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五宝滝~大舩権現山登拝

 8月4日早朝、岐阜県八百津町の大舩(おおふね)神社に参拝しました。



此処から北西に聳える権現山の大舩権現を、応永年間(1394~1427)に此処に遷座したそうです。大舩権現の本地は阿弥陀如来。摂社・白山神社は、それ以前から此処に勧請されていた白山妙理大権現です。大舩権現と白山権現に参拝し、車で北へと上ってゆきました。
 五宝滝駐車場に着き、6時に出発。遊歩道を登ってゆくと、三段の滝が望めました。



上から一の滝、二の滝、三の滝。滝を拝みつつ、滝に沿った階段を登ってゆきました。







一の滝からさらに登った処に尾根があり、遊歩道は此処から下って隣の沢へ。円明の滝と二天の滝がありました。





この二滝は、宮本武蔵が八百津・大仙寺の愚堂国師に参禅していた頃、打たれていた滝だそうです。
 一の滝の上の尾根に戻り、尾根をさらに北へと登ってゆきました。岩を縫って登ると、藪中に踏み跡が続いていました。藪は風が通らず、汗ダクでクモの巣まみれになって北上。尾根をはずさず登ると、6時45分にピークに出ました。其処には、祠の跡と思われる石積みがありました。般若心経をお唱えしました。



南側の樹間には、八百津市街と木曽川がうっすらと見えました。



 ピークからさらに北へ進むと、林道に出ました。林道は風通しがよく、汗が引きます。林道を左へ下り、山間ののどかな集落を西へ進んでゆくと、小高い丘の上に諏訪神社が鎮座していました。



石段を登り、拝殿をくぐって参拝。



本殿の脇には御嶽山大権現も祀られていました。
 諏訪神社から北山の集落に下り、二宮金次郎の像の前を通って林道に入りました。未舗装の林道は風はあまりないものの、空気が湿って重たいせいか、歩くと肌に当たる風が涼やかでした。叢にはヘビがおり、樹にはクロアゲハが舞っていました。



やがて、前方に山の姿。



大舩権現山です。7時半すぎに登山道入口着、山道は樹林で展望はないものの、明るく寂か。ジーッというセミの声と、虫の羽音。上空を飛んでゆく飛行機のかすかな響き。八百津町と川辺町の境の尾根に出、8時に藪中の三角点着。その少し南に社殿が鎮座していました。



 大舩大権現は、天慶年中(938~947)、この山で木曽川の渡船用に桧の大木を伐ったところ、麓に下ろそうとしても動かず、逆に山頂に引き上げると易々と動いたことから祀られるようになり、本地を阿弥陀如来として崇められてきたそうです。ご宝前にて念仏をお唱えし、先の大戦の戦没者に回向しました。社前からは南西の展望が開け、西の藪中では先ほどから「バリバリ」と獣の歩く音がしていました。



こちらが音をたてても獣は逃げることなく、藪の中に佇んでいました。如何なる獣か存じませぬが、大舩大権現をお守りしているのでしょう。音のする方に掌を合わせ、下山しました。
 途中、分岐から反射板に寄り、来た道を戻りました。川辺と八百津の境界尾根でしばし正身端坐。「大舩」、即ち大きな船とは、苦しみの此の岸から、苦しみの滅する彼の岸へと渡るための乗りものでありましょう。大舩権現の本地が阿弥陀さまというのも、うなずけます。念仏とご宝号をお唱えして山を下りました。林道を歩いていると、カモシカがいました。



私が近づくと道をよけてくれましたが、遠くに逃げる気配もありません。挨拶をして別れました。
 北山から諏訪神社前を通り、権現山を遥拝。



10時に滝の上のピークの社跡に戻り、藪の尾根を急降下。途中、坐るのに手頃な岩がありました。宮本武蔵も此処に坐したでしょうか?



さらに下ると、尾根から少し西にズレてしまったようで、一の滝の上流に出ました。清らかな水が轟々と流れ落ちてゆきます。





滝の最上部周辺には岩壁が屹立し、石垣もありました。行場があったのでしょうか。滝上で般若心経を読誦しました。滝の右岸から山腹の踏み跡を辿って下ってゆき、11時前に駐車場手前の稲荷大明神辺りに出ました。
 下山後、大仙寺へ行き、宮本武蔵が愚堂国師に参禅して三日三晩坐したという坐禅石を拝見しました。次いで、杉原千畝記念館へ。第二次世界大戦中の昭和15年(1940)、リトアニアの日本領事館で領事代理を務めていた杉原さんは、ナチスドイツの迫害を逃れてポーランドから来た大勢のユダヤ人のため、独断で日本への通過ビザを無条件に書き続け、六千人のユダヤ人の命を救いました。ユダヤ人たちはシベリア鉄道でウラジオストクに出、船で敦賀に上陸、神戸や横浜から中国やアメリカに渡ったそうです。杉原さんは八百津町北山のご出身。展望塔からは、大舩権現山を遥拝できました。杉原さんの偉大な行為は、まさに、苦しんでいる人々を安全な地に渡す「大きな船」でありました。



 ナチスドイツに殺されたユダヤ人は、六百万人。杉原さんに命を救われた方々やその子孫の方々の手紙をみて、一人の人間の命を救うことが、その人の無数の子孫の命をも救うことになりうること、逆に、一人の人間の命を奪うことは、その人の無数の子孫の命をも奪うことになりうることを実感しました。誰もが先祖代々受け継いできた命の、重み。人の命の重さには、人種も、宗教も、性別も、貧富も、障害の有無も、関係ありません。


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Haxanjunrei

松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝