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柏原~醒井~霊仙山巡礼

 12日朝8時、中山道柏原宿を歩いて宿本陣から恵比須神社に詣で、成菩提院に参拝。


弘仁6年(815)、伝教大師(最澄上人)が東国布教の折に開創、本尊は十一面観音菩薩です。先日参拝した御嵩宿の願興寺も同年に開創されており、伝教大師が東山道を通って東国へと向かわれた姿が偲ばれます。東国布教は弘仁6年とも弘仁8年とも伝えられているようです。
 成菩提院はその後、比叡山延暦寺別院として栄えましたが、嘉暦元年(1326)、越前の白山平泉寺の衆徒により全焼したとのこと。白山越前馬場中宮・平泉寺も延暦寺別院であり、白山の本地仏である十一面観音菩薩にお仕えしていたはず。当時の平泉寺は全盛期を迎え、坊院が六千もあったと伝えられています。成菩提院との間に何らかのトラブルが生じ、平泉寺の僧兵たちが暴れたのでしょうか。成菩提院は応永年間(1394~1427)に再興されましたが、平泉寺は天正2年(1574)、一向一揆との戦いで全焼しました。
 成菩提院の近くにある日枝神社と裏山の金刀比羅神社にお参りし、霊仙の山並を南に見つつ中山道を西へ。日枝神社がもう一つあり、山王権現と伝教大師ご宝号をお唱えしました。さらに進むと「やくし道」という道標があり、かつて伝教大師が薬師如来を本尊として建てた明星輪寺泉明院への道標だそうです。御嵩の願興寺や神坂峠の広済院・広拯院と同様、布施屋(旅人の緊急避難所)であったのかもしれません。
 一里塚の彼方に霊仙山を遥拝。


日差しはけっこうありますが風は秋の風です。中山道は江戸時代に整備されましたが、この区間の古代東山道は、成菩提院の裏山を通って清滝から山越えし、北畠具行卿の墓の参道入口からは中山道と同じルートであったそうです。長沢(ながそ)の集落が近づくと白山神社があり、お参りしました。


梓に入ると道の右手を梓川が流れ、所々に松並木も残っていました。
 此処までの古の中山道は現在の国道より一つ北を並走していましたが、やがて国道と合流、さらに並走する高速道路沿いに国道の南へ。一色の八幡神社に参拝して道を進むと、「仏心水」という井戸の彼方に伊吹山が拝めました。


坂を下って9時半すぎに醒井宿に入りました。加茂神社には、伊吹山の荒神との戦いで朦朧となった日本武尊が意識を回復したという「居醒の清水」がありました。


清らかな水面に彼岸花が映っていました。神社の下流には地蔵堂があります。弘仁8年(817)の干魃の際、伝教大師(最澄上人)が薬師如来の夢告により地蔵菩薩の石像を造り、祈願すると大雨が降ったとのこと。東山道における伝教大師の伝承には弘仁6年と8年のものがありますが、醒井のお地蔵さまも東国布教の際にお祀りしたのでありましょう。地蔵菩薩ご真言をお唱えしました。
 醒井宿を地蔵川に沿って進むと、地蔵川に注ぐ「十王水」がありました。


浄蔵貴所が延喜の末頃、干魃の際に水源を切り開いたと伝わる流れで、「浄蔵水」が後に「十王水」と呼ばれるようになったようです。浄蔵法師については先日の御嵩・長岡観音堂参拝の折にも触れましたが、法師はかつての伝教大師東国布教の跡を偲び、東山道を行脚していたそうです。長岡観音堂の十一面観音さまの開眼供養は延喜20年(920)とのことですから、醒井で水源を開いたのもその頃でしょう。十王水からさらに進むと、西行水がありました。西行法師に恋した茶店の娘さんの伝承地ですが、元々は平安時代の法相宗の僧、仲算大徳が水源を切り開いた処と伝えられています。仲算大徳がこの水を開いたのは浄蔵貴所が十王水を開いた数日前とのこと。仲算大徳は後年、応和3年(963)に宮中で開かれた「応和の宗論」で、天台宗側の慈恵大師(良源上人)と共に名声を博しています。同じ頃、京の鴨川の河原では空也上人が大般若経供養会を開いており、最晩年の浄蔵貴所(73才)が姿を現わしています。浄蔵法師は、一人の乞食比丘を文殊菩薩として供養したのでした。19才での左大臣・藤原時平の病(菅原道真の怨霊)の加持を始め、50才での比叡山横川における平将門調伏の修法等、権力者と結びついた加持祈祷で名望のあった浄蔵貴所ですが、49才の時には白山頂の池の霊水を持ち帰ろうとし、たちまち現われた毒龍に、法師は慌てて逃げたとのこと。法師はその水を、病に苦しむ京の庶民に施したそうです。また、60才前後に八坂寺にいた頃は妻帯していたと伝えられ、「破戒」しています。浄蔵法師が死の前年に名もない乞食坊主に文殊菩薩を感じて食を供養したことは、法師の心境の到達点を示しているように思います。そもそも、怨敵を調伏(呪殺)する修法などを、お釈迦さまも伝教大師もやらなかったはずです。「徳を以て怨みに報ぜば、怨み即ち尽く」(伝教大師)。愚かしいパフォーマンスにすぎない怨敵調伏の修法は、先の大戦中も行われていたそうです。
 運動会をやっている小学校の前を通って南へ進んでゆくと、右前方に松尾寺山が見えてきました。


10時15分、下丹生から橋を渡って山へ。鉄塔から伊吹山を拝み、尾根の踏み跡を登ってゆくとシカがおり、やがて松尾寺山の北尾根に出ました。


11時に「夫婦杉」着。


弘法大師が此処で昼食をとり、土に差した箸が根付いたそうです。そのすぐ先が山頂でした。この山は役行者が修行し、神護景雲3年(769)、宣教大師が霊仙山頂の霊山寺(泰澄大師開基)の七箇別院の一つとして松尾寺を開きました。平安時代には伊吹山寺・三修上人の弟子、松尾童子が寺を興隆しています。山腹に下ると、「影向石」がありました。


松尾寺の本尊・十一面観音菩薩と聖観音菩薩が飛来したと伝わる処で、石の上には仏さまの足跡があるとのこと。般若心経を読誦し、仏足跡を拝みました。さらに下ると、松尾寺本堂跡がありました。本尊の十一面観音さまと聖観音さまは阿弥陀如来の変化したものであろう、と記されており、十一面観音菩薩・聖観音菩薩・阿弥陀如来を白山三所権現の本地とする白山信仰との関わりを感じました。本堂は昭和56年の大雪で倒壊したとのこと。九重塔の前で般若心経と三尊ご真言をお唱えしました。


 本堂跡から下ってゆくと、霊仙山が遥拝できました。


松尾寺の新本堂と霊仙三蔵記念堂に掌を合わせ、養鱒場から峡谷沿いに歩いて上丹生へ。12時半に神明神社に参拝しました。


白山を開山された泰澄大師は、霊仙山頂(経ヶ塚)に盧遮那仏を本尊とする霊山寺を開きましたが、この社は弘仁2年(811)、願安大師が霊山寺の守護神として丹生神を祀った処だそうです。参拝し、神社の少し西から昼坂峠への踏み跡を登ってゆきました。神明神社は霊仙山頂部から北西への尾根の末端にあり、この尾根を登拝してみたかったのです。
 踏み跡を辿ってゆくと林道に出ました。此処が昼坂峠のようです。林道を南へ進み、南東への踏み跡へ。獣の骨が落ちており、念仏をお唱えしました。


初めはゆるやかだった尾根は次第に勾配を増してきました。踏み跡は尾根を巻きつつ上り、尾根上もほとんど下草がないので歩きやすそうですが、数日来の雨で土が湿って足を取られます。やがて左手に伊吹山が見え、石灰岩と湿った土の尾根を上へ。


14時15分に山頂部に出ました。


振り返ると、琵琶湖が見渡せました。


北には伊吹山。


しばし小ピークの石灰岩に坐しました。伝教大師が柏原や御嵩に祀った薬師如来も、浄蔵貴所が御嵩に祀った十一面観音菩薩も、病難消除の為でありました。また、伝教大師が醒井に祀った地蔵菩薩や浄蔵貴所の水源開鑿は、干魃に対処する為でした。感染症と水不足は、21世紀においても世界の国々、特に貧困にあえぐ人々にとって大きな脅威です。
 天平8年(736)、わが国で疱瘡(天然痘)が猛威を奮った際、泰澄大師は聖武天皇の勅により、此処から見渡せる琵琶湖の北部の渡岸寺・十一面観音菩薩像を彫り、また、琵琶湖の向こうの敦賀・金前寺にも十一面観音菩薩を祀っています。翌年には「十一面法」を修し、天平10年には大師の弟子・浄定行者が箱根湯本に十一面観音菩薩を祀り、霊泉が沸き出しています。仏・菩薩に祈ったからといって病や天災がなくなるワケはありませんが、仏・菩薩を念ずることによって平常心を取り戻し(居醒の清水を飲んで正気に返った日本武尊の如く)、苦難を受け容れ、転じてゆく力をいただけることがあるのは、事実です。
 小ピークから下ると、お虎ヶ池に出ました。


登山道を歩いて経ヶ塚へ。山頂部には、あちこちにシカの群れがいました。


15時すぎに北霊仙(経ヶ塚)登頂。かつて盧遮那仏を本尊とする霊山寺があったという山頂で、伊吹山に向かって坐し、梵網菩薩戒経偈を読誦しました。仏さまは説いておられます。「汝は当に成るべき仏、我は已に成りし仏」。山に登ったからとて私の如き愚か者が仏になれはしませんが、山で仏さまとその教え、教えを実践した僧を拝むことは、ちっぽけな己れの無力さ、はかなさを見つめ直す、よい機会です。


 まだこれから柏原まで下らねばならないので、三角点と最高点には寄らず、山頂部を拝んで下山しました。


避難小屋周辺にもシカの群れ。



柏原への登山道は尾根上よりも山腹の樹陰を通っており、起伏が少なく歩きやすい道です。濃尾平野を垣間見つつ北東へ。16時に尾根から一旦、谷筋へ下り、五合目の沢の水で喉を潤しました。


山で感じるお水の有難さは、格別です。二本杉からは谷沿いの道となり、やがて舗装された道の落石の奥に、伊吹山が見えてきました。


麓から、歩いてきた尾根を見上げて掌を合わせました。


柏原宿に戻ったのは、17時半でした。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝