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芥見権現山




 岐阜市・各務原市境付近の三峰山、岩滝山、北山、権現山辺りからは、晴れた日には、高賀の山並と三尾の山並の間に白山を拝むことができます。この地域には、山麓や山上に白山神社があちこちに見られます。
 中でも、芥見の権現山は芳野(よしの)神社のある303mピークが一際目立ち、遠くからでも目を引く山です。9年前の山火事で山は至る所に地肌が露出し、焦げた木が今でも残っていますが、芳野神社付近だけは焼けず、鬱蒼と木々が繁っている為、ますます異様な姿に見えます。
 8月30日朝、クリーンセンター前から岩場を攀じ登り、30分ほどで芳野神社へ。誰も登っていないとみえて、山道は蜘蛛の巣だらけでした。芳野神社は、江戸時代までは蔵王権現と呼ばれており、伝によれば、白山を開山した泰澄大師が此処に登って坐禅し、蔵王権現を感得、勧請したとのことです。その後、この地に城が築かれ、社を「三町程巽之峯」に遷したそうですが、夢告により元の場所に戻したとあります。
 三町ほど東南というと、丁度、現在316.5mの三角点のある権現山山頂付近でしょう。麓から見る限り、この山の「絶頂」は、蔵王権現即ち芳野神社のある303mピークです。古人もこの絶頂にこそ蔵王権現を拝んでいたことでありましょう。現代ではcm単位まで海抜を測って、○○山△△mなどと碑が立ててあったりしますが、山は高ければよいというものではありません。その姿、尊さを拝み、ああ、あそこに登ってみたい、と感じさせる所こそが、その山の絶頂ではないでしょうか。山はスカイツリーとは違うのであります。
 芳野神社に参拝し、来た道を戻って南東へ尾根を直進、316.5mピークへ。ここは山火事の為か見晴らしがよく、晴れていれば白山を拝めます。この日は、高賀山はうっすらと見えましたが白山は不見。白山の方へ向かって般若心経をお唱えしました。北麓の眼下に、泰澄大師が開山された願成寺が見えます。来た道を振り返れば、こんもりと木が茂る芳野神社のピーク、後ろには百々ヶ峰(写真)。金華山もよく見えます。
 ここから東へは、各務原アルプスと呼ばれる長大な尾根が続きます。ちょうど一年前、白山神駈道走破の練習として往復しましたが、今日は途中の鞍部から北へ谷を下って、願成寺に参拝。壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)を身毛君(むげつのきみ)広らと共に援けたという村国男依(おより)開基、泰澄大師開山。中将姫の誓願桜や、仏師・日野金丸の伝説でも知られるお寺です。谷を下って草茫々の林道に出、林道を通って川を右岸から左岸に渡り、40分ほどで願成寺の仁王門前に出ました。本尊十一面観音菩薩の前に長跪合掌し、般若心経、延命十句観音経、十一面観音菩薩ご真言、白山権現・泰澄大師ご宝号をお唱えしました。白山神社にも参拝、裏山に登って東屋で一休み。ここからも、山頂より芳野神社のピークが目立ちます(冒頭写真)。
 復路は、川の右岸へ渡らず左岸の林道を直進。途中、山神を祀った石碑があり、合掌しました。さらに進むと、荒神様を祀った石碑があり、蛇がいました。道は左右に分かれ、荒神様の後ろからは尾根になっています。私が古の行者なら、この尾根を登って山に分け入ることでありましょう。三宝荒神ご真言をお唱えし道を左にとると、堰があり行き止まりです。荒神様の尾根に取り付き、岩を攀じ藪を掻き分け登ってゆくと、右の方から登山道が現れました。荒神様の前を右に行けば、この道に出るのでしょう。しかし、尾根筋の岩場は行場に相応しい感じでした。汗と蜘蛛の巣まみれになって、願成寺から30分ほどで芳野神社の脇に出ました。社前にて観音経をお唱えし、坐禅。ミンミンゼミの声、蚊の羽音、目前に佇んでいる蜘蛛、社の周りを舞う紋黄揚羽。
 下りは「涸沢新道」と書かれた標識から下りましたが、岩場からはどれが道だか不明。クリーンセンター向かいの尾根に出て、谷を藪漕ぎして30分ちょっとで下山しました。
 泰澄大師は、この権現山から遥拝できる白山では十一面観音菩薩を感得しましたが、此処には、役行者が吉野・金峯山で感得したという蔵王権現を、関市の武芸八幡社には、日本武尊の兄で、この地の豪族ムゲツ氏の祖でもある大碓命を祀ったと伝えられており、白山での体験のみに止まらず、各地で感得した神仏をも祀っておられたようであります。
 帰宅後、303mピークの「蔵王権現の森」を遥拝し、蔵王権現ご真言をお唱えしました。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝