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多度山登拝

 17日朝、長良川を下って立田大橋を渡り、弥富の観音さまに参拝。戦没者慰霊の為に造立されたという観音さまの御前で読経し、今日で20年目になる阪神淡路大震災と、今年で70年目になる第二次世界大戦の犠牲者を追悼しました。
 次いで、木曽・長良・揖斐の三川を渡って多度大社へ。観音堂には十一面観音菩薩と千手観音菩薩がおられました。天平宝字7年(763)、多度神のご神託により満願禅師(万巻上人)が建てた神宮寺のご本尊が、この十一面観音さまであったそうです。


万巻上人は天平宝字元年(757)に箱根山で箱根三所権現を感得し、祀っています。霊亀元年(715)、越前の気比神のご神託を受けた藤原武智麻呂が神宮寺を建て、養老元年(717)には越前の泰澄大師が白山に十一面観音菩薩・聖観音菩薩・阿弥陀如来を本地とする白山三所権現を感得して祀りましたが、万巻上人は泰澄大師らによって始められた神仏習合の流れを受け継ぎ、さらに弘めた方だといえます。
 小雨の中、多度大社に参拝して門前の車道を東へ。地蔵堂にお参りしてしばらく進み、正午に愛宕神社の鳥居をくぐって山道に入りました。愛宕神社に参拝して登山道へ。


五合目に出ると、木曽三川の彼方に名古屋が望め、雨は雪になりました。


愛宕社跡からは三川と伊勢湾が見渡せました。
 山頂部には公園がありますが、公園には寄らず、藪中の踏み跡を徘徊。大きなアンテナが林立しています。北側の視界が開けると、岐阜の百々ヶ峰と金華山が見えました。


揖斐・長良・木曽の三川が、両白・伊吹山地や白山連峰、御嶽山の方から流れてくるのが見てとれます。南側には山上公園周辺のアンテナ群。


日差しはありますが、西から雪風が吹いていました。
 13時に下山、来た道を戻り、愛宕社跡にて三川を眼下に正身端坐しました。


20年前の阪神淡路大震災の時、私はスペイン南部に滞在していました。海外の新聞やニュースでも大々的に報じられるその惨状に、わが目を疑いました。当地の人々はキリスト教徒(カトリック)ですが、「マエストロ・コードー・サワキ」(澤木興道老師)のお弟子(弟子丸泰仙老師)がヨーロッパに伝えた禅を熱心に修している方々もおられました。私もアパートの一室の「ドージョー・ゼン」で彼らと一緒に坐し、「マカハンニャハラミッタシンギョー」を共に読んだものでした。当地は北アフリカに近いこともあり、歴史的にイスラム文化の影響も大きな処でした。モロッコから来た留学生と、瞑想について対話したことがあります。坐禅する時に何を考えるのか?との質問に、何も考えず、只坐るのだ、と答えたら、びっくりしていました。彼の話では、イスラムの瞑想では神さまのことを考えるようでした。
 木曽・長良・揖斐の三川は、御嶽・白山・両白山地など異なる山々に源を持ち、それぞれの道を流れてゆきますが、最後は大海に帰して一つに混じり合います。


そのように、様々の信仰にもそれぞれの源、それぞれの道がありますが、帰する処は一つなのではないでしょうか。神の国、浄土、涅槃…言葉は違っても、信仰の目指す処は「平和」でなくて何でありましょう?
 かつて、日本人は八百万の神々を排除することなく仏教徒となりました。気比神や多度神が仏法に帰依し、白山でも箱根山でも、仏・菩薩が日本の神々の姿をとって現われました。明治政府は神仏を分離し、多度でも箱根でも白山でも何処でも、神宮寺や別当寺は廃寺とされてしまいましたが、私は、日本の神仏習合・神仏共生の伝統には、世界に誇れるものがあると思います。
 下山後、長良川沿いの白山神社に参拝し、南西に多度の山並を遥拝しました。



白山の白雪は、山が見えなくとも、川に、そして海にも拝めるのでした。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝