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島原巡拝

 14日夜は南島原駅近くに宿泊。翌朝、港の方へ歩いてゆくと、有明海に浮かぶ九十九(つくも)島の後ろに朝日が昇っていました。


九十九島は寛政4年(1792)、雲仙・普賢岳の噴火に伴う大地震によって眉山が海側に崩壊してできた島々。有明海では津波が発生して対岸の熊本や天草を襲い、返す波は再び島原を襲って、島原で一万人、熊本・天草で五千人の命が失われました。
 ホテルと家具店の間の石段を登ると、白山神社がありました。


元々、もっと山側の今村に鎮座していましたが、寛政4年の眉山大崩壊で流出し、文化10年(1813)頃に此処に再建されたとのことです。参拝し、白山妙理大権現ご宝号をお唱えしました。
 宿に戻って朝食後チェックアウト。空は晴れ渡り、暑いです。八幡神社と宮地嶽神社に参拝し、眉山を望みつつ山側へ歩いてゆくと、やがて今村刑場跡に着きました。


江戸時代、罪人の処刑だけでなくキリシタンの処刑も行われていた処です。眉山の大崩壊で埋没後、新たに設置されて明治3年(1870)まで使われていたとのこと。念仏をお唱えし、キリシタン弾圧の犠牲者のご冥福をお祈りしました。樹の茂った刑場跡の隣からは、プールで遊ぶ子供たちの明るい声が聞こえていました。
 刑場跡から北東へ進んでゆくと、桜井寺がありました。慶長16年(1611)に建てられた浄土宗の寺院。境内には地蔵菩薩が祀られており、二童子と三童女の戒名が刻まれています。


眉山大崩壊で流死した子供たちであるようです。桜井寺も土に埋もれましたが、すぐに再建されたとのこと。お地蔵さまの御前で読経して念仏をお唱えし、眉山大崩壊と津波で亡くなられた人々、亡くなられた子供たちに回向しました。桜井寺の近くから、西に聳え立つ眉山を拝みました。


 桜井寺から北へ進むと、白土湖(しらちこ)に出ました。


眉山の大崩壊で噴き出した地下水によりできた湖です。白土湖の背後には眉山。続いて、白土湖に近い江東寺の釈迦涅槃像に参拝。


涅槃像の隣には、島原城を築いた松倉重政と、島原の乱で討死した板倉重昌の墓があります。いずれの墓も眉山大崩壊で流失し、後に再建されたものです。涅槃像の前で如来寿量品偈、舎利礼文、念仏をお唱えしました。
 島原の商店街を歩いて島原城へ。日差しが強く、アーケードは助かります。お城が近づくと、眉山の背後に平成新山が姿を現わしました。


平成2年(1990)に始まった雲仙・普賢岳の噴火で出現した溶岩ドームです。島原城から眉山と平成新山を遥拝し、普賢菩薩ご真言、妙見菩薩ご真言と共に白山権現ご宝号をお唱えしました。


 島原駅で祖母と待ち合わせ、お昼を食べに行きました。駅に戻り、待合室でのんびり会話していると、窓口にダウン症の方と介助者が切符を買いにきました。また、しばらくすると、白杖を持った全盲の方が一人で切符を買いにきました。駅員が応対し、電車が来ると座席まで手引きしていました。地域の中で、障害のある方が普通に暮らしているのを感じました。
 雲仙岳と有明海の間に広がる島原の風光はやさしく、ゆったりとしていて、心が癒されます。島原の乱、島原大変、平成の噴火等、様々な苦難も経てきた島原半島は、私の先祖の、故郷です。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝