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鮎走奥の宮~大日ヶ岳登拝

 10月6日朝6時半、白山美濃馬場・中宮長瀧寺前の道の駅にある、泰澄大師像に参拝。


白山の美濃側には長瀧寺からの美濃禅定道と、長瀧寺裏から尾根伝いの行者の道の他、もう一つ、泰澄大師が白山を目指して登ったと伝わる道があります。鮎走から大洞川沿いに登る道です。
 長滝から長良川上流に車を進め、高鷲町の鮎走白山神社(口の宮)へ。


泰澄大師が白山開山の際、この地に口の宮と奥の宮を建て、北に聳える山に登ると白山妙理大権現の本地・大日如来が示現したので、この山を大日ヶ岳と名付けた、と伝えられています。大洞川沿いに車を進めて奥の宮前に駐車。明治41年(1908)に口の宮に合祀され現在は社殿はありませんが、石段などの遺構が残っています。


此処には七堂伽藍もあったと伝えられており、講堂にはおそらく、長瀧寺と同様、大日如来が祀られていたことでしょう。本殿跡にて光明真言と白山権現ご宝号をお唱えし、7時に背後の林道を上へと歩き始めました。
 林道は大洞川に沿って上っており、一時間程で林道右手の尾根上の鉄塔着。送電線は北東から南西へと続いていました。


鉄塔から尾根上の藪に突入、背丈を越える笹藪を漕いで進むと、8時半に左手から尾根に上ってきた林道に出ました。北に大日ヶ岳(前大日)を遥拝。


林道をしばらく歩くと未舗装のダートとなり、右手に、北へと続く踏み跡が現われました。踏み跡は荒れている処もありますがほぼ明瞭で、尾根上に続いていました。


1414m小ピーク辺りから樹間に前大日を見上げました。


泰澄大師が大日ヶ岳を拝んだという「御幣坂」とは、この前後の坂でしょうか。坂を登ると、9時半に前谷からの尾根道(東縦走路)に出ました。
 縦走路を、色づいた山頂部を見つつ登ってゆきました。


前大日手前からトラバース気味の登りとなり、前谷川源流部から南西に毘沙門岳を遥拝。


西には鎌ヶ峰。


登山道から藪に入って前大日へ直登し、前大日山頂南の藪を徘徊しました。「第2回たかすシンポジウム報告集」(平成27年3月発行)によると、この辺りに窟があるらしく、一度訪れてみたかったのでした。帰路にじっくり探すこととし、登山道に戻って10時半すぎに大日ヶ岳登頂。


山頂より北西に白山まで続く山並を遥拝しました。


左から芦倉山、丸山、一旦左に蛇行して銚子ヶ峰、一体化して見える一・二・三ノ峰、そして別山。別山右奥の白山頂・御前峰は雲を被っていました。この尾根上を、長瀧寺からの行者の道が続いていたのでした。大日ヶ岳頂の金剛界大日如来像の御前にて、大日如来ご真言と白山権現ご宝号をお唱えしました。
 山頂から前大日方面へ下ると正面に鷲ヶ岳、右手に石徹白の山々が拝めました。


11時に前大日に戻り、大日ヶ岳山頂部と白山を遥拝。



観音経と光明真言、白山三所権現ご宝号をお唱えしました。前大日から南の藪に突入すると、登ってきた尾根が見下ろせました。


尾根から左手へ、猪洞川源流部の藪の斜面を徘徊。足の踏み場もないキビしい藪で、手脚や顔に傷をこしらえつつ一心に藪漕ぎ。藪越しに上方に岩場が見えたので登ってゆくと、正午、窟に着きました。


「第2回たかすシンポジウム報告集」によれば、猪洞川最源流の中大日ヶ岳に窟があり、阿弥陀如来が祀られているとのことですが、猪洞川最源流の此処は中大日ではなく、前大日です。また、窟には何も祀られてはいませんでした。しかし、猪洞川を見下ろし左奥に鷲ヶ岳、右奥には高賀山などを見渡せるこの窟は、規模は小さいものの白山頂部の転法輪の窟を彷彿とさせるものがあり、行場であったことは間違いないでしょう。窟の上によじ登ると、前大日山頂南の笹藪でした。窟に戻り、しばし坐しました。
 大日ヶ岳の水は猪洞川を下ってゆき、長良川となって南流、高賀山の彼方の濃尾平野を潤して海へと流れ込んでいました。


美濃・飛騨・越前にまたがる大日ヶ岳の水は、美濃側は長良川へ、石徹白(かつては越前だった)側は九頭竜川へ、飛騨(尾上郷)側は庄川へと流れ下ってゆきます。それはあたかも、大日如来が諸仏諸尊の法身であり、すべての仏菩薩がその応現身であることを現わしているかのようです。また、この山は白山と飛騨・美濃境の山々をつなぐ山でもあります。鷲ヶ岳の東の烏帽子岳は、泰澄大師が白山開踏を祈願して不動明王が示現した処と伝えられています(「明宝村史」)。


不動明王は大日如来の化身です。泰澄大師とは、おそらく、一人の方ではなく、白山への道を各地から開いた多くの名もなき先徳の総称でしょうが、美濃馬場・中宮長瀧寺は越前の泰澄大師が白山から美濃側に下って建てた、と伝えられており、美濃側に下って美濃禅定道を開いた大師が烏帽子岳を開き、帰路には鮎走から大日ヶ岳経由で越前に戻った、とも考えられるのではないでしょうか。大日如来ご真言を念誦して、12時半に下山しました。
 藪中を右斜めに下って縦走路に出、13時に縦走路から鮎走方面への踏み跡へ。しかし、踏み跡はいつの間にか谷筋を下っていました。往路は尾根上の踏み跡を歩いたはず。水のない沢は南に下っており、おそらく大洞川ではなく小洞川の源流でしょう。左手の斜面をしばし徘徊しましたが、南に下ってゆけば鉄塔巡視路が横切っているはずですし、長い林道歩きよりは沢を下る方がよいので、そのまま沢を降下。やがて沢には清らかな水が流れ出し、喉を潤しつつ下ってゆきました。


14時半、晴れてはいるものの雨が降り始めました。左手の谷筋から尾根に登り、藪を南へ下ってゆくとやがて杉林となり、15時すぎに鉄塔に出ました。


往路に歩いた鉄塔が北東に見上げられ、その間にもう一つ鉄塔がありました。鉄塔巡視路を歩いてゆきました。
 一つ目の鉄塔との間に豊かな流れの沢があり、喉を潤しました。


大洞川源流の沢でしょう。鉄塔を経て、さらに北東へ進むともう一つ沢があり、先程の沢より細く静かな流れですが沢筋には踏み跡(獣道?)がありました。泰澄大師は大洞川沿いに登ったと伝えられており、おそらく古の道なのでしょう。沢沿いに下ってゆくと、先程の沢との合流地点に炭焼き小屋の跡らしき石積みがあり、合流した大洞川の清流や滝の美しさに、心が洗われました。



石積みは、あるいは行場の跡でしょうか。大日如来に掌を合わせました。さらに下ってゆくと堰が現われ、二つ目の堰のすぐ下に林道が通っていました。


16時に林道に着地。林道を下ってゆくと樹間に西日が差し、光明真言と念仏をお唱えしました。


智慧の光と慈悲の水を、苦しみの尽きせぬ日常に絶えず絶えずもたらすこと、それが、白山信仰の眼目ではないでしょうか。
 16時半に奥の宮に戻り、本殿跡にて光明真言と白山権現ご宝号をお唱えしました。


口の宮に参拝して感謝し、かつて大日如来が祀られていた長瀧寺大講堂にお参りして、帰路につきました。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝