
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大味川に沿って遡れば、先週(2019.3.6)越知山に登った宿堂に出ます。宿堂を越えれば、賀茂神社が鎮座する大森、そして弥生時代の四隅突出型墳丘墓がある小羽。今日は只管、越前海岸を北へと歩き続けます。
(続く)
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝