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豊前・松尾山登拝

 大型の台風24号が九州・四国の南から紀伊半島に上陸し、列島を縦断した翌10月1日朝6時、豊前・中津から山国川を渡り吉富駅で下車。南西に見える山並へ向かって歩き始めました。前方の尖った山は小屋ヶ岳、その右に経読岳と犬ヶ岳のお姿。さらに右には、求菩提山(くぼてさん)。小屋ヶ岳の左には、雁股山。


(大ノ瀬大池より)
霊峰・彦山の北東に連なる峯々です。さらに行道してゆくと、雁股山の手前に、長~い尾根をもつ山が全貌を現わしました。


今日の目的地・松尾山(まつのおさん)です。松尾山は求菩提山や檜原山(ひばるさん)と共に「彦山六峯」とされ、また、「求菩提山六峯」の峯でもありました。これらの峯々には白山権現が広く祀られており、「求菩提山縁起」によれば、開山・行善和尚が求菩提山に入峯した際に地主権現(葦原醜男(あしはらのしこお)、即ち大己貴命)と白山妙理大権現(本地・十一面観音菩薩)が示現され、養老4年(720)に行善和尚がこの両所大権現ご宝前で修法を行じていると、小白山大行事が飯盛山(求菩提山の西)より来臨して両所権現の化道を補った、とあります。白山を師として登拝・遥拝を行じてきた者から見れば、この地主大己貴権現・白山妙理大権現・小白山大行事は、白山三所権現(白山妙理大権現・本地十一面観音菩薩(御前峰)、小白山別山大行事・本地聖観音菩薩(別山)、越南知(大己貴)権現・本地阿弥陀如来(大汝峰))が勧請されたものに他なりません。


(白山・大汝峰より望む御前峰と別山、2018.6登拝時)
求菩提山六峯・松尾山頂の上宮にも白山三社が祀られ、明治の神仏分離以降は「三社神社」となっています。
 白山三所権現が全国各地に勧請されていることは、さほど驚くに値しませんが、求菩提山の周辺には、白山の「六所王子」も勧請されています。白山六所王子とは、

佐羅王子(さらのおうじ)・本地毘沙門天王
三宮王子(さんのみやおうじ)・本地如意輪観音菩薩
加宝王子(かほうのおうじ)・本地虚空蔵菩薩
禅師王子(ぜんじおうじ)・本地地蔵菩薩
金劔王子(かなつるぎのおうじ)・本地不動明王
兒宮王子(ちごのみやのおうじ)・本地釈迦如来

で、白山の三馬場(越前・加賀・美濃)に於てそれぞれに山上や山麓に祀られていたことは、当ブログで以前紹介した通りです。
(2018.4.26「白山六所王子」参照)
その白山六所王子が、「求菩提山縁起」によれば

「常在山権現者若宮一佐羅王子本地不動明王也。松尾山権現者三宮二佐羅王子本地如意輪観音也。両界山権現者禅師宮四佐羅王子垂迹本地地蔵菩薩。玉置権現者釼宮五佐羅王子本地毘沙門天王。釈迦岳者兒宮王子垂迹六佐羅王子本地釈迦牟尼如来也。第六宝勝山権現者加宝三佐羅王子本地虚空蔵菩薩。」

と、ほぼ正確に勧請されています。「一佐羅、二佐羅・・・」という呼び方は、第一王子である佐羅王子を「若宮」として、他の五王子にも「佐羅」の名を付けたもので、白山権現が「客人権現」(まろうどごんげん)として勧請された比叡山麓・日吉大社の「日吉山王権現知新記」に「客人六所王子」として

一佐羅 若宮 本地多聞天
二佐羅 三宮 如意輪
三佐羅 加寶 虚空蔵
四佐羅 禅師 地蔵
五佐羅 剣宮 不動
六佐羅 兒宮 釈迦

とあります。かつての日吉大社・客人宮境内には客人(白山)三所権現と六所王子が祀られ(「日吉社神道秘密記」)、今も白山宮本殿の隣に剣宮が鎮座しています。


(日吉大社白山宮、2018.5参拝時)
そもそも、「佐羅王子」は比叡山麓の唐崎明神と白山権現の間にできた王子です(2018.5.22「白山七社大権現下四社・岩根宮佐羅宮)」参照)。
山上の権益をめぐって対立することもあった白山三馬場において、三所権現六所王子への共通した信仰が保たれていたのは、三馬場が共に比叡山延暦寺の末寺となったことの影響もあると思われますが、求菩提山にまで共通して伝わっているのも、あるいは比叡山の影響によるのかもしれません。
 前置きが長~くなりましたが、求菩提山六峯のうち松尾山(医王寺)は三宮王子・本地如意輪観音さま。7時、松尾山の尾根の末端辺りに鎮座する覚円寺参拝。


此処には、かつての松尾山医王寺ご本尊の薬師如来さまや医王寺の輪蔵が明治の神仏分離、修験道廃止令により下山させられ、納められています。勤行を修し寺の裏手から尾根に付くと、たちまちクモの巣まみれになりました。処々、藪を徘徊しつつ縦走。


かつての彦山や求菩提山の峯入り修行には春峯と秋峯があり、彦山の「三峯相承法則密記」には

北方竈門山金剛界 從果向因 逆峯 秋峯下化衆生
中央神山胎金和合行 非因非果 順逆不二夏峯 自他一如来
南方彦山胎蔵界 從因至果 順峯 春峯上求菩提

とあるように、春峯は胎蔵界、秋峯は金剛界の修行であったようです。求菩提山の秋峯では、求菩提山から山内(如法寺)、薬師寺、鬼木、緒方と進んで松尾山に駈け込み、稗畑に下って両界岳、犬ヶ岳に登っていたようです(「豊州求菩提山修験文化攷)。今歩いているこの尾根は、かつて求菩提山の山伏たちが駈け込んだ秋峯の古道であったのでしょう。鉄塔に出ると、北に周防灘が望めました。


求菩提山は十五世紀末から聖護院と結びついていましたが、慶長18年(1613)に江戸幕府は「修験道法度」を出し、全国の山伏を本山派(聖護院、天台宗系)か当山派(醍醐寺三宝院、真言宗系)のどちらかに属させようとしました。求菩提山や宝満山は聖護院末となりましたが、彦山は「天台修験別本山」としてどちらにも属さず、彦山の伝統を通します。松尾山は貞享5年(元禄元年、1688)に求菩提山入峯行者を追放し、彦山派として求菩提山から独立、檜原山や湯蔵山など十三の末山末寺があり、春と秋に峯入りしていたようです。
 なだらかな尾根を処々、クモの巣かぶりつつ縦走してゆくと、鹿がけっこういました。牝鹿のいたヌタ場。


藪の中のくぼんだ処は、古の道でしょうか。


8時すぎに林道に出、南西側へと登ってゆきました。ひづめの音たてて林道を走り去る、立派な角の牡鹿。


やがて、目の前に一ノ鳥居が現われました。


刻文によれば、宝暦11年(1761)に座主・豪海(門之坊)が建立したもののよう。白山権現王子眷属を礼拝して鳥居をくぐりました。9時、三界万霊碑に掌を合わせ、裏手の山へ。


尾根上に出ると「瑞光坊松尾家一族」のお墓がありました。


かつての松尾山医王寺には三十六坊があったそうで、延宝4年(1676)の記録には「座主下ノ坊、役人門ノ坊、上ノ坊、中ノ坊・・・(以下略)」と記されています(「豊州求菩提山修験文化攷」)。安政5年(1858)には二十五坊に減り、座主の下ノ坊は高明坊と称し、役僧が瑞光坊となっています(中野幡能「求菩提山修験の起源とその展開」)。九州北部は松尾姓の多い処、私も肥前の松尾一族の出、 遠近、先後のご先祖さまに念仏をお称えしました。
 小笠原忠真公追悼碑、座主の墓所と順拝。碑も墓塔も、倒れていました。


大塔寺跡に下り、愛宕観音堂に参拝して参道を上へ。二ノ鳥居の上に、中宮。


二ノ鳥居前を右へ進むと、古の石畳や松尾川の源流がありました。


中宮には、かつて山王二十一社が祀られていました。山王上七社のうち聖真子権現(本地阿弥陀如来)は、近江に垂迹された豊前・宇佐の八幡大菩薩、客人権現(本地十一面観音さま)は、白山妙理大権現のご垂迹。


(宇佐神宮、前日(2018.9.30)参拝時)
上宮に白山権現、中宮に山王二十一社を祀るのは、求菩提山も同様でした。勤行を修して日吉山王権現を供養し、傍らの阿弥陀さまにお念仏。


前日の雨で水の流れる山道を登り、行者堂と護摩壇着。


般若心経と役行者ご宝号をお唱えしました。
 10時、山頂の上宮(現・三社神社)登拝。


かつては白山三所権現が祀られ、本地仏は釈迦如来・十一面観音菩薩・薬師如来とのこと。白山の三所権現と本地仏が少し異なりますが、白山妙理大権現の本地が十一面観音さまであることは変わりありません。ご宝前で観音経を読誦し、白山権現王子眷属と彦山権現を供養。「求菩提山縁起」の中で、白山妙理大権現が行善和尚に

「我が山中の一草一木、我が眷属の所居にあらざる無し。」(原漢文)

と告げておられますが、白山越前馬場・中宮平泉寺の「白山権現講式」(明応9年(1500))にも、

「妙理菩薩ノ言ハク、森々タル瑞木、離々タル異草、悉ク是レ吾ガ王子眷属ノ所居也」

とあり、白山加賀馬場・本宮白山寺の「大永神書」(大永7年(1527))には

「森々たる霊木離々たる異草、みなこれ我王子眷属の所居也。十方法界皆我神躰にあらすといふ事なく、世界衆生みな吾うみなせる子なり。我な穢しそ穢しそ」

とのご神託が記されています。越前、加賀、美濃、比叡山、求菩提山、さらに平戸の安満岳まで、時空を超えて普門示現される白山妙理大権現さまの、有難さ。白山順礼の道、それは、白山狂の野人に残された只一つの道、善悪・有無・苦楽を超えた道です。
 三十分ほどして下山。下りは愛宕堂への尾根を東へ進みましたが、凄まじいクモの巣地獄。帽子、顔からズボンまで、全身ベトつく黄ばんだクモの巣まるけで十分ほど歩くと愛宕堂に出ましたが、お堂は壊れていました。


大塔寺の下にあった愛宕観音堂に遷座したようです。京都・愛宕山は役行者と泰澄大師(白山の開山者)の開山と伝わり、本地仏は勝軍地蔵さま。般若心経を読誦し、愛宕権現と役行者・泰澄大師を供養しました。愛宕堂から林道に下り、伏木方面へ。松尾山を見上げ、南側に瓦岳を遥拝。



瓦岳の麓の高勝山竜福寺も松尾山十三ヶ寺の一つであり、さらに奥の檜原山正平寺も十三ヶ寺の一寺、檜原山頂にも白山権現が祀られています。一時間ほどで伏木に下り、小畑の貴舩神社に参拝。


友枝川沿いに下って徳宝寺にて念仏をお称えしました。


正午に横川を過ぎ、振り返ると、尾根の彼方に松尾山。


県道を只管歩み、13時15分に友枝川が山国川に合流する辺りの八坂神社に参拝。松尾山の背後に雁股山、さらに小屋ヶ岳、経読岳、犬ヶ岳、求菩提山を拝みました。


山国川を渡って、雁股山の左側に樋桶山、檜原山、瓦岳を遥拝。かつての求菩提山修験と松尾山修験の峯々。


求菩提山・松尾山・檜原山を含む彦山六峯の広大さと共に、これらの峯々に示現された白山三所権現六所王子の、妙理の無辺さを実感しました。14時すぎに中津駅着、帰路につきました。
 かつて、求菩提山の山伏は春と秋の峯入だけでなく、「国中の峯入」、即ち日本全国の峯々を巡歴して大乗妙典を奉納する修行をしていたそうです。正徳4~6年(1714~16)の山伏の記録によれば、求菩提山から宇佐八幡宮、大山、白山、石動山、立山、弥彦山、羽黒山、日光山、善光寺、富士山、谷汲山、朝熊岳、熊野三山、高野山等々を巡拝しています(「豊州求菩提山修験文化攷」)。求菩提山に限らず、山伏たちは全国の峯々を歩き、寺社を巡拝していたのでした。白山の「三所権現六所王子」の信仰を九州にまで広めたのも、こうした山伏たちであり、彦山修験の「三峯相承法則密記」にある新客が守るべき「峯中壁書」が、白山美濃馬場・白山中宮長瀧寺に「白山鳩居峯中壁書」として一字違わず取り入れられていたのも、全国の山々で修行していた山伏たちの交流の賜物でしょう。

「白山二字、加賀天嶺ニ限ルベカラズ」(「平戸安満嶽縁起」)

これからも、「名利」のためではなく「妙理」のために、白山の順礼を続けてまいります。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝