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武芸八幡~喪山~天王山~権現山巡礼2

(承前)
 12月15日11時、天王山北麓の御嶽社を下り、板取川へ。


喪山の天若日子(アメノワカヒコ)と下照比賣命(シタテルヒメノミコト)の娘・御手洗比賣命(ミタライヒメノミコト)、つまり大己貴命(オオナムチノミコト=大国主神)の孫を祀る真木倉神社にお参りに行きましたが・・・


拝殿は屋根が大破しており、修復中でした。今年(2018年)9月4日の台風21号の倒木による被害であることは、一目瞭然です。普段、近くを車で通ることはありましたが、真木倉神社が被災していたとは知りませんでした。境内はいまだに中まで入ることができません。古い歴史を有する真木倉神社の、一日も早い復旧を祈らずにはおれません。
 真木倉神社から来た道へ戻り、先ほどの御嶽社の山へ。下から見上げると山中に絶壁があり、ただの山とは思えません。


山頂に何かあるのでは、と、御嶽社からさらに登ってみると、山頂に立派な社が鎮座していました。


何がお祀りしてあるのか分かりませんでしたが、北、つまり白山の方角を背に建っているので白山三所権現を拝みました。正午、山中の絶壁上から天王山を遥拝。


山を下って水のない半道川沿いに上流へ車道を歩き、天王山西麓の白山神社と劔神社に参拝。


劔神社は、白山六所王子の金劔宮(本地・不動明王)でしょう。白山三所権現(白山妙理大権現=十一面観音菩薩=伊弉諾尊・伊弉冊尊、別山大行事権現=聖観音菩薩=天忍穂耳尊、白山越南知権現=阿弥陀如来=大己貴命)と王子眷属、および泰澄大師(神融禅師)を供養。白山権現とは「一陰一陽之明神」であり、「等覚妙覚之尊容」です(大原・勝林院に伝わる、平泉寺の「白山権現講式」)。白山三所権現は、神と仏との融合、神と神との、「伊弉冊尊(イザナミノミコト)~須佐之男命~大己貴命(大国主神)」の神系と「伊弉諾尊(イザナギノミコト)~天照大御神(アマテラスオオミカミ)~天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)~邇邇芸命(ニニギノミコト)」の神系との 融和、陰と陽、黄泉の国と高天の原、意識下の世界と意識の世界の融和を表しています。
 二年前と同様、半道(はみち)から西へ登ってゆき、薄藪の尾根を縦走。東に見える天王山は、まるで牛の頭のよう。


牛頭天王の神話は、ギリシャ神話のミノタウロスを想わせます。牛頭天王と同様、牛の頭をもつミノタウロスは、クレタ島のミノス王の妻・パシファエが雄牛と交わってできた子で、迷宮(ラビリントス)に閉じ籠められ、アテナイ(アテネ)から送られた男女を生けにえにしていたそうです。ミノタウロスは、アテナイの王子・テセウスに退治されます。牛頭天王や須佐之男命との違いは、ミノタウロス=悪、テセウス=善と完全に分けられていることでしょう。牛頭天王や須佐之男命は、善と悪、光と影、薬と毒、テセウスとミノタウロスを兼ね備えた神といえます。
 さらに登ってゆくと、岩場から天王山がくっきりと拝めました。


彼方には中央アルプスの白い山並。牛頭天王を拝み、さらに縦走。先ほど登った御嶽社の山の背景に、雪を被った御嶽山が姿を現わしました。


13時半に権現山の鉄塔下に坐し、高賀山と、白い滝波山を遥拝。


冷たい北風、白山三所権現は今日は雪雲の中。白山に向かって勤行しました。山には必ず、見える側があれば見えない側があります。表と裏を同時に見ることはできません。しかし、片面だけではその山の全体を把握することはできません。こちらがあれば、必ず彼方があります。白山と神融禅師の順礼として、光輝く部分だけを見るのではなく、影にも、得体の知れない深淵にも、目をそらさず耳を傾けてまいりたいものです。江戸時代前期の禅僧・鈴木正三和尚の「驢鞍橋」に、

「肥前の国温泉(雲仙)の本尊は、四面菩薩也と云。是四方八方に機の入渡つたる位也。十一面観音と云も其心也。扨(さて)亦如来の湛然として在(ましま)すも、機の十方に圓満せる處也。総而(そうじて)、一方え傾けば、其方え計り機ひけて、脇は打明(うちあく)物也。我も三宝荒神迄(まで)は慥(たしか)に知也。未(いまだ)四面菩薩は知らず、無理にも後へは機くばられずと也。」

とあります。「後」とは、無意識にも通じます。もし目がもう一つつけられるなら、額ではなく頭の後ろにつけたいものです。
 14時に権現山頂の白山権現に参拝。


南側へ下ってゆくと、真っ白な御嶽山のお姿。


尾根を縦走して半道と小知野を結ぶ峠のお地蔵さまに参拝。


さらに尾根をアップダウンし、三角点を経て権現山を北に拝みました。


武芸八幡へ下る尾根は、二年前も間違えましたが、今日も間違えました。まさに、ミノタウロスの迷宮(ラビリントス)。迷った谷から登ってゆくと、樹間に天王山のお姿。


牛頭天王(須佐之男命)が、あざ笑うかのように見下ろしていました。須佐之男命が与えた試煉。テセウスはミノス王の娘・アリアドネからもらった糸を迷宮の入口に結んで中に入り、ミノタウロスを退治して無事に脱出しましたが、大己貴命は須佐之男命の髪を垂木(たるき)に結び、須佐之男命の娘・須世理毘賣(スセリビメ)を連れて黄泉の国を脱出しました。私はといえば・・・天王山と鉄塔の電線が見えたことで自分の位置が把握でき、北西~北東に権現山、高賀の山並、天王山を遥拝。


南の尾根のジュラシックな藪を降下。


今朝、武芸八幡から越えた峠に、16時に戻りました。夕日に掌を合わせ、武芸八幡宮に下りました。



 「古事記」によれば、須佐之男命が出雲で退治した八俣の大蛇(ヤマタノオロチ) は、「高志の八俣の大蛇」と記されています。後に、大穴牟遅神(大己貴命=大国主神)は根の堅巣国(黄泉の国)で須佐之男命の試煉を受け、須佐之男命の娘の須世理毘賣を正妻として地上に戻り日本の国作りを完成しますが、「高志国(こしのくに)の沼河比賣(ヌナカワヒメ)」を妻にした際、須世理毘賣の嫉妬を受けて詫びています。沼河比賣の産所と伝わる処が越後・能生(のう)の鉾ヶ岳の麓にあり、「高志」が「越」であることは間違いありません。


(鉾ヶ岳、2018.11。鉾ヶ岳の名は、大穴牟遅神の別名「八千矛神」(やちほこのかみ)に由来するのでしょう。)
「高志の八俣の大蛇」の神話は、越の国の大蛇が出雲の国の乙女を毎年生けにえにしていたのを、須佐之男命が退治したことになります。「古事記」の八俣の大蛇の姿は、

「その目は赤かがちの如くして、身一つに八頭八尾あり。またその身に蘿(こけ)と檜榲(ひすぎ)と生ひ、その長は谿八谷峡八尾に度(わた)りて、その腹を見れば、悉に常に血爛(ただ)れつ。」

と描写されています。これは、泰澄大師が書写した「根本説一切有部毘奈耶雑事巻第二十一」に説かれる、七頭の「醫羅鉢龍王」にそっくりです。「身に七頭あり、広長は無量である。頭はバラナシ(ベナレス)を枕にし、尾はタクシャシラ(現・パキスタンのタキシラ)にある。かつての悪業によってそれぞれの頭上に醫羅の大樹が生え、風に揺り動かされると膿血流れ悪臭を放ち、常に蝿や蛆にたかられている・・・」。
 越の大蛇はタクシャシラの龍王と同時に、白山天嶺で泰澄大師の前に現われた九頭龍王を想わせます。白山は古くから「越の白嶺(こしのしらね)」「越の白山(こしのしらやま」)と歌にも詠まれてきました。また、泰澄大師は白山を開かれた頃はまだ「神融禅師」とも「泰澄大師」とも諡号されておらず、「越の大徳」あるいは「越の小大徳」と呼ばれていました。越の白山には大己貴命を祀る大汝峰があり、越中の立山にも大汝山があります。美濃の喪山周辺に出雲系の神々が多く祀られ、その開山が泰澄大師(越の大徳・神融禅師)とされているのも、出雲の国と越の国の関係を暗示しているのかもしれません。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝