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白山遥拝・窟籠り

 先月まで二十五ヶ月間、半月ごとに白山鳩居峯のうち五宿の順拝を続けてきましたが、このようなことをしていると、得てして山での経験を鼻の先にブラさげて天狗になり、初めてその山域に登った頃のような純粋な心を失ってしまいがちです。某山で百日回峰行をした挙句、セクハラ長老になられた方もおられます。天狗やパワハラ僧兵やセクハラ長老にならぬよう、私もここらで自分を見つめ直す必要がありそうです。
 11月15日は順拝行はやめ、日の出前に手ブラで私の白山遥拝所に登って白山三所権現を遥拝。


別山(本地・聖観音菩薩)と御前峰(本地・十一面観音菩薩)の中央奥に大汝峰(本地・阿弥陀如来)。11月1日に真っ白に冠雪した白山三所権現でしたが、半月経ってまた雪のないお姿に逆戻り。


御嶽山の噴煙が、朝焼けに色づいていました。


やがて東の山の端より朝日が昇ってきました。


白山に向かって勤行。観音さまは、過去世には正法明如来であり(「千手眼大悲心呪行法」)、現世で菩薩行を修して命終の後、来世に阿弥陀仏の極楽浄土に生まれ(「無量寿経」)、阿弥陀さまが涅槃に入られた後に仏と成られるお方(「大阿弥陀経」)。十五世紀の詩僧・万里集九の観音賛に、

二十五圓通ノ密意
三生、若許(いかばかり)花因ヲ結ベル

とあるように、過去・現在・未来の三世に生死して生きとし生けるものを救ってくださる、三生躰の仏菩薩。白山三所権現のお姿に、正法明如来即ち観音さまの三生躰を拝みました。富士山鬼門の御正体山(みしょうたいやま)で文化12年(1815)に入定された妙心上人は、

「三生躰大権現」
「かしこくも祈誓をかけよ三生躰五穀成就蚕繁昌」
「三生躰八方志やうめんにおいて入生にいる
南無阿弥陀仏
妙法蓮華経」

と記しておられますが、二百年前に妙心上人が御正体山に拝んだものは、私が今、白山に拝んでいるものと同じものでしょうか。
 谷を下り、滝へ。


滝の脇に洞穴があり、ヘッドランプを点けて中へ。数m奥まで続いています。


滝壺の向こうの洞穴へ、ジャブジャブと膝上まで水に浸かって入洞。


けっこう長く、入口が見えなくなるまで続いています。窟内は外よりも温かいです。突き当たりに坐し、勤行・坐禅。


入口の方から滝の響き。ヘッドランプを消すと真っ暗ですが、目が慣れてくると、入口側から幽かな光が感じ取れます。

灯が消えた時、闇の中に飛び込めば見えてくる。(U2「ブラックアウト」)

暗闇の中では、耳・鼻が目となり、手・足が目となり、心が目となります。白山・御厨池(みくりやのいけ)の如く、心に開けた眼。


(2017.11登拝時)

両目浄キコト青蓮華ノ如シ
故ニ我レ弥陀尊ヲ頂禮シタテマツル
(「十二禮」)

白山妙理大権現は、み仏は、外から見ておられるのではありませんでした。内から、内奥から観ておられるのでした!闇中開敷青蓮華。

 一時間半ほどして窟外へ。


山の外面をグルグルと千回、万回駆け巡り苦行しても、内奥に、中心に至ることはできません。本当の行とは、登るにつれていよいよ低く、深く、広くなるものだということ、浄土は山の上ではなく、心の深層にあるのだということが、長年の堂々巡りの末にようやく分かってきました。


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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝