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洲原神社~美並苅安放浪

ゴールデンウィーク中も仕事でビジーな日が続き、気がついたら母の日になっていました。10日、母の日に因んで、泰澄大師の母の伝承が残る母野(はんの)に行くことにしました。

朝10時に白山美濃馬場前宮・洲原神社に参拝。



神社の北側から隧道を歩いて母野に行くつもりでしたが、山側に鳥居と山道があるのを見つけ、先ずはこちらにお参りすることに。山道を登ると、尾根上に社がありました。



尾根は鶴形山の方にゆるやかに上っており、須原トンネルの上を通って西へ。次第に勾配が急になりましたが、踏み跡は続いていました。30分程で鶴形山に登頂。



鶴形山へのダイレクト尾根です。下りは南東への登山道を歩き、奥御前神社跡より長良川を見下ろしました。



奥御前神社は白山三所権現の大汝峰に当たり、本地は阿弥陀如来。念仏をお唱えし、ネパールの大地震の犠牲者に回向しました。奥御前社から渓を渡って大御前神社跡・別山神社跡へ。渓にはタマミズキが高く聳え立っていました。



大御前神社・別山神社は白山三所権現の御前峰と別山に当たり、本地は十一面観音菩薩と聖観音菩薩。



般若心経を読誦して下山しました。不動の滝は連日の晴天の為か、水がチョロチョロ。



今清水神社跡にて地蔵菩薩ご真言をお唱えし、忠魂碑に掌を合わせて11時半すぎに麓に下りました。鶴形山は、白山美濃禅定道の縮図のような山です。

須原トンネルを歩いて神母橋を渡り、長良川左岸の県道へ。往路に登った尾根と鶴形山が見渡せました。



やがて左手には長良川の向こうに国道156。こちらの県道は対岸と異なり、車のほとんど通らぬのどかな道です。正午すぎに母野の白山神社に着きました。



日射しはあるものの空気は涼しく、爽やかな天候です。養老年間に泰澄大師と母がこの地を通り、当時は原野で人家もないので樹の下に野宿された、と伝わる処です。白山を開山された泰澄大師の母は美濃禅定道の母御石まで登り、大師は母の身を案じてやむを得ず石を割り、中に母を閉じこめたと伝えられています。泰澄大師と母は長良川をずっと遡って白山まで登ったのでしょうか。長良川下流から、あるいは高鷲から大日ヶ岳経由で、あるいは明宝の烏帽子岳から等々、泰澄大師の白山開山伝承は美濃側の各地に伝えられており、おそらく越前側・加賀側でも同様でしょう。どれが正しいというものではなく、私はどれも正しいのだと思います。越前の泰澄大師、加賀の泰澄大師、美濃の泰澄大師がいてよいのだと思います。美並の、明宝の、高鷲の泰澄大師がいてもおかしくはありません。泰澄大師の伝承の陰には、実際にその道を白山へと登拝した、無数の人たちの信仰の足跡があるのですから。

母野白山神社から、さらに長良川左岸を北上。左下に長良川の清流を見つつ進んでゆくと黒地の集落を過ぎ、やがて道端に観音さまが現われました。「真海道路跡地」という案内板もあります。



県道の眼下を長良川が流れており、崖を降りてみると岩場に道らしきものがありました。



真海道路とは何ぞや?と思いつつ県道を進んでゆくと、水が湧いていました。「黒地歩岐の延命水」と書いてあります。対岸の国道には自販機があるでしょうが、こちらにはおいしい湧き水があります。さらに歩を進めると、「釋真海」と書かれたお位牌が祀られていました。どうやら、真海さんというお坊さんがこの道を作ったようです。念仏をお唱えしました。さらに先にも江戸時代寛保年間や明治の馬頭観音さまが祀られ、県道の下には真海和尚の古道が確認できました。




13時前、勝原(かっぱら)の子安神社に参拝。



養老6年(722)泰澄大師創建と伝わり、平成2年には境内地が日本の人口重心地となったそうです。神社から子宝温泉の方へ歩いてゆく途中、「真海火定跡」と書かれた案内板がありました。矢印に従って長良川へと降りると、岩場の下に砂浜が広がり、清らかな流れを魚が跳ね、上空にはトビが舞っていました。



こんな美しい処で、焔の中で生身往生された真海和尚とは如何なる人なのか…。後で調べてみたところ、真海和尚は近江の出身、ハンセン病を患い放浪の末に勝原に来られ、黒地と勝原の間の険しい道を命がけで絶壁を削って広げ、安政元年(1854)に道路を完成したそうです。火定に入られたのはその六年後(万延元年)とのこと(井爪謙治「長良川鉄道物語」)。長良川畔で火定に入られた僧といえば、戦国時代の白山中宮長瀧寺・敬愚上人の先例があります。この辺りでは泰澄大師や円空上人の伝承は到る処で見聞しますが、真海和尚の存在を知ったのは初めてです。その陰徳と利他行の実践に、強い感銘を受けました。おそらく泰澄大師や円空上人の名の陰には、真海和尚のような無数の先徳の行持が含まれているのではないでしょうか。

子宝温泉からさらに長良川左岸を北へ。大矢の住宅地を歩いてゆくと、14時前、長良川鉄道の上り列車が走ってゆきました。



帰りに長良川鉄道で洲原まで戻るには、一時間後の次の電車に乗る必要があります。円空仏が祀ってある下田橋を渡り、北辰寺に参拝。



円空さんゆかりのお寺のようです。吉田小学校には昭和60年の人口重心地の碑がありました。近くの若宮八幡宮に参拝。



鳥居には「四海浪平龍睡穏 九天雲静鶴飛高」と書かれていました。

北辰寺の北から長良川を渡り、郡南中学校の脇に鎮座する福野の白山神社に参拝。



すでに15時、電車の音がしないことを祈りつつ国道を北上。峠には馬頭観音さまが祀られていました。下苅安に入ったところでチンチンチンと踏切が鳴り、万事休す。カタンコトンと一両の電車が軽快に走り去ってゆきました。苅安の白山神社に参拝し、苅安駅の手前で三城橋を渡って弘法堂に参拝。



15時45分に美並苅安駅に着きました。



電車が来るまであと30分あるので、さらに北へと歩いてみることに。上苅安の神明神社は車でしょっちゅう通過はするものの、参拝するのは初めて。



本殿のある岩山は「泰澄の岩」と呼ばれ、泰澄大師が岩上で霊夢を見て当社を創建し、苅安を上下に分割したとのことです。白山神社ではないので泰澄大師の伝承があるとは思いもよらず、電車に乗り遅れたおかげでお参りできたのは白山権現の思し召しでありましょう。境内前からは瓢ヶ岳を遥拝しました。




無事に美並苅安駅で上り電車に乗車、洲原駅までカタンコトンと帰りました。



行き当たりばったりの放浪でしたが、思いがけぬ体験をさせていただいた旅でもありました。便利な車や高速鉄道では味わえぬ何かが、徒歩とローカル電車の旅にはあるようです。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝