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武芸八幡~喪山~天王山~権現山巡礼3

 十日前(2018.12.15)の美濃の武芸八幡宮~喪山~天王山~権現山巡礼では、泰澄大師ご開山の寺社と共に出雲系の神々を多く拝みましたが、天王山北麓の御嶽社(福寿稲荷神社の上)には、蔵王権現の垂迹神として大穴牟遅大神と少彦名大神が祀られていました。


役行者が吉野で感得された蔵王権現の垂迹神がなぜ出雲系の神々なのか、不思議に思っていましたが、役行者は

「賀茂ノ役公氏。今之高賀茂者也。和州葛木上郡茆原村人。」(「元亨釈書」)

とあるように葛城の賀茂氏の出です。葛城の高鴨神社の主祭神は阿遅志貴高日子根神(アヂシキタカヒコネノカミ)、即ち出雲の大国主神(大穴牟遅神、大己貴命(オオナムチノミコト))の子。

「大国主神、胸形(宗像)の奥津宮に坐す神、多紀理毘賣命(タキリビメノミコト)を娶して生める子は、阿遅鋤高日子根神。次に妹高比賣命。亦の名は下光比賣命(シタテルヒメノミコト)。この阿遅鋤高日子根神は、今、迦毛大御神(カモノオオミカミ)と謂ふぞ。」(「古事記」)

妹・下照比賣の夫・天若日子(アメノワカヒコ)の喪屋を出雲から美濃まで蹴り飛ばして喪山を作った阿遅志貴高日子根神の後裔が、役行者なのでした。


須佐之男命・大己貴命の後裔である役行者が感得された蔵王権現が、大己貴命と、国作りを補佐した少名毘古那神とされるのも、首肯けます。天王山や喪山の南には、泰澄大師が蔵王権現を勧請された芥見の権現山も見えます。


(天王山より、2018.12.15)
 高天の原から遣わされた天若日子は、大国主神の娘・下照比賣命(阿遅志貴高日子根神の妹)と結婚して出雲側に寝返った為、高御産巣日神の還り矢に当たって亡くなります。天若日子の両親が葬儀の場でわが子にそっくりな阿遅志貴高日子根神を見て、わが子が生き返ったと勘違いした為、阿遅志貴高日子根神は怒り、喪屋を切り伏せ蹴り飛ばしたのでした。この神話は、当時の出雲の国力がいかに強大であったかを感じさせます。阿遅志貴高日子根神の母は、筑紫・宗像の多紀理毘賣命。大己貴命(大国主神)の正妻は須佐之男命の娘・須勢理毘賣命(スセリビメノミコト)ですが、高志国(越の国)の沼河比賣(ヌナカワヒメ)をも妻としています。


(沼河比賣出生地と伝わる越後・能生の鉾ヶ岳麓、2018.11)
また、大己貴命を祀る気多神社、白山の大汝峰や立山の大汝山、越後の出雲崎等、大己貴命の国作りが出雲を中心に九州から越後まで広範囲に及んでいたことが想像されるのです。


(白山・大汝峰、2018.5)


(弥彦山より出雲崎方面を望む、2017.10)
 大己貴命(大国主神)の義父であり先祖であり、師でもある須佐之男命は、牛頭天王と習合しているように、善悪・陰陽・薬と毒を兼ね備えた神さまです。兄弟の八十神に二度も殺されたやさ男の大己貴命を、須佐之男命は根の堅巣国(黄泉の国)で鍛え上げ、須佐之男命の大刀と弓矢と琴と娘を奪って地上に戻る大己貴命を「この奴」(こやつめ)と、ぶっきらぼうでありながら深い愛と励ましを込めて見送ったのでした。私には、このような須佐之男命の「老師」といった姿が、須佐之男命の後裔である役行者に重なって感じられます。
 越の大徳・泰澄大師が開かれた白山には、役行者にまつわる伝承はほとんどないものの、修験道の祖である役行者を古の白山の行者たちが拝まなかったはずはありません。白山美濃馬場・白山中宮長瀧寺でも、かつては衆徒(僧侶)と座中(山伏)輪番で毎月十八日に泰澄講が修されていた他、正月七日に座中(山伏)により行者講が修されていました(「修正延年並祭礼次第」)。泰澄大師のご命日は三月十八日、役行者のご命日は六月七日です。白山の巡礼を通じて、表に見えぬ深い処に須佐之男命が、役行者がおられることに、ようやく気づき始めました。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝