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烏帽子岳巡拝

 10月1日、白鳥で参禅した後、郡上八幡城下の岸剱神社に参拝しました。


此処に祀られている宝剣は元々、八幡の町を流れる吉田川の源流・烏帽子岳の頂に、白山を開山された泰澄大師が祀ったと伝えられています。養老6年(722)、元正天皇の病が泰澄大師の加持によって治り、天皇は神融禅師の号と宝剣を授けたそうです。泰澄大師は烏帽子岳に21日間籠山し、不動明王を感得したのでした…。岸剱神社ご宝前で不動明王ご真言と白山権現ご宝号をお唱えしました。郡上八幡城まで登ると、吉田川の彼方に高賀山が拝めました。


ふと、烏帽子岳頂から此処まで流れてきた宝剣の跡の巡拝を思い立ちました。
 10月8日朝6時、明宝・二間手白山神社に参拝。


泰澄大師が亡くなってから約二百年後、烏帽子岳の宝剣は泰澄大師のお告げによって吉田川を見下ろす此の地に遷され、此処は鳥居宮と呼ばれるようになりました。治承2年(1178)の干魃の際、宝剣を吉田川の岩上に祀って雨乞いをした処、雨が降って宝剣は流れ下り、八幡に遷座したのでした。鳥居宮に参拝の後、車で吉田川沿いの「せせらぎ街道」を上ってゆきました。紅葉はまだ、枝の先端が色づいた程度。
 めいほう高原に駐車して6時半出発。未舗装の林道を登ってゆきカモシカにご挨拶。苔に覆われた道が渓流沿いに高度を上げてゆきます。


一時間程登った処で雌シカに出会いました。



林道から登山道に入ると、急な登りに。草は刈られており藪の心配はありません。色づき始めた樹々をうっすらと霧が包み、雄シカの声が山に響いていました。


稜線に出て烏帽子岳へ向かうと、イノシシが私に気づいて山頂方面へと走り去ってゆきました。
 8時半、烏帽子岳登頂。


霧で展望はありません。三角点の周囲にある石は、泰澄大師が宝剣を祀った「諸願成就の宮」の遺構でしょうか。白山の方を向き、般若心経、不動明王ご真言、白山権現ご宝号をお唱えしました。向かいの藪中で獣の歩く音がするのでホイッスルを吹きましたが、一向に逃げる気配がありません。先程のイノシシでしょう。石上に正身端坐し、慈救呪(不動明王ご真言)を大きな声で一心に誦しました。
 9時に坐を立ち、慈救呪を念じながら気良烏帽子まで行道。


10分程で登頂すると、東から流れてくる霧の合間に日が差し、南に気良の集落が垣間見えました。


樹上ではカケスが戯れ、麓からは雄シカの甲高い鳴き声。坐しながら、宝剣とは何であろうか、と思惟しました。10時に烏帽子岳に戻ると、北側の視界が開けていました。


白山方面(北西)は樹が茂ってよく見えません。白山に向かって投地礼をし、再び気良烏帽子へ。霧が薄らぎ、北西に鷲ヶ岳の山腹やひるがの高原が見えました。


南には気良の集落がくっきりと望めました。


 宝剣とは何か。伝教大師(最澄)は、「宝とは道心なり」とお教えになりました。様々な悩み、苦しみ、あるいは楽しみに、浮草の如く浮き沈みしている此のはかない人生の中で、二進も三進もいかなくなった時、宝剣、即ち道心の剣、菩提心・利他心の剣に照らして、新たな一歩を進めてゆきたいものであります。
 11時下山。宝剣が山頂から下流に下っていった如く、渓流沿いに道を下ってゆきました。


12時半すぎに駐車場着。帰りに気良の巣河の宮に参拝しました。


宝剣は八幡まで遷りましたが、烏帽子岳頂の白山妙理大権現は山麓の人々を見捨てることなく、今も此処に祀られています。

道心の中に衣食あり
衣食の中に道心なし
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝