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母袋烏帽子岳


 台風去って、中秋の名月がようやく雲間に現れた10月1日早朝、白鳥で坐禅。夜が明けてみると、意外に雲の多い朝でした。白鳥から大和町大間見の白山神社に寄り、母袋へと向かいました。
 奥母袋総社(冒頭写真)に祀られている、落合白山神社の本地仏・十一面観音菩薩をはじめとする諸仏菩薩に参拝し、9時すぎ、母袋スキー場前に到着。
 明治元年(1868)の「神仏分離令」と、それに続く排仏棄釈の荒波を越えて、村人たちがこれらの仏像を大事に守り通してきたことの、なんと尊く、有り難いことでしょうか。白山に於いては、泰澄大師が養老3年(719)白山頂に十一面観音菩薩像を安置して以来、山上に祀られてきた多くの諸仏菩薩の尊像が、明治の神仏分離によって下山させられ、あるいは破壊されました。境内に白山を祀る社殿と天台宗寺院が共存していた白山信仰の三拠点、加賀白山寺・越前平泉寺・美濃長瀧寺に於いても、白山寺のお堂は取り壊されて白山比メ神社と改称、平泉寺も廃止されて白山神社として登録され、長瀧寺は白山神社と長瀧寺に分割されました。
 白山信仰の眼目は、養老元年(717)に泰澄大師が白山に登拝し、白山神の本地仏として十一面観音菩薩を感得したことでありましょう。白山の主神は、各地の白山神社によって伊弉冉尊であったり伊弉諾尊であったり菊理媛尊であったりと、まちまちです。多神教である日本の神道では、各時代に支配的であった主義主張や個人の好み合わせて、白山の神が様々な姿で拝まれてきたとしてもおかしくはありません。しかし、神としての仮の姿の奥に、本地として十一面観音菩薩を拝んだところにこそ、白山への個々様々な見解を統一し、超越した見地が開かれた、と言えるのではないでしょうか。
 スキー場からは登山道ではなく、谷を東へと詰めてゆきました。途中で左手の尾根に取り付き稜線上に出ると、登山道とは言えないまでも、獣や野人が歩くには手頃な尾根です。この尾根を東へ。左手の樹間に母袋烏帽子岳が見え隠れし、カモシカがこちらを覗いていました。


10時、小ピーク着。南(古道方面)と南東(寒水方面)に下る踏み跡がありますが、北の藪尾根へと進みました。
 途中、背丈を越える頑固な笹を掻き分けつつ北へ縦走すること40分。左手からの尾根と合流し、登山道に出ました。全身ドロドロ状態。「フナの道」と書かれた案内板があり、藪を漕いできたせいか、ふと、鮒の姿が頭に浮かびましたが、周りはブナ林でした。
 10時50分、母袋烏帽子山頂に出ると、藪中をガサガサと動く獣がいました。ご挨拶にホイッスルを鳴らすと東の斜面へ移動してゆき、やがてそちらの方から鹿の鳴き声が響いてきました。 
 山頂は乳白色の雲に覆われ、展望は皆無。


白山の方に向かって観音経を読誦して坐すと、雨が降ってきました。山頂の北にもう一つのピークが見え、笹藪を掻き分けて北上。5分程で北ピークに着きました。


藪です。
 山頂に戻ると、雨は止むどころか勢いを増してきました。幸い、頭上には木が茂っており、さほど濡れることはありません。11時半すぎ下山。しっとりとした雨の中、素直に登山道のある尾根を下ってゆき、12時20分に駐車場着。登山道を使えばアッという間ですが、登りは気ままな藪漕ぎを楽しめました。このような天候の日には山中は静かで、獣も野人も気ままにすごせます。
 帰り道は、大和町下栗巣の薬師堂に参拝し、西洞林道を上がって大和町小間見へと下りました。ひっそりとした峠に立っておられるお地蔵さまに、合掌、礼拝しました。


 生きとし生けるものたちに、幸いあれ。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝