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白水滝より白山登拝~秘窟巡拝・上

 藤原道長の子、権大納言・藤原能信(長徳元年(995)~康平8年(1065)、権大納言補任は治安元年(1021))の作と伝わる「白山大鏡」第二神代巻初一に、泰澄和尚が養老元年(717)6月11日、白山の「深沙太山之池」で十一面観音菩薩および九頭龍の姿で現われた、正法明如来(観音菩薩の過去身)を拝んだことが記されています。白山七社大権現(白山妙理大菩薩・越南智・別山大行事・金剣宮・中宮・佐良宮・磐根宮)を開いた泰澄和尚は、その後6月15日から7月15日にかけて麓に三道を開き、「正殿南之道」を「正法明如来之道」「成道転法輪之道」、「別山東之道」を「初地之薩タ(土扁に垂)之道」「菩薩説法之道」、「越南智之西道」を「等覚菩薩道」「証菩提道」としています。「初地」「等覚」とは、発心した菩薩が修行を重ねて仏と成るまでの「五十二位」(十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚)の中の位で、「初地」とは「十地」の初地(歓喜地)の菩薩、「等覚」とは、あと一度生まれ変われば仏と成る位、成仏直前の位です。正殿(御前峰)南道(越前禅定道)は妙覚の如来の道、別山東道(美濃禅定道)は煩悩の一部を破した歓喜地の菩薩の道、越南智(大汝峰)西道(加賀禅定道)は等覚の菩薩の道。白山三馬場禅定道とは、菩薩の修行の道です。
 「白山大鏡」第二神代巻初一には、この三所(御前峰・大汝峰・別山)の山中や麓にあった、三十七所の「神仙洞之秘所」が記されています。「越前国名蹟考」に引用されている、野路汝謙の「白山紀行」(江戸時代中期)にも
「大きなる霊窟あり。転法輪といふ。(中略)大師山上行法の三十七か所のひとつなり」
「大御前の後の山をみせんが嶽といふ。焼崩れたるすさましき石峰也。是も秘所のひとつと云。」
と記されており、かつての九州・求菩提山に百を越える窟があり、二十八宿・四十八宿とまとめられていた(「豊州求菩提山修験文化攷」)のと同様、古の白山の山伏たちも三十七の秘窟で修行していたことが想像されます。「三十七」とは、金剛界曼荼羅の三十七尊、あるいは、お釈迦さまが説かれた苦を滅するための三十七道品(四念処・四正勤・四如意足・五根・五力・七覚支・八正道)に基づくものでしょう。

「初心に道を行ずるには、三十七品をもって止観を調養し、四種三昧をもって菩薩の位に入る」
「道品は、これ大涅槃の近因なり」
(「摩訶止観」)

10月24日、白山の秘窟や、翠ヶ池・千蛇ヶ池・御厨池の順拝も兼ね、飛騨・大白川の白水滝から白山に登ってきました。
 未明に白山美濃馬場・白山中宮長瀧寺参拝。


豪潮律師の宝篋印塔に、正法明如来はじめ過去・現在・未来の三世の一切諸仏を拝みました。

「南無過去正法明如来。現前観世音菩薩。」(四明尊者「千手眼大悲心呪行法」)

夜降り始めた雨は早くも止み、寒さもありません。が、御母衣に車を進めると、小雨。大白川沿いの県道に入って白水滝入口に駐車。6時すぎ、カッパを着て歩き始めました。紅葉に彩られた白水滝。


たいした雨でなく、かえって汗ばむのでカッパを脱ぎました。登山口のポストに登山届を入れ、雨垂れと薄霧と紅葉の中を上へ。


7時半すぎに大倉山避難小屋通過。


霧雨で展望はありませんが、上空にうっすらと青空も見えます。山頂部へと登ってゆき途中で山道を離れ、8時半に御厨池(みくりやのいけ)参拝。


(「御厨池」については、当ブログの過去の記事をご参照下さい。
2015.10「大白川より白山登拝」
2017.11「白水滝~白山登拝」l
2018.4「翠ヶ池・千蛇ヶ池・御厨池」)
「白山大鏡」第二神代巻初一には前述のように、養老元年6月11日、泰澄和尚が「深沙太山之池」で十一面観音菩薩と九頭龍の姿で現われた正法明如来を拝んだことが記されているのですが、この「深沙太山之池」について「池の岸に常磐木生え、神験霊相を廻隠す」と記されています。この池が、「泰澄和尚伝記」で泰澄和尚が九頭竜王と十一面観音菩薩を感得した「緑碧池」と同じ池であることは間違いありませんが、当ブログ「翠ヶ池・千蛇ヶ池・御厨池」に記したように、泰澄大師白山開山の池が現在のどの池であったかは、定かとは言えません。池の岸に常盤木が生えているという光景は、ほぼ不毛の火口池である翠ヶ池や千蛇ヶ池とは明らかに異なり、藪の中にひっそりと鎮まる御厨池にこそ相応しく感じられます。「大法師浄蔵伝」に記されている、浄蔵法師が白山で夏安居された時に故老から聞いた「昔、神融(泰澄和尚の別号)という名の苦行人が景雲(慶雲(704~707)?)年中に白山を開き、法華経の功力で毒龍悪鬼を御厨という池に籠めた」との伝承や、「白山紀行」の
「(転法輪の窟から)又二町余谷を下りて御厨とてすさまじき池あり。大師禅定の時九頭竜出現の所なりと云。」
との記述からも、この御厨池が泰澄大師の前に白山妙理大権現即ち十一面観音さまが影向された池であった可能性は、高いと思われるのです。


 御厨池の下方には岩が聳え立っており、残雪期は御厨池は雪の下なので、雪上の島のような岩場がよい目印になります。今年(2018年)6月に此処を訪れた際の記事に「岩場の下は上を残雪に覆われて窟のよう」と書きました。本当に窟があるのでは?と思い、御厨池からハイマツ帯を隔てた岩場へ。


今年の白山はまだ雪が積もっておらず、岩場にほんのわずかな雪。


周囲の岩の上にはホシガラス。


岩の下には野人や獣が独り入り込めそうな隙間があります。


降りてみると、中には数人坐れそうな空間があります。


上を見上げたところ。


ヘッドランプで下を照らすと、さらに深く隙間が続いているのが見えました。


かなり深そうです。地底からの空気の流れ。「白山紀行」には、転法輪の窟の中に
「橋ある水あり。深奥は別の一世界なりと云。」
とありますが、この窟の下にも別世界があるのかもしれません。「白山大鏡」の三十七所の神仙洞の二十三番目に「深沙龍宮底洞」があり、
「白山娘(白山妙理大菩薩)之住、九頭八龍居」
「正法明如来の浄土、無明之雲晴れ法性之月顕わる」
と記されています。泰澄大師白山開山の「深沙太山之池」が御厨池だとすれば、「深沙龍宮底洞」はこの窟に他ならないでしょう。地底の別世界に潜ってゆきたくなりましたが、ロープもなしで潜ってゆけばそのまま出られなくなる恐れもあり、私はまだ入定したくはないので、窟中で勤行を修して地上に戻りました。岩の裏側にも小さな池が二つあり、周辺には他にも地底への入口が開いています。



白山の三十七の秘窟のいくつかは、この辺りにあったのかもしれません。
 秘窟に潜っている間に雨は止みました。登山道に戻って室堂に出、山頂へ。


青石に題目をお唱えし、高天ヶ原に天照皇太神を拝み、10時に御前峰登頂。



雪はほとんどありません。


勤行を修し、転法輪の窟へと下ってゆきました。この窟へは、ここ数年は毎年残雪期に南側から傾斜45度のカチンコチンに固まった雪渓を横切って参拝しており、無雪期に訪れるのは久しぶり。雨に湿ったハイマツの海を漕ぐのは大変なので、山上から谷筋を降下。北側に絶壁が見えます。


が、此処は転法輪の窟ではありません。隙間はあり、此処も三十七所の秘窟の一つでしょうか。


さらに下ると、何もしなくても石が転げ落ちてゆくような危険な谷に。かつて、転法輪の窟の北側から上に登った時、通った処です。注意しながら下ってゆくと、南側に転法輪の窟が現われました!


いつもとは反対側から参拝した転法輪の窟。


「白山紀行」に、
「大きなる霊窟あり。転法輪といふ。大師(泰澄大師)参篭の秘密にて窟中に橋ある水あり。深奥は別の一世界なりと云。近来は長滝寺の住侶阿妙院奥へ入て篭れりと云。此僧一生不犯の戒力を以て奥を見たりといへり。」
とあり、石徹白に伝わる「白山名所案内」(安永6年(1777))には、「朝日之岩屋」として
「大御前の東山六分転法輪とも号す、卅七ヶ所之秘所之一つ、蓬莱宮是なり、昔者所々之行者此岩屋え入る故に霊説多く正徳年中(1711~16)中宮長瀧寺の座主阿名院道賀法印岩屋え入り三日三晩にして岩戸え出何とも内の様体を不語して二度人輪の入べき所にあらずと石を以て岩戸を閉、其後は出入する人なし」
とあります。長瀧寺阿名院の道雅法印は戦国時代の人なので、正徳年中に窟を塞いだのが誰であったかは分かりません。また、この窟が三十七所の秘窟の「蓬莱宮」というのも、「白山大鏡」に三十七所の第十七番「蓬莱仙宮洞」は「正殿南西岩屋洞秘所」とあり、正殿東の転法輪の窟とはそぐいません。第十四の「日輪宮神仙洞」は、
「霊山の釈迦の影向現われ、常に法輪を転じて妙法を説く」
とあり、この窟に相応しく思われます。窟の入口が閉じられたとしても、どこかの隙間から中に通じているはず、窟周辺にはなんとか潜り込めそうな隙間もあります。


窟にて法華経如来寿量品偈や舎利礼文をお唱えし、お釈迦さまと正法明如来(観音さまの過去身)を供養。法輪を転じるとは、正法を説くことに他なりません。
(つづく)
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝