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御嵩・真名田溜池~長岡観音巡礼

 9月3日、岐阜県御嵩(みたけ)町を巡礼。9時に真名田溜池親水公園に駐車し、溜池の北の奥白山神社に参拝しました。


溜池の南側には今井白山神社があり、「奥の宮」と「口の宮」であるようです。微雨の中、真名田溜池東岸の遊歩道を歩いてゆきました。


真名田溜池は亜炭落盤による旱害や可児川の氾濫による災害防止のため、昭和25年着工、27年に竣工した防災溜池です。
 溜池の南側に水路沿いに下る細道があり、降りると「真瀧不動明王」が祀られていました。


不動明王ご真言をお唱えし、小道からグランドを通って今井白山神社へ。途中、戦没者の英霊碑と表忠碑に念仏をお唱えしました。今井白山神社は森閑としたお社でした。白山三所権現ご宝号をお唱えしました。


 白山社から南へ少し歩くと宝塚古墳があり、丘の上には宝塚七薬師が祀られていました。


この付近には古墳がいくつかあるそうです。薬師如来ご真言をお唱えしました。今井白山神社に戻ると、手前に石碑がありました。「御嶽講 先達」の方の碑のようです。昔、先達に導かれて御嶽山まで登拝していたのでしょう。蔵王権現ご真言をお唱えしました。
 今井白山社から山沿いに歩いて愚渓寺へ。


お地蔵さまが祀ってあり、参拝しました。愚渓寺の隣に雨宝閣という社があり、背後には「御嵩富士」が見えました。


稲荷雨宝を祀った社に参拝し、裏手の奥の院にも参拝。愚渓寺から東へ進むと「地下空洞充填工事」が行われていました。御嵩町はかつて亜炭の採掘が盛んで、地下に空洞が多く、地面の陥没も起きています。
 10時すぎ、若宮八幡宮に参拝。


八幡宮裏の小道を進むと愛宕神社がありました。愛宕神社は、かつては「愚渓寺山」の山頂にあったそうです。「愚渓寺山」とは背後に聳える「御嵩富士」のことでしょう。愛宕社の東には谷山溜池があり、池の向こうに愚渓寺山が望めました。愛宕社から参道を南へ下り、祖霊社に参拝。国道に出て中山道を東へ歩き、長岡の集落に入りました。
 山側へ舗装された細道が続いており、林内には獣用の檻がいくつかありました。10時45分に白山神社の御前に出ました。


南側には参道が下ってました。此処は「御旅所」で、背後の山上に奥宮があるようです。参拝し、尾根伝いに北へ上る藪中の踏み跡を辿ってゆきました。軽装で、クモの巣と汗まみれになって上へ。


10分程で鳥居が現われました。


山上には本殿が鎮座。


観音経と白山権現ご真言・ご宝号をお唱えし、ひんやりとした空気の中で暫し坐しました。
 今回の巡礼の目的地は「長岡観音」です。が、場所は確かめてきませんでした。比叡山の僧・浄蔵貴所が桂の霊木を彫って十一面観音菩薩を祀った、と伝えられているのですが、浄蔵貴所は白山信仰の根本的資料である「泰澄和尚伝記」を口述した人とも伝えられており、十一面観音菩薩は白山権現の本地仏、長岡の白山神社の近くにお堂はあるであろう、と信じて来たのでした。
 奥宮から東側に尾根が続き、作業道らしき道がありました。東側へ少し縦走してみたものの、それらしきものは見当たらず。奥宮に戻り、西側の尾根へ下る藪中の踏み跡を辿ってゆくと、尾根上に祠を二つ巡拝しました。



此処は信仰の山であるようです。尾根は南西に下っていくようなので、山頂(奥宮)に戻り、正午すぎに下山しました。
 御旅所に下って参道を下へ。神社入口には「鎮魂碑」が建っていました。先の「十五年戦争」で長岡地区からは50名以上が出征し、うち10名が戦没したとのことです。念仏をお唱えし、先の大戦の戦没者に、また、当地の人々に回向しました。近くにいた方に挨拶し、観音さまの場所を尋ねると、丁寧に教えて下さいました。言われた通り、参道から一つ隣の通りを沢沿いに登ってゆくと、庚申堂がありました。さらに登ると池があり、やがて長岡観音堂に着きました。



伝教大師(最澄上人)五世の法孫・浄蔵法師が御嵩の願興寺に留錫していたとき、「東方長岡の地に桂の霊木あり、常に天人之に拠る」との霊夢を見、此処に来ると桂の霊木があったので十一面観音菩薩の尊像を彫り、祀られたとのこと。往時は願興寺末寺・飯高山極楽寺として繁栄したそうです。
 浄蔵貴所は平安時代中期、加持・祈祷の様々な霊験で知られる天台僧で、天慶3年(940)には比叡山横川にて平将門の乱の調伏の法要を行っています。が、60才をすぎて妻帯して還俗、数年後に再び釈尊の教えに立ち戻って妻子を捨て、山伏姿で諸国を巡礼、晩年は長州・須佐(山口県萩市)に庵を結んで亡くなった、と須佐では伝えられているそうです。長岡の観音さまの開眼供養は延喜20年(920)、30才の頃とのこと。浄蔵貴所は天慶2年(939)には白山で修行しており、越前・大谷寺の神興和尚に「泰澄和尚伝記」を口述したとされる天徳2年(958)(「白山 越前の修験道」大野市歴史博物館)は、ちょうど山伏姿での諸国巡礼の時期にあたります。
 長岡観音堂は、左上からも右上からも沢が流れ、水の豊かな、しっとりと寂かなお堂です。


「大悲閣」の額の掛かるお堂にて観音経を読誦し、渓の水で喉を潤しました。此処は、先程登った白山神社の山の中腹です。山をあちこち歩かせて我を砕いてから参拝させるのは、白山権現即ち十一面観音さまのお導きでありましょう。境内に「支那事変心経法塔」と書かれた昭和14年の石塔があり、般若心経と念仏をお唱えしました。
 浄蔵法師は、中年期までは主に都の「やんごとなき」方々の為に活動し、高年期は都を離れ名利を捨て、民衆の為に生きた人であるようです。今回、長岡観音堂に参拝して、白山のご本地仏である十一面観音さまへの信仰を新たにいたしました。白山の巡礼とは、観音さまとの、み仏との絶えざる対話に他なりません。
 13時すぎに観音堂を出発、雨の中、中山道を歩いて願興寺に参拝しました。


本堂には「蟹薬師」の額。弘仁6年(815)、伝教大師(最澄上人)が東国布教の途次、旅人の緊急避難所(布施屋)を開設し、薬師如来を祀った所だそうです。大師は美濃と信濃の境の神坂峠の下にも布施屋を作っています。大師の利他行の実践を見習いたいものです。正暦4年(993)、行智尼が近くの「尼ヶ池」でカニに乗った薬師如来を感得。戦国時代・元亀3年(1572)には武田信玄の東濃侵攻で焼失し、再建されています。境内には表忠碑等、先の大戦の慰霊碑がありました。当地の寺社には随所に先の大戦の慰霊碑が見られ、戦争の記憶が後世に伝えられているのを感じます。念仏をお唱えし、愚渓寺、今井白山神社を経て14時半に真名田溜池に戻りました。


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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝