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長崎慰霊

 14日朝、長崎駅前からかつて曾祖父の鉄工所があった瀬崎町方面へ。昔ガスタンクがあった八千代町の県営バス本局前を歩き、西部ガスを過ぎると橋がありました。寿橋です。橋の先で右折して国道に出、県営バスの裏側へと向かうと、再び橋がありました。八千代橋と書いてあります。橋といっても川は片側にしかありませんが、かつては国道側は運河で、玉杵名橋が架かっていました。この先がかつての瀬崎町一丁目です。


今は完全に国道の敷地となっています。この辺りには長崎新幹線の線路も通るようです。国道を渡ると天理教の建物があり、ビルとの間の小道を上ると防空壕跡がありました。



今は塞がれている御船町防空壕に掌を合わせました。原爆が落とされた時、多くの人々が此処に逃げ込んだことでしょう。瀬崎町は当時、強制疎開地となっていたようで、被爆直前、一丁目には空家が五軒残っていました。鉄工所がこの五軒のうちに入っていたかは定かでありませんが、島原半島に疎開したために助かったようです。もし、幼い父が瀬崎町にいたとしたら(爆心地から約二キロ)…自分というものは存在しなかったかもしれません。
 近くに障害者が働いているパン屋さんがあり、朝食にパンを買って西坂へ。坂を登ると日本二十六聖人殉教地があり、慶長元年(1597)、豊臣秀吉の命により磔刑にされたキリスト教徒の方々に掌を合わせました。


西坂から筑後町に入り、福済寺に参拝。亀の上に立つ大きな長崎観音を見上げ、観音さまの下の霊廟へ。


戦前、国宝建造物であった福済寺は、七十年前、原子爆弾によって焼失しました。観音経と念仏をお唱えし、原爆死没者とすべての戦没者に回向しました。後で見学した浦上の原爆資料館には、爆風でちぎれた福済寺の布袋像の足指がありました。福済寺は爆心地から約二・五キロ。原爆の熱線による火災は三・五キロ先まで延焼したということです。
 福済寺から桜町通りに下り、公会堂前から市電に乗って大浦天主堂下へ。朝からずっと雨でヤッケを着て歩いていましたが、雨はだんだん強まってきました。お寺に着くと雨はますます強くなりました。お墓の前は、神社と寺と教会が見える「祈りの三角ゾーン」。


雨の中、お墓を荘厳して法要。七十年前の惨禍を生き抜いたご先祖さまと共に眠る、幼いわが子。生きていればもう十七才になります。雨がバッグや財布の中までしみこみました。
 墓参り後、大浦天主堂へ。


元治2年(1865)創建のこの美しいお堂は、西坂で殉教した二十六聖人のためにフランスのプチジャン神父が建てました。献堂式の一ヶ月後、250年にわたる禁教下で信仰を守り続けていた浦上の潜伏キリシタンが神父に再会し、拝んだというサンタマリア像。慈悲深い聖母子像の前にしばし座しました。
 電停から市電に乗り、松山町で下車。平和公園に入り、平和祈念像に参拝しました。祈念像よりも、その指が差しているものと、その願いにこそ意味があるのだと思います。祈念像の近くには原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂があり、観音さまや仏舎利が祀られていました。読経し念仏をお唱えさせていただきました。


平和公園から原爆落下中心地にお参りし、原爆資料館へ。資料館に至る道筋に並ぶ様々の石碑の中に、松尾あつゆきさんの句碑がありました。


松尾あつゆきさんは長崎の町なかの家が強制疎開となり、移った先が被爆して奥さんと三人のお子さんを亡くされました。私の曾祖父母と祖父母は、長崎の町なかから強制疎開で親類のある島原半島に移っていたため助かったのですが、松尾あつゆきさんの亡くなられたお子さんの中には私の父と同じくらいの年の方がおられ、もしその方が生きておられたら、きっと私と同じくらいの年の子が、私の子と同じくらいの孫がおられたであろうこと、逆に、もし私の父がやられていたなら、私というものは存在し得ないことを想いました。一体、「私」とは何なのでしょう…。句碑の前で念仏をお唱えしました。原爆資料館の売店には、松尾あつゆきさんの「原爆句抄」がありました。資料館を出ると、雨は止んでいました。原爆死没者追悼平和祈念館へ行き、死没者の名簿の前で掌を合わせました。
 祈念館から山王神社へと向かいました。原爆の爆風に片側だけ残った一本柱鳥居をくぐり、神社境内の大クスを拝みました。



爆風と熱線にやられながらも、樹勢を回復したクスノキ。山王神社は、島原の乱の後、この地(坂本)を通った老中・松平信綱が、風景も地名も比叡山麓に似ているとして日吉山王権現の勧請を提案したことから、建立されたそうです。社殿にて山王権現ご宝号をお唱えしました。神社の近くには被爆した観音さまとお地蔵さまが祀られており、読経して世界の平和を祈願しました。


空は晴れてきて、暑くなってきました。
 七十年前、多くの人々の尊い命を、多くの子供たちの命を、そして多くの未来の命をも奪った、一発の原子爆弾。如何なる理由があろうとも、子供たちの命を、子供たちの未来を、人間が無差別に奪ってよいはずなどありません。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝