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洲原神社・法伝の滝巡拝


 12月1日、紅葉に彩られた白山前宮・洲原神社に参拝。神社の前を流れる長良川は鏡の如く澄み渡り、神の岩の上から陽光が降りそそいでいました。



美濃市と郡上市の境に近い此処から、長良川に沿って白山まで延々と続く白山美濃禅定道。秘めた想いを胸に、白山三所権現を拝みました。
 長良川沿いに車で20分程北上し、法伝橋の手前に駐車。山側に少し登ると、法伝の滝があります。


延宝7年(1679)、此処で修行をしていた円空上人は、「是在廟 即世尊」という白山神のお告げを感得したのでした。滝前で般若心経をお唱えし、釈尊、白山権現即ち十一面観音菩薩、滝にお祀りしてある不動明王に礼拝し、暫し端坐しました。
 白山の本地仏である十一面観世音菩薩を生涯に亘って彫り、白山連峰を源流とする長良川畔で入定された円空上人。上人の「神託」の意味を穿鑿するのは、人の食べ滓をあさるのと変わりありません。大切なことは、円空上人の如く、自ら白山を礼拝し、自ら白山と相見し、自ら白山と対話をしてゆくことでありましょう。
 車で法伝橋を渡り、長良川右岸を北上して勝更白山神社に参拝。その後、右岸を清流を見ながらずうっと南下して、美並の熊野神社に向かいました。


円空上人は、千多羅滝(法伝の滝)でのご神託を背に書いた十一面観音菩薩像と不動明王像を此処に奉納しています。巨大なご神木を前に、西側の山を背にした境内は、荘厳な空気に充たされていました。拝殿にて熊野大権現に参拝し、左手にあるお堂へ。念仏をお唱えし、諸仏菩薩に投地礼をしました。
 投地礼とは、跪き額ずき、仏様のおみ足を頭上に頂戴する、仏教の正式の礼拝です。しかし、一つ間違えば形だけの土下座になりかねません。それにひきかえ、言葉をうまく発することのできない方が、感謝の気持ちを示そうとしてするおじぎには、本当に人の心を動かすものがあります。形ばかりでなく、心のこもった礼拝を行じてゆきたいものです。
 12月3日早朝、再び法伝の滝を訪れました。滝前にて観音経をお唱えし、滝の上へと登ってゆきました。白山の展望を求めて北東へ、薄い藪の尾根をどんどん上がること40分、左手の樹間に白山の姿が見えてきました。さらに登ると岩のあるピークに辿り着きましたが、高木が立ち並んで白山は望めません。来た道を少し戻ると、樹間に白山を遥拝しながら坐すことのできる、平らな岩がありました。三ノ峰~別山、そして山頂御前峰と剣ヶ峰。白山と向き合って、正身端坐。


真っ白な白山を前に坐していると、興奮は冷め、妄想、空想も静まってきます。風にカサカサと鳴る枯葉の音、麓から響いてくる渓流のさざめき。不思議なことに、何か考えごとをすると忽ち、寒さに身体がブルブルと震えてきますが、吐く息に意識を集中して坐すと、震えも妄想も止まります。あらゆる妄想も虚飾も剥ぎ取った処に残るモノは何か…一時間坐し、岩上で白山に向かって十一遍投地礼をしました。真白きお山の前に残ったモノ、それは、「嘘、偽りのない心」でした。
 下りは白山を右手に拝みつつ、西への尾根をしばらく下りました。


南側へ谷を渡って、来た尾根に戻り、滝に下って般若心経をお唱えしました。法伝橋の手前にある法伝の滝の説明文には、「霊峰白山が一望できる名滝」とありますが、この滝は南西に向いており、北北西にある白山は見えません。また、滝の上の辺りからも、白山は山々の陰になって、どんなに背伸びをしても見えませんでした。人の食べ滓をあさっていては決してホントの処は掴めない、ということを、白山権現は明白に示してくださいました。
 下山後、歩いて10分程の処にある千虎白山神社に参拝。嘘、偽りのない心で礼拝を行じてゆく決意を、新たにしました。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝