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葛飾渋江・木下川巡拝

 5月12日午前、東京スカイツリーに程近い四ツ木駅で下車。駅から北へ街を少し歩いて西光寺に参拝しました。


西光寺は嘉禄元年(1225)の創建、この地の領主・葛西清重が親鸞上人より自筆の阿弥陀如来像を与えられ、弟子となって寺を建立したとのことです。当然、浄土真宗の寺でありましたが、戦国時代に兵火にかかり、江戸時代に天台宗の寺として再興され現在に至っています。
 葛西清重は下総国葛飾郡の南西部・葛西地域(現在の葛飾区・江戸川区等)の豪族で、この地域を伊勢神宮に寄進し、当地は「葛西御厨(かさいのみくりや)」と呼ばれていました。清重は奥州藤原氏討伐で戦功を挙げ、源頼朝より藤原氏滅亡後の初代奥州総奉行に任じられました。石巻の日和山(ひよりやま)に石巻城を築いたと伝えられています。西光寺の少し西に、葛西清重のお墓がありました。


念仏をお唱えし、葛西氏一族と、三年前の大津波で亡くなられた方々に回向しました。
 西光寺から街を東へ歩き南に進むと、白髭神社がありました。


江戸時代には「葛西の客人(まろうど)大権現」と呼ばれ賑わっていたそうです。客人権現とは、平家物語に「客人と申は、白山妙利権現にておはします」とあるように、延暦元年(782)に比叡山八王子麓に現われたという白山妙理大権現を、天安2年(858)日吉山王七社の一つ・客人宮として祀ったものであります。当地渋江に勧請されたのが何時かは定かでないようですが、明治の神仏分離で廃寺となった別当寺・清宝山観正寺(天台宗)は延徳3年(1491)創建とのことです。ご宝前にて本地・十一面観音菩薩ご真言と客人(白山)権現ご宝号をお唱えしました。
 客人大権現から住宅街を南へ歩き、木下川(きねがわ)薬師に参拝。貞観2年(860)創立、本尊は伝教大師(最澄)作の薬師如来です。


般若心経と薬師如来ご真言、伝教大師ご宝号をお唱えしました。木下川薬師から綾瀬川を越えて荒川河川敷に下りると、荒川の向こうに東京スカイツリーが聳え立っていました。


川の流れを前に正身端坐。河口側からの強い海風に、川は逆流していました。帽子が飛びそうな爽快な風。河口側に船堀のタワーが見え、現在「葛西」と呼ばれている処はその先ですが、かつてはこの下流も上流もすべて「葛西」と呼ばれていました。「下総国葛飾郡」は現在の東京・千葉・埼玉・茨城境にまたがっており、葛飾郡南部の西側(現・葛飾区、江戸川区、江東区等)は葛西、東側(現・市川市、松戸市、船橋市等)は葛東と呼ばれていたそうです。因みに私の故郷も、三十数年前までは東葛飾郡◯◯町と称していた「青べか」の町の隣町、爽やかな海風は故郷の風です。
 川は海につながり、海は石巻にも長良川にもつながっています。海は、空は、この地球上を何処までも何処までもつながっているのでした。この地球上の何処にいても、同じように呼吸し、坐し、歩くこと。それが順礼に他ならぬと気づかされました。山で呼吸し、歩き、坐すように、川でも街中でも呼吸し、歩き、坐すこと。浄土で、僧堂で呼吸し、歩き、坐すように、娑婆でも修羅場でも呼吸し、歩き、坐すこと。晴れの日も雨の日も同じように呼吸し、歩き、坐すこと。一歩一歩、到る処が白山であり、故郷であり、浄土であるように。
 木根川橋の上から荒川下流側に、船堀や新浦安が見えました。


橋を渡った処に日枝神社があったので、日吉山王権現ご宝号をお唱えしました。八広駅は目と鼻の先でしたが、四ツ木駅のロッカーに荷物を置いていたので橋を戻りました。
 私は、「葛飾郡」のように県境や国境を越えて存在する「ボーダーランド」に惹かれます。白山の周辺にも越前・飛騨・美濃に渡って存在する広大な「大野郡」があります。人間がこしらえた仮初めの「縄張り」のこちら側でもあちら側でも、お互いが同じように呼吸し、歩き、坐すことができますように…。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝