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初瀬~多武峰~飛鳥巡拝・上

 7月14日朝、大和の長谷寺駅から参道を歩いてゆくと、雨が強まってきました。


カッパを着て與喜天満宮に参拝し、長谷寺へ。仁王門から本堂までの登廊には屋根があるので助かります。高さ約十mのご本尊十一面観音さまの下で、般若心経と十一面観音菩薩ご真言をお唱えしました。そのお姿は、大慈大悲そのものでありました。十一面観音さまのおられる本堂の周囲を絶えず経行しておられる方がいました。私もこれから、山を経行しにゆきます。
 本堂から本長谷寺、五重塔と巡拝すると、空が晴れてきました。本坊前から本堂を遥拝。


本堂の左上に続く、初瀬山の稜線。長谷寺を出て西側の墓地に上る山道をゆくと、道は尾根に沿ってずっと続いていました。雨は止まず、下草が濡れているのでフットカバーを付けてもズボンと運動靴はグショグショです。一時間程歩いて11時半前に初瀬山頂に着きました。雨は止みませんが空は明るく、初瀬山を越えて下ると、霧の中にウグイスの声が響いていました。


 正午前、迹驚淵(とどろきのふち)に出ると鹿が二頭走り去ってゆきました。池畔の高山神社には善女龍王が祀られています。白河(しらが)川の源流であり、麓の白河の人たちからは竜(りょう)さんの池と呼ばれているそうです。


雨は止み、巻向山へと南上する林道を登ってゆきました。
 池から少し登った処に、四囲をしめ縄で囲まれた丸い石組がありました。


12時半に巻向山登頂。展望はありません。


巻向山から南西に林道を10分程下るとお寺があり、その手前に白山(しろやま)への登り口がありました。登ってみると、白砂に覆われた岩場に出ました。


まさに「白山」です。岩場の奥に踏み跡が続いており、ピークまで登るとイノシシの親子に出会いました。瓜坊がチョコチョコ走り去ってゆきました。岩場に戻って正身端坐。白い砂、青い松。山中にありながら、此処は海を想わせます。


 上空には雲の間に青空。暖かな日射しと、涼しい風。下から響く渓流の音。観音さまの浄土「普陀落山(ふだらくせん)」は海上にあるといいます。十一面観音菩薩のご真言をお唱えし、白山妙理大権現に投地礼をして12時半に山を下りました。
 すぐ下の奥不動寺に参拝すると、高齢の和尚さまがお茶を出してくださいました。迹驚淵の上の、しめ縄を張った円石のことを尋ねると、今、山麓に住んでいる人たちの祖先は、昔は山の中に横穴を掘って暮らしていた、それを思い出して、麓の人たちが毎年しめ縄を張ったりしている、とのことでした。白山(しろやま)のことを尋ねると、学者は、城があったから「しろやま」だと言うけれど、本当は白い山だから「しろやま」なんだと教えてくださいました。砂浜の如き「白い山」を体感してきたばかりの私には、老僧の言うことがよく分かりました。この寺はいつからあるのか尋ねると、記録は分からないが随分昔からある、日本一古いとも言われている、とのこと。確かに、この辺りは古くから開けていた「まほろば」、すぐ西の三輪山をご神体とする大神神社は、日本最古の神社といわれています。
 奥不動寺から黒崎へ下る山道を歩いてゆくと、路傍に石仏が祀ってありました。


奥不動寺から30分弱で黒崎の白山神社着。雄略天皇の朝倉宮はこの辺りにあったようです。此処に白山神社が勧請されているのは「しろやま」の麓だからかもしれません。


車道を桜井方面へ歩いてゆくと、白山橋(しろやまばし)がありました。橋を渡って川沿いに上り、忍坂(おっさか)から車道を西へ。雨が強まり、白山でせっかく乾いた服がまた濡れました。カッパを着て聖林寺を目指しました。
 16時前に聖林寺着。


和銅5年(712)、多武峰(とうのみね)の妙楽寺別院として藤原鎌足の長子・定慧和尚が建立。国宝の十一面観音さまは、元は大神神社の神宮寺に祀られていたそうです。明治の「神仏分離」の災難から避難してこられたといえます。雨でドロドロの身なりでしたが、足を拭き、ズボンの裾をまくって参拝させていただきました。観音さまも、元は山から里に下りてこられたはずです。普陀落の山から、白山の頂から、三輪山から麓へ、愚かな私たち衆生の苦を抜き、楽を与えるために…。
 聖林寺を出ると雨は止んでおり、三輪山を拝むことができました。


聖林寺から安倍文殊院へ。大化元年(645)に安倍倉悌麻呂が創建した、日本最古の寺院の一つです。ご本尊の文殊菩薩に参拝し、釈迦堂へ。こちらの釈迦三尊さまは、かつて多武峰妙楽寺のご本尊でありました。明治の神仏分離によって妙楽寺は廃されて談山神社となりました。このご三尊も、此処に避難してこられたといえます。妙法蓮華経如来寿量品偈と三尊ご真言をお唱えしました。
 境内の東の奥には室町時代に勧請されたという白山堂があり、その手前には十一面観音さまの像が祀られていました。



勧請された理由として、説明書きには当山に生まれた陰陽師・安倍晴明と白山の関係が書いてありましたが、むしろ「しろやま」の存在が大きいのではないでしょうか。おそらく、三輪山の奥の白い岩場は太古から「しろやま」と呼ばれていたことでしょう。雪深い越の白山が「しらやま」と呼ばれていたように。養老元年(717)に越(こし)の大徳(後の泰澄大師)が白山頂翠ヶ池にて十一面観音菩薩を感得して以来、白山の本地は十一面観音菩薩とされていますが、もしかしたら、古くから「しろやま」と呼ばれる山があり古くから十一面観音菩薩像が伝来していたこの辺りの方が、「白山」と十一面観音さまの初縁だったのかもしれません。神亀4年(727)に長谷寺に十一面観音菩薩を祀られた徳道上人は、その十年程前、つまり泰澄大師の白山開山と同じ頃、長谷寺の北西の「白山」に現われた悪鬼を修二会の法力によって調伏した、と伝えられています(白山(しろやま)は長谷寺の北西というより西ですが)。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝