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根尾谷断層

9月に入ってもすっきりしない天気が続き、山にも行けずなりにけり。しかし、震災や土砂災害で避難を余儀なくされている方々を想えば、山に行けないなどと身勝手なことは言っておれません。

小雨の中、明治24年(1891)に発生した濃尾地震の震源地・根尾谷断層を訪れました。濃尾地震はマグニチュード8.0、最大震度7、七千人以上の方が亡くなりました。能郷白山を挟んで越前側に温見断層、美濃側に黒津断層、根尾谷断層、梅原断層などが出現し、岐阜や大垣など市街地で火災が発生、東海道本線の長良川鉄橋が落ち、名古屋城の石垣や櫓も崩壊しました。

濃尾地震の震源地、本巣市根尾の水鳥(みどり)地区。120年以上たった今でも、上下6mの断層崖が屹立しています。



地震断層観察館から断層沿いに北へ歩き、安立(あだち)神社へ。南に断層観察館を見つつ根尾谷断層崖を登り、参拝しました。





安立神社は震災前からあったようですが、創建や由来は不詳です。その社名は、法華経の安立行(あんりゅうぎょう)菩薩を想起させます。

安立行菩薩とは、この娑婆世界の大地が震裂して地中から湧出した無量無数の菩薩を率いる、四菩薩(上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩)のお一人です。お釈迦さまが、これら無数の菩薩はすべて自分が教化した者たちであると説かれたのに対し、弥勒菩薩をはじめとする大衆は、釈尊が成道されてから40余年の間にどうやってこんなにたくさんの菩薩を教化することができたのか、と疑問を抱きます。そこで、お釈迦さまは自分が王子として生まれ、出家し、悟りを開き、涅槃に入る「歴史上」の存在であるばかりでなく、無量無辺の昔に成道し、常に法を説いている「久遠実成の本仏」であることを説き明かされたのでした。安立神社にて法華経如来寿量品偈と安立行菩薩、白山権現ご宝号をお唱えし、震災で亡くなられた方々に念仏を回向しました。

地震断層観察館では、当時の写真や根尾谷断層の断面を見ることができ、また、地震体験もできます。震度5の地震を体験し、それを上回る激震と同時に大断層が出現した様を想像すると、その凄まじさに圧倒されます。大断層の出現と同時に無数の命が奪われ、無量の苦しみが生じました。しかし、同時に「安立行菩薩」の如く人々の為に立ち働く人々も出現しました。全国の医師が駆けつけ、岡山孤児院を創設した「児童福祉の父」石井十次さんは、濃尾地震の被災孤児の救済に尽力されました。

根尾水鳥から根尾川沿いに国道を南下して金原(きんぱら)の横ずれ断層に着くと、猿の軍団が出迎えてくれました。此処では根尾谷断層が水平方向に約8mずれ、まっすぐだった道が曲がっています。



お祀りしてある馬頭観音さまに掌を合わせました。




濃尾地震により、金原から伊自良、高富、関、可児にかけて梅原断層が出現しました。伊自良の手前にある雛倉白山神社に参拝。拝殿の裏山に急な石段が続いていました。



登ってゆくと、小山の頂に本殿が鎮座。



観音経と白山権現ご真言・ご宝号を誦しました。如何なる困難の中にあっても安らかに立ち上がる者、それが観音菩薩であり、安立行菩薩であり、あらゆる菩薩でありましょう。

伊自良の越切坂には、濃尾地震の梅原断層が残っています。



古墳の脇の小道をズボンに草をいっぱいひっつけながら進むと、馬頭観音さまがおられました。



その先の右手に断層崖らしき斜面がありましたが、断層なのかはよく分かりません。



此処は上下に1~2mずれているそうです。梅原断層に近い高富も被害が大きかったようで、当時の記録には「山縣郡高富ハ全市街悉ク崩潰シ死者甚多シ」とあります。馬頭観音さまに掌を合わせました。

近江学園を創設した糸賀一雄先生は、障害児療育の土台は「生命の安全」と「情緒の安定」だと述べておられます。このことは、おそらく被災者の支援にも、また、「安立行菩薩」の働きにも当てはまるのではないでしょうか。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝