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岩滝山より白山遥拝

 最近の世界情勢にも仕事の状況にも、さらには山行予定日の気象状況にも、自分の無力さをしみじみと感じてしまう今日このごろ。本日は夜勤明けでしたが、窓の外には真っ白な白山の頂…天候が持ちそうなので、一眠りしてから白山を拝みに出かけました。
 岐阜・岩滝の六所神社に参拝。


祭神は大己貴命です。神社の裏の山道を上ると峠があり、「右山上・白山神社、左山上・洲原白山」の道標。


右山頂に登って白山神社にお参りし、北側斜面の鉄塔より白山を遥拝しました。


左から右上がりに別山(聖観音菩薩)・大汝峰(阿弥陀如来)・御前峰(十一面観音菩薩)と並ぶ、真っ白な白山三所権現。その手前には武芸川の権現山、右手に高賀山、左手に三尾山。


さらに左には舟伏山、そして能郷白山。


白山と対面して鉄塔下に坐しました。
 己れの無力さ、至らなさ…。仏教で説く八つの苦しみの一つに、「求不得苦」があります。求めても得られぬ苦しみ。平和を、安定を、自由を、理想を求めても、得られぬ苦しみ。その苦しみの原因は何か。それは「我」ではないでしょうか。俺はこうしたい、ああしたい、こうすべきだ、ああすべきだという我見が、物事をあるがままに柔軟に見ることを遮り、無理に求め、求めるものが得られなければ怒り、あるいは「俺は無力だ」と落ち込む…。
 白山が真っ白に輝いているのは、雪が日の光を無心に、素直に反映しているからでしょう。白山が光明に輝いているのを見て、ふと、自分もさっきから太陽に照らされていたことに気づかされました。


白山ばかりでなくどの山々も、木々も、鉄塔も、街も、車も、人々も、鳥も、私も、先程からずっと光明に照らされていたのでした。それを見えなくさせていたのは、「我」でした。
「無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間」
白山に向かって観音経を読誦し、投地礼しました。
 鉄塔巡視路を離れて尾根の藪を下ると、正面に金華山と伊吹山が拝めました。


西隣の山頂の洲原白山に参拝して振り向くと、南に名古屋の高層ビルが望めました。



苦しみも楽しみも、悲しみも喜びも、我も無我も、気づいていなくても気づいても、すべては元より、光明に照らされていました。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝