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御前山より白山遥拝





 昨日、飛騨萩原の上村(うわむら)白山神社より、御前山(ごぜんやま)に登りました。上村白山神社は白山を勧請した社で、山上の「御前権現」の遥拝所・前社堂であったといわれています。参拝し、社の奥の静かな山道を登ってゆくと、処々に観音様などの石仏が祀ってあり、巡拝しつつ登りました。雲が多く、展望は今一つでしたが、六・七合目辺りの紅葉は見事でした。2時間ほどで九合目の焼堂ヶ原着。かつて、ここに上村白山神社の別当寺、清峰寺があったそうですが、永禄年間に兵火で焼けたとのこと。9時半すぎ、山頂に着くと、巨岩の下に観音様を祀った祠があり、永禄10(1567)年秋、美濃を征した織田信長が、岐阜城の鬼門の方角に当たるこの山上に、遣使を送って観音像を安置したことが記してあります。十一面観音像であったという記録がありますが、現在のお像は聖観音菩薩のようです。
 永禄10年頃、この地を領していたのは、山麓の桜洞城を本城としていた三木(みつき)良頼でした。彼は、飛騨に勢力を伸ばす武田信玄に抗して上杉謙信と通じ、飛騨国司姉小路家の名跡を継いでいました。また、良頼の父・直頼は、白山美濃馬場の白山中宮長滝寺・道雅法印に宛てて、三木氏配下の都筑氏が白山大御前、即ち白山頂御前峰の別当職を取得したので、当家の為に勤行等を怠らぬようにと書き送っています。
 美濃を征服したばかりの信長がここに観音様を寄進したとすれば、それは単に岐阜城の鬼門に当たるからというだけでなく、飛騨国司の称号を持ち、上杉謙信の勢力下にあった三木氏に対し、清峰寺焼失の機を見て、白山御前峰の本地・十一面観音像、即ち「御前観音」を寄進することで、懐柔しようとしたのではないでしょうか。
 山頂の巨岩の上からは、雲が多いものの目前に御嶽山(写真1)、さらに乗鞍岳、穂高岳、槍ヶ岳、笠ヶ岳も見渡せました。白山方面は木が茂ってよく見えません。山上で1時間以上すごし、11時に下山。焼堂ヶ原に戻ると、白山・別山がうっすらと姿を現わしていました。(写真2)。山頂御前峰と剣ヶ峰、大汝峰。左には別山。清峰寺が白山の遥拝所だったことが分かります。白山に向かって般若心経をお唱えしました。
 さらに下って、12時20分、四合目の鷹巣岩からは、萩原の町の背後に白山・別山の山並み(写真3)。岩上に正身端坐し、観音経をお唱えして、白山と相見。
 比叡山延暦寺、朝倉義景、浅井長政、石山本願寺と一向一揆、そして甲斐の武田氏を倒した信長は、ここから見える白山の手前も、白山の向こうも、見渡す限りの国を領国としました。しかし、その信長も、武田氏滅亡の三ヶ月後に明智光秀の謀反に倒れました。上杉方から信長方についていた三木自綱(良頼の子)は、本能寺の変後の混乱に乗じて、この飛騨の国をほぼ手中に収めました。が、天正13(1585)年、秀吉の命により金森長近が越前大野より石徹白・白山中居神社を経て飛騨に侵攻、三木氏は滅び、自綱は飛騨を追われて京で没しました。
 白山は誰のものでもなく白山そのものであり、山河大地は誰のものでもなく山河大地そのものであります。そして、悠久の時の流れの中で、私たちがそこに留まることができるのは、ほんの一瞬でしかありません。
 白山に向かって投地礼をし、山を下りました。
 飛騨萩原も、今年は紅葉が遅いそうです。御前山中腹の紅葉が里に降りてくるまで、あと暫しかかりそうです。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝