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白山の陰と陽

 白山の三所権現、即ち白山妙理大権現(御前峰)・別山大行事権現(別山)・大己貴権現(大汝峰)の本地の仏身は、十一面観音菩薩・聖観音菩薩・阿弥陀如来でありますが、垂迹の神体は、文献によってまちまちです。しかし、今から約千三百年前に白山三所権現を開かれた泰澄和尚(神融禅師)にとって、本地仏と垂迹神はきちんとした意味をもった妙理であったはずです。
 白山の開山説話を伝える「泰澄和尚伝記(たいちょうかしょうでんき)」によれば、霊亀2年(716)、越前の越知山で修行していた泰澄和尚の夢に貴女が現われ

「我ガ霊感ノ時至レリ、早ク来ルベシ」

とのお告げを受けました。


(越知山より拝む白山、2014.11)

翌養老元年(717)、伊野原の林泉(平泉寺の御手洗池)に至り、日夜、大音声で礼拝念誦していると、かの貴女が現われて

「我レ天嶺ニ有ト雖モ恒ニ此ノ林中ニ遊ブ、此処ヲ以テ中居ト為シ、上ミ上皇ヲ護リ、下モ下民ヲ撫ヅ。(中略)吾身ハ乃チ伊弉諾尊是也。今ニハ妙理大菩薩ト号ス。(中略)吾ガ本地ノ真身ハ天嶺ニ在リ、往キテ礼スベシ。」

と告げたのでした。


(平泉寺御手洗、2016.5)

貴女の姿の神が、「私は伊弉諾尊である」と曰っているのです。伊弉諾尊(イザナギノミコト)は、もちろん男神です。この記述を伊弉冊尊(イザナミノミコト)の誤記と思われる方もおられるようですが、「貴女」は「吾身ハ乃チ伊弉諾尊是也。今ニハ妙理大菩薩ト号ス」と告げた後、

「吾レ乃チ日域男女ノ元神也、天照大神ハ乃チ吾レ伊弉諾尊ノ子也」

と曰っています。天照大神(アマテラスオオミカミ)は、伊弉諾尊が伊弉冊尊と黄泉平坂(ヨモツヒラサカ)で決別した後、禊をして左目を洗った時に生まれた子であり、間違いなく伊弉諾尊の子です。「泰澄和尚伝記」を元に鎌倉時代後期に書かれた「元亨釈書」の「白山明神」の項にも、 このお告げが引用されており、さらに
「白山明神ハ伊弉諾尊也。」
とハッキリ記されています。白山越前馬場・平泉寺の「白山権現講式」の写し(享保禄3年(1530)、大原・勝林院所蔵)も、
「吾身ハ乃チ伊弉諾尊是也」
と「泰澄和尚伝記」に従っています。ただ、「伊弉諾」を「イザナミ」と読ませています。「泰澄和尚伝記」によれば、泰澄和尚はその後、白山天嶺に登って「緑碧池」の畔で一心不乱に礼拝念誦していると、九頭龍王が現われ、これは真身にあらず、と、さらに加持していると、ついに十一面観自在尊の玉体が現われたのでした。涙を流しつつ仏足を頂礼した泰澄和尚が

「像末ノ衆生ヲ必ズ抜済利益シタマヘ」

とお願いすると、観音さまは金冠を揺らし慈眼を瞬き、領納されたのでした。
 これらの開山伝承によれば、白山妙理大権現・本地十一面観音菩薩の垂迹の神体は、男神(陽神)であり日本の父である伊弉諾尊です。しかし、「白山曼荼羅」に描かれる白山三所権現の中尊、即ち白山妙理大権現は、どれも女神(陰神)のお姿です。「泰澄和尚伝記」でも伊弉諾尊が「貴女」の姿で泰澄和尚の夢に現われているので、矛盾はしていませんが、白山曼荼羅を拝むとき、やはりこの女神は伊弉冊尊として拝みたくなります。そもそも、両翼をいっぱいに広げた真っ白な白山三所権現の山並を拝むとき、そこに自然と感じられるのはやはり、女神でありましょう。「泰澄和尚伝記」の貴女の姿の伊弉諾尊、さらに「白山権現講式」の「伊弉諾尊」の文字と「イザナミノミコト」の読みには、深いワケがありそうです。
 「泰澄和尚伝記」では、泰澄和尚が緑碧池で十一面観音さまを拝んだ後、白山妙理大権現から見て左の峯、即ち別山にて小白山別山大行事の本地である聖観音菩薩を拝み、右の峯、即ち大汝峰にて太己貴(大己貴命、オオナムチノミコト)、本地・阿弥陀如来を拝んでいます。


(大汝峰から拝む御前峰と別山、2018.6)

別山大行事の垂迹神の名は記されていません。石徹白に伝わる「越白山大社小社尊号鎮所写」(寛保3年(1743))には、「泰澄和尚伝記」の引用(抜粋)に続けて白山三所権現の祭神が記されています。

大御前妙理大権現 伊弉諾伊弉冊尊
小白山別山大行事 天忍穂耳尊
大己貴権現 大己貴命

一方、平安時代後期・藤原能信作と伝わる「白山大鏡」には、白山妙理大菩薩の本地は十一面観自在尊・垂迹神は伊弉冊、越南智の本地は正法明(正法明如来、観音さまの過去身)・垂迹は伊弉諾、別山大行事の本地は聖観自在・垂迹は天忍穂耳尊となっており、白山加賀馬場の「大永神書」(大永7年(1527))は「白山大鏡」の記述に倣っています。大己貴権現の本地仏として、観音さまの過去身である正法明如来の名が記されていることは、白山三所権現が過去正法明如来・現前観世音菩薩・現世で命終の後は極楽浄土に往生し、阿弥陀さまの涅槃後にみ仏となる未来仏の「三生体」であることを明らかにしており、重要です。ただし、「大己貴権現」の垂迹神を伊弉諾尊としているのは、矛盾しています。白山妙理大権現を女神である伊弉冊尊としてしまうと、伊弉諾尊を祀る処がなくなってしまうからでしょうか。しかし、「泰澄和尚伝記」や「白山権現講式」に見られる女体の伊弉諾尊や「伊弉諾尊(イザナミノミコト)」といった両性具有的記述からすれば、白山妙理大権現の垂迹を伊弉諾尊伊弉冊尊の両神とするのが妥当であると思われるのです。
 御前峰の陰陽両神を、別山と大汝峰の垂迹神と合わせて白山三所権現を拝んでみれば、そこにある深い意味に気づかされます。白山曼荼羅の白山三所権現はどれも必ず、中央に御前峰、白山から見て左(向かって右)に別山、白山から見て右(向かって左)に大汝峰が配置されており、白山を越前側や西美濃から遥拝したときのお姿です。


(法恩寺山より、2017.6)


(伊吹山より、2013.12)

白山曼荼羅には、中央の御前峰から別山側に赤い太陽、大汝峰側に白い月が必ず描かれています。これは、石徹白に伝わる「白山名所案内」(安永7年(1777))に、別山から美濃禅定道の道筋にある桃子之岑(銚子ヶ峰)について

「是を陽の峯といふ、大御前に胎内潜り是を陰の峯といふ、父母の陽門陰門是なり」

との記述とも合致しています。別山の垂迹神である天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト) は天照大神の子であり、天照大神は伊弉諾尊の子。天忍穂耳尊の子である邇邇芸命(瓊瓊杵尊、ニニギノミコト) は大己貴命(大国主神)の国譲りの後、高天の原から地上に降臨した天孫・皇孫です。つまり、白山曼荼羅の向かって右側は、伊弉諾尊~天照大神~天忍穂耳尊~瓊瓊杵尊という、わが国の神の「陽」の系譜を表しています。
 一方、白山曼荼羅の向かって左側、大汝峰の垂迹神は大己貴命(大国主神)。大己貴命の先祖は須佐之男命(素戔烏尊、スサノオノミコト)。須佐之男命は、天照大神の弟です。父の伊弉諾尊が黄泉の国へ亡き妻・伊弉冊尊を追ってゆき、蛆にたかられ変わり果てた妻の姿を盗み見てしまったため、伊弉冊尊に追われて逃げ戻り、黄泉平坂(ヨモツヒラサカ)を千引の石で塞いで妻と決別した後、禊をして左目を洗ったときに天照大御神、右目を洗ったときに月読神、鼻を洗ったときに須佐之男命が生まれたのでした。須佐之男命は父から海原を治めるよう命じられたものの、

「僕(あ)は妣(はは)の国根の堅州国に罷らむと欲(おも)ふ」(「古事記」)

つまり、伊弉冊尊のいる黄泉の国へ行きたい、と泣き続け、伊弉諾尊から勘当されてしまいます。その後、姉の天照大神が治める高天の原に挨拶に行って大暴れし、天照大神は天の岩屋戸に隠れてしまいます。八百万の神々によって天照大神が岩屋戸から引き出された後、須佐之男命は追放処分となり、出雲で八俣大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して須賀に宮を建て、後に伊弉冊尊(黄泉津大神)のいる根の堅州国(黄泉の国)で大神となったのでした。大己貴命は根の堅州国に須佐之男命を尋ね、様々な試煉を乗り越えて須佐之男命の娘・須世理毘賣(スセリビメ)を連れて地上に戻り、出雲を平定したのでした。つまり、白山曼荼羅の向かって左側は、伊弉冊尊~須佐之男命~大己貴命という、わが国の神の「陰」の系譜を表しているのでした。
 中央の御前峰が伊弉諾尊・伊弉冊尊の両神であることは、陰と陽の融和・融合を表していることになります。これこそ、泰澄大師即ち神融禅師による白山開山の、本義といえましょう。泰澄和尚が緑碧池で礼拝念誦していたとき、初めに現われたのは九頭龍。私にはこの龍の九頭は、黄泉の国で蛆虫にたかられながら体から八柱の雷神を生んだ伊弉冊尊であり、約束を破ってこのような姿を盗み見た伊弉諾尊への、死して後まで地上での役割に固執し、伊弉冊尊が命を落としてまで産んだ火の神を怒りにまかせて殺してしまい、変わり果てたこの姿を見ては逃げ去った伊弉諾尊への、心情の現われと思われます。 しかし、泰澄和尚がさらに念誦を続けると、十一面観音さまの玉体が示現したのでした。このお姿こそ、陰と陽の融合、決裂した伊弉冊尊と伊弉諾尊の、日本の母と父の和解、意識下の世界と意識の世界の融和であると思われるのです。
 十一面観音さまの本面は、日本の母である伊弉冊尊。宝冠の八面は、八雷神。これらは、黄泉の国、陰、意識下の世界を表しています。宝冠の上の頂上面は、伊弉諾尊。地上・天上の世界、陽、意識の世界。天地を支えているのは広大な地下の世界であり、意識をささえているのは広大な無意識の世界。

「内はほらほら(広々)、外はすぶすぶ(すぼまっている)。」

大己貴命が黄泉の国で須佐之男命から矢を取ってくるよう命じられ、火を放たれたとき、ネズミが教えた言葉です(「古事記」)。大己貴命は地下世界でさらに地下に潜り、難を逃れたのでした。この洞は、黄泉津大神即ち伊弉冊尊の胎内であったでしょう。
 十一面観音さまの本面と頂上面の間に立つ化仏、それは阿弥陀如来です。白山大己貴権現の本地は阿弥陀如来、この化仏は、黄泉の国から須佐之男命の試煉に打ち勝って、須佐之男命のぶっきらぼうでありながら心のこもったはなむけの言葉を受けつつ、地上に戻った大己貴命を思わせます。十一面観音さまの後頭部で時空を超えた笑い声を発している暴悪大笑面は、須佐之男命でありましょうか。
 泰澄大師は、またの名を神融禅師(神融法師)といいます。「泰澄和尚伝記」には、神亀2年(725)、行基菩薩が白山禅定妙理大菩薩に参詣し、泰澄和尚に権現垂迹の由来を尋ねています。泰澄和尚の答えに行基菩薩は手をたたき、

「禅師諱神融ト号ス、元正天皇ノ勅喚誠ニ所以有ルカナ」

と感心しています。「神融」とは、神と仏の融合という意味だけでなく、神と神との融和、陰と陽との、父と母との、意識と無意識との融和であったのでした。


(泰澄大師開山の小田原・量覚院(秋葉大権現)、本殿には「神融」の額。2018.12.6)

 広大深淵な「陰」の世界に蓋をして、抑圧しようとしても、それでは必ず破綻をきたします。かといって「陰」の世界に取り憑かれ、呑みこまれてしまってはおしまいです(泉鏡花の「高野聖」で美女に惚れた者が動物に変えられてしまうように)。陰と陽の融和、対立するものの結合、決別したものの再会、意識の世界と無意識の世界の調和、それが、泰澄大師即ち神融禅師による白山開山の、深意でありましょう。


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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝