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白川・黒川巡拝

 10日、雪の中、美濃・白川町へ。大山白山神社の本地・十一面観音菩薩を祀る観音堂があるという水戸野を訪れました。公民館から坂を歩いてみましたが、お堂らしきものは見当たらず…。役場に電話してようやく場所が分かりました。観音経と十一面観音菩薩ご真言、白山権現ご宝号をお唱えしました。


この観音さまは、大山白山頂・白山神社の神宮寺本堂(現・拝殿)に祀られていましたが、明治維新の際の神仏分離令により下山を余儀なくされ、苗木藩による徹底した廃仏毀釈の難を避ける為、藩領でなく旧幕府直轄地であった大山南麓・水戸野の地で大切に守られてきたとのことです(「白川町史」)。
 大山白山の白山妙理大権現は、西隣の七宗・水晶山から遷坐したと伝えられ、水晶山の白山妙理大権現は水晶山北麓の金山町から分祀されたそうで、元は泰澄大師が金山・下沓部に草庵を結んで白山権現を勧請したことに由来するようです(「金山町史」)。これらの言い伝えは、十一面観音菩薩を本地とする白山信仰が、白山美濃馬場から郡上・和良を越えて東濃に広まっていったことを表わしているのでしょう。観音堂に登る参道には石仏や名号碑などが並んでいました。廃仏毀釈の難を逃れた仏さまたちでしょうか。


 白川を一旦下り、白川の南を流れる黒川を遡りました。黒川地区には、苗木藩の廃仏毀釈で首を切られたお地蔵さまがあるとのこと。北に「お山様」が見えてきました。


山裾の細道を行きつ戻りつし、地元の方に尋ねてもみましたが、お地蔵さまのことはご存知ないようでした。お地蔵さまに会うことはできませんでしたが、お堂があったのでお参りしました。


 高台にある中学校方面へ車を進めると、佐久良太神社に着きました。


神亀元年(724)、泰澄大師が白山権現を勧請して建立。白山神社と称していましたが、明治維新の際に旧苗木藩の命を受け、佐久良太神社と改称したそうです(「白川町史」)。背後に聳える「お山様」には、奥之院が鎮座しています。神社からさらに上へ車を進めて大野峠方面への林道に入ってすぐ、右手に鳥居が現われたので停車。


鳥居の左下には「佐久良太神社」、右下には「至下呂金山道」の石碑と、観音さま。佐久良太神社から「お山様」への登拝路であろう、と直感し、長靴を履いて13時に出発しました。山道を新雪が覆っていましたが、かんじきを履くほどではありません。途中、何回か林道を横切りましたが、山頂部まで信仰の道は続いていました。


 山頂部は雪の林道歩き。


深い処は膝下まで沈みますが、乾いたサラサラの雪です。展望台から南に黒川の集落が見下ろせました。


40分程で登頂。立派な幣殿があり、祭神は「洲原大権現 子安大明神」とあります。元は、白山権現を祀った「白雲山近松寺」の宝殿であったとのこと。美濃の洲原神社は白山美濃馬場の前宮、本地は白山権現と同一です。ご宝前にて般若心経と白山三所権現ご真言・ご宝号をお唱えし、わが子の受験合格をお祈りしました。



幣殿の奥の石段を上ると、山頂に奥之院が鎮座していました。山頂は樹が茂って展望はありません。雪が西から寂かに舞っていましたが、日も差してきました。


 幣殿に戻って軒下に坐しました。此処にもかつては白山本地・十一面観音菩薩がおられたことでしょう。近松寺は廃仏毀釈で廃寺とされました。明治のみならず、仏教の弾圧はインドでも中国でも日本でもありました。唐に渡って巡礼していた慈覚大師(円仁上人)は、武帝による「会昌の破仏」に遭遇し、袈裟を輪にして危難を乗り越えたといいます。破仏・廃仏に至る因縁は、おそらく仏教徒側にもあったことでしょう。名聞や利養を貪ったり、独善的になってしまわないよう心したいものです。また、無慈悲な弾圧をした者にも、必ずその果報はあるでしょう。
 此処にも大山白山頂にも、そして霊峰白山の頂にも、今は仏像は祀られていません。しかし、仏像を撤去しても、仏さまとその教え、教えに順って生きる人々は撤去できません。バーミヤンの大仏を破壊しても、仏さまの法身は金剛不壊です。白山信仰の山々から十一面観音菩薩の像を排除しても、泰澄大師が白山頂で感得した十一面観音菩薩は不生不滅です。増えもせず、減りもしません。
 一時間程して下山。山頂部から西の尾根上に、金毘羅様が祀られていました。


来た道を下ってゆくと、西に無反山が望めました。


この山にも「お洲原様」が祀られています。大山白山からさらに東へ、白山信仰は広まっていったのでした。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝