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四海波岳




 山の名前は、一つであるとは限りません。国境の山では西麓と東麓でその名が異なるのが、むしろ自然ではないでしょうか。
 江戸時代の飛騨の古地図を見ると、白山周辺の山々の名が今とだいぶ違うことに気付きます。白山、三方崩、野谷庄司など白山から北は今と同じですが、白山の南に目を転じると、別山は四海浪(しかいなみ)岳となっており、高砂岳、大日ヶ嶽と続きます。大日ヶ岳は今と同じですが、「高砂岳」は銚子ヶ峰~三ノ峰のどの山に該当するのか、よく分かりません。明治13年の「岐阜縣管内地圖」を見る限り、銚子ヶ峰辺りのようです(しかし、この地図には銚子ヶ峰と大日ヶ岳の間にある丸山の名が、四海浪岳の東、今の南白山辺りに書かれており、現在の地図ほど正確ではありません)。
 江戸時代中期に書かれた「飛州志」にも、「大日カ岳高砂岳四海波岳同郡(大野郡)尾上郷村ニアリ」とあり、幕末~明治初の「斐太後風土記」には「四海波嶽 頂上の大岩、東面に青海波の大紋あまたつけたり、故に四海波と云。越前にて別山と唱ふ・・・」とあります。大岩とは、別山の大平壁のことでしょう(写真2、3。2009年6月登拝時)。「別山」は越前側の山名であり、飛騨側では「四海波嶽」と呼んでいたことが分かります。
 「斐太後風土記」には、四海波嶽の祭神は白山三神の内、伊弉諾(イザナギ)尊であり、麓の尾上(おがみ)郷の名は、男神を祭る山より流れる「男神川」に由来することが書かれてあります。白山三所の祭神は、越前及び美濃側では、御前峰が伊弉冊(イザナミ)尊、大汝峰が大己貴(オオナムチ)尊、別山は天忍穂耳(アメノオシホミミ)尊であり、加賀側では御前峰は菊理媛(ククリヒメ)尊、大汝峰は大己貴尊、別山は大山祇(オオヤマヅミ)命。別山の祭神は伊弉諾尊ではないようですが、男神であることに変わりはなく、尾上郷の名は男神川によるものなのでしょう。因みに、白山越前馬場・平泉寺の近くを流れる女神(おながみ)川の名は、白山妙理権現、即ち伊弉冊尊が女神であることに由来するようです(越前国名蹟考)。
 「四海波」「高砂」「尾上」という名から連想されるのは、謡曲「高砂」であります。「四海波静かにて、国も治まる時つ風、枝を鳴らさぬ御代なれや・・・」。「高砂」は、能郷白山麓に白山の山伏が伝えたという「能郷の能・狂言」(写真1。2010年4月参拝時)の中で現在も奉納されており、白山の山伏たちも、高砂岳から四海波岳を遥拝しつつ舞っていたのかもしれません(今は、白山美濃禅定道にはそれを偲ばせるような地名も記録も見当たりませんが)。
 別山の祭神は、天照大神の太子である、天忍穂耳尊です。自らは高天原に留まり、息子の邇邇藝(ニニギ)命を「天孫降臨」させました。邇邇藝命は、建国記念日の由来となっている神武天皇の曾祖父に当たります。神話と、ここに恐竜たちが闊歩していた1億年前の堆積岩である、大平壁・・・太古からの悠久の時の流れに想いを馳せるとき、「四海波岳」という名は、この山に実に相応しく感じられます。
 別山(四海波岳)の本地仏は、聖観音菩薩。観音さまが、天忍穂耳尊、即ち別山大行事としてこの山に垂迹した、と白山信仰では見るのです。因みに御前峰の本地は十一面観音菩薩、大汝峰は阿弥陀如来。これらは、日本の神々にも仏性がある、ということを示しています。そして、私たち一人一人にも仏性があるということを。
 「具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故應頂禮」(「観音経」)。飛騨側の視点を取り込むことで、別山、即ち「四海波岳」を、新たな気持ちで遥拝・登拝できそうです。長らく雪雲の彼方にある白山、四海波岳と、相見するのが楽しみです。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝