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東尋坊



 人生の危機に直面し、このまま生き続けてゆくことへの恐怖を感じ、明日の朝、また目が覚めることへの恐怖を感じ、もはや何処にも行き場が無くなってしまったら、私も此処に来るかもしれません。少なくとも、かつて危機のさ中にあった時、このような場所を知っていたとしたら、その可能性は小さいものではなかったことでしょう。
 初めて訪れた東尋坊。白山越前禅定道の登拝拠点・平泉寺にいたという悪僧、東尋坊が、他の僧侶達に突き落とされた所です。いかに悪僧とはいえ、僧侶同志で殺し合いをしたのですから、殺した方も悪僧と言わざるを得ません。
 岩場に着くと、消防車やパトカーが来ていて、救助ヘリも飛んで来ました。東尋坊タワーから白山を拝みたいなぁ、とやって来た私に、いきなり突き付けられた現実。
 日頃、白山を拝んでいる私には、白山に背を向けて西の海に飛び込むことなど自分には有り得ない、と始めのうちは思っていました。しかし、実際に人生の危機のさ中にある人の身になってみれば、断崖絶壁と海の他、何も見えなくなったとしてもおかしくはありません。東か西か、生か死か・・・
 只一つだけ、今の私に確かに言えることは、断崖絶壁から下を見るか、振り返って白山を拝むか、だけではなく、もう一つの視点がある、ということです。それは、白山からの視点です。
 今月の初旬の白山登拝で、大汝峰から拝んだ夕日(写真)。その前景には、東尋坊も含まれていました。しかし、すべては、荘厳にして雄大なる大自然の営みの中に、渾然一体となっていました。阿弥陀如来を本地とする大汝峰からの夕景に、思わず合掌し、念仏を称えていました。
 生きるか死ぬかを超えた、第三の道。我(が)を離れ、より大いなるものに、生死一如の妙理に随順してゆくこと。生かされているこの命のご縁に、随順してゆくこと。道元禅師は言われています。「この生死は、すなはち仏の御いのちなり、これをいとひすてんとすれば、すなはち仏の御いのちをうしなはんとするなり。これにとどまりて、生死に著すれば、これも仏の御いのちをうしなふなり、仏のありさまをとどむるなり。いとふことなく、したふことなき、このとき、はじめて仏のこころにいる。ただし心をもてはかることなかれ、ことばをもていふことなかれ、ただわが身をも心をも、はなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをも、つひやさずして、生死をはなれ仏となる」(正法眼蔵生死)。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝