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鳩居峯中五宿巡拝~晩秋

 一ヶ月ぶりに白山鳩居峯のうち五宿順拝。先月まで半月ごとに行じてきましたが、惰性的になってしまいそうなので、敢えて一月待ちました。今後も毎月巡拝続けます。
 今朝(11月29日)はカメラ持参で入峯。昨年(2017)はこの時期、峯々は雪化粧していましたが、今年は一昨年(2016)同様、まだ雪がありません。冬期に備え、長靴履いて長瀧寺参拝。豪潮律師の宝篋印塔の上に月を拝みつつ、宝篋印陀羅尼を誦しました。


入峯して四十分で一ノ宿(本地・不動明王)参拝。越美国境尾根へと上ってゆく途中、カケスのものと思しき羽が散らばっていました。


肉体は見当たりません。念仏をお称えし、喰われたカケスと喰ったモノの業を、そして自分の煩悩と業と苦を弔いました。
 越美国境尾根に出ると、既に紅葉は散って樹間に見張らしがききます。空には黄金の太陽と、白銀の月。入峯二時間弱で二ノ宿着(具体的な場所は不明、本地・釈迦如来)、全く雪のない大日ヶ岳拝みつつ如来寿量品偈をお唱えしました。三ノ宿の沢の清水は水少なめ。三時間で三ノ宿三角点登頂、毘沙門岳の後ろに雪化粧の別山(本地・聖観音菩薩)、そして夢のように白い御前峰(本地・十一面観音菩薩)と、両峯の中央奥の大汝峰(本地・阿弥陀如来)。


白山三所権現=阿弥陀三尊を拝みつつ、三ノ宿本地・阿弥陀さまにお念仏。日差しは温かですが、けっこう冷たい北風。鞍部へ下り、西山へ。途中、西山と毘沙門岳の間に白山を遥拝。


笹藪へ突入し、入峯四時間半で西山登頂。


藪越しに白山を拝みました。


 西山から拝む白山三所権現は、別山と御前峰のちょうど真ん中に大汝峰が頭を覗かせる、均整のとれた「山越来迎」のお姿。御前峰の向かって右には南白山、別山の左には三ノ峰が控え、三ノ峰・二ノ峰・一ノ峰・銚子ヶ峰と右前に下る美濃禅定道の峯々が、さらに右の芦倉山へと繋がっています。石徹白に伝わる「白山名所案内」(安永6年(1777))に、

「桃子之岑
是を陽の峯といふ、大御前に胎内潜り是を陰の峯といふ、父母の陽門陰門是なり是初登山の道者行場なり」

とあります。桃子之岑とは銚子ヶ峰のこと。銚子ヶ峰が「陽の峯」、御前峰が「陰の峯」であったというのです。11月9日に越後・能生の権現岳と鉾ヶ岳に登った際の記事に、権現岳の胎内洞と鉾ヶ岳の金冠に「陰」と「陽」を感じたと記しましたが、白山にも「陽の峯」と「陰の峯」があったのでした。ただ、銚子ヶ峰からは別山は見えるものの、御前峰は見えません。また、金冠のような険しさもありません。
 「白山名所案内」によれば、白山三所権現の祭神(垂迹神)は

大御前妙理権現 伊弉諾伊弉並尊
白山別山大行事 天忍穂耳尊
越南路大権現 大己貴命

です。しかし、白山三所権現の祭神は各地の白山神社によっても、また時代によっても一定していません。飛騨の伝承を伝える「斐太後風土記」(富田禮彦編、明治6年大成)には、白山麓・尾上郷村の名の由来について、

「此の村へ流れ出る川の水源は、白山三社の内、伊弉諾尊を祭りたる越前の別山の裏嶽にして、四海波嶽なり。其は男神を祀りたる山より流れ出る川なれば、男神川といへる義なるべし。」

とあり、飛弾側では四海波嶽と呼ばれていた別山(江戸時代の「官許飛弾国全図」にも、別山は「四海浪岳」と記されています)の祭神が、男神(をがみ)、即ち伊弉諾尊であったことが記されています。別山の祭神が男神(「日本書紀」には「陽神」(ヲカミ))である伊弉諾尊とすれば、銚子ヶ峰から別山を含む山並が「陽の峯」、そして女神(陰神、メカミ)である伊弉冊尊を祀る御前峰一帯が「陰の峯」であったのかもしれません。


 「陽の峯」(別山、本地・聖観音菩薩)と「陰の峯」(御前峰、本地・十一面観音菩薩)の中央奥に鎮座する、大汝峰(本地・阿弥陀如来)。それはあたかも、陰と陽の対立を超越した、浄土のよう。観音さまは過去無量劫に正法明如来であり、現世で命終の後、極楽浄土に生まれ変わり、阿弥陀さまの涅槃後にみ仏と成られるお方。陰と陽、過去世・現世・来世を超越したお方に掌を合わせ、大悲心陀羅尼を誦しました。陽の峯の銚子ヶ峰から下には、丸山~芦倉山~大日ヶ岳~毘沙門岳を経てこの西山に続いている、鳩居峯の尾根を一望。


 西山から厳しい藪を降下。藪で視界の得られぬ尾根から、鞍部でなく谷へと下ってしまいやすい場所を塞ぐかのように、今年9月の台風21号で根こそぎ倒れた大木。


まさに、神風です。先の大戦以来、「カミカゼ」という語は間違った意味で世界に広まってしまいました。私たちは「神風」の本来の意味を、反省と共に、海外にもっと発信してゆかねばなりません。
 入峯から五時間半弱で多和ノ宿(本地・毘沙門天)に参拝。


水の無い毘沙門谷から笹藪を漕ぎ、宿から四十分ほどで毘沙門岳に登頂しました。山頂に、護摩札が置いてありました。このようなお札(ふだ)は、二年前頃から白山美濃禅定道の祠等で目につくようになりました。誰もいない祠や山頂にコレ見ヨガシに置いてあるお札を見ると、何のため、何を祈願して置いてあるのやら、疑問を感じまする。護摩札とは何かを祈願して護摩供を修し、満行の後に寺院に奉納したり、お世話になった人たちにお配りするものでしょう。私もかつて、某山で二十一ヶ座の護摩供の前に護摩札を書き(もちろん梵字も)、満行の後、直接ご挨拶に出向いて御供と共に護摩札をお渡ししたものでした。山に一日二日登って護摩札を配れる人というのは、かなりのオエライお方。御供もなく、ポーンと立てかけてあるのも不思議です。誰のため、何のため?祠を管理しておられる方に直接挨拶に行って渡すか、渡せないなら祠の中などに御供と共にそっと奉納するほうがよろしくございません?祠に湯呑みを奉納したなら、お茶やお水を定期的にお供えしに来なければ無意味です。護摩札も、たまに来た祠にポーンと置きっぱにしてよいのでしょうか。かく言う私も、かつて、余ってしまった紙の護摩札をとある神社の祠に置き、御供を賽銭箱に入れたことがありました。後日参拝した時、お札は雨に濡れてグチャグチャになり、風に吹き飛ばされていました。

「あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」(「マタイによる福音書」6.17-18)

「只念佛申て行脚すべし。亦は油断無、呪陀羅尼をくり、何千遍何萬遍と巡禮札に書付、處處に打巡て業障を盡すべし。」(鈴木正三「驢鞍橋」)

 毘沙門岳より南に西山・三ノ宿、さらに平家岳・美濃平家岳・滝波山、高賀の山並を遥拝。


北へ下ってゆき、石徹白の集落の奥に両翼広げた白山連峰を拝みました。


桧峠の泰澄大師像を無雪期は隠してしまう看板は、積雪に備え撤去。国坂宿(本地・十一面観音菩薩)にて観音経をお唱えし、過去正法明如来現前観世音菩薩を供養。古の美濃禅定道を下って日没前に長良川畔の悲願寺に下りました。日が早くなってきたので、御坊主ヶ洞へは登らず、平家橋を渡ってガラン神にお参り。長瀧寺文書によれば、かつては泰澄大師作の虚空蔵菩薩が祀られていたようです。長瀧寺を北からお守りする、ガラン様。


長瀧寺に戻った頃には、すでに日が暮れていました。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝