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豊原寺~浄法寺山~丈競山登拝

 11月4日早朝、越前丸岡の白山豊原寺に参拝。天保の飢饉で亡くなった人々の供養のため造られたというお地蔵さまに掌を合わせ、谷沿いの古の参道を歩いてゆくと、石段のうえに石灯籠が現われました。


灯籠には「奉寄進燈籠薬師如来寶前」と記されています。此処はかつての豊原寺講堂の入口で、講堂のご本尊は薬師如来でした。白山豊原寺は大宝2年(702)、泰澄大師開山と伝えられ、中世には延暦寺末寺となり、平泉寺と共に越前白山信仰の拠点として栄えました。室町時代の連歌師・宗祇も京から越後への旅の途次、度々訪れています。
ゆく水にひくや夏そのいと柳  宗祇
しかし、その後一向一揆の本拠となり、天正3年(1575)、織田信長に焼き払われました。朝倉義景を見捨てて信長方に寝返った平泉寺が一向一揆に焼き払われたのは、その前年。平泉寺の大講堂のご本尊も、薬師如来でありました。
 石段を上ると、川上白山権現社がありました。平泉寺からの白山越前禅定道にある川上御前と、関係があるのでしょうか。参拝して奥へ進むと、閼伽井がありました。


泰澄大師が越知山から東北に紫雲が棚引くのを見、天女のお導きでこの泉に至ったとのこと。平泉寺の御手洗池(平泉)と似た伝承です。豊原寺の古図を見ると、この泉の手前に講堂があったようです。薬師如来ご真言をお唱えし、白山社への参道を登ってゆきました。八幡社、稲荷社を経て石段を登ると、白山社の遺構が現われました。


ご宝前にて般若心経と白山三所権現ご真言・ご宝号をお唱えしました。右手には石仏が祀られ、その先は化生ヶ岳への山道のようです。閼伽井に戻り、7時前、その先に続く沢沿いの踏み跡を東へと進んでゆきました。


 沢の奥に作業道が現われましたが、只管、谷筋を東へ詰めてゆくと、尾根に出ました。尾根上には作業道の跡らしき、少し藪化した踏み跡があります。


この尾根の鞍部に榎峠があるはずで、しばし徘徊しましたがよく分からず。西側から上ってきた踏み跡が尾根上の踏み跡とT字になっている処があり、此処かとも思いましたが、古の峠道は東側へも下っているはず。しかし東側は藪でした。南北の尾根上の踏み跡を辿って南へと縦走することにしました。
 踏み跡は尾根を南に進んで山腹を東へ回って下り、南の谷へ下ると7時半すぎに林道に降りました。谷の奥の藪化した林道で、東に丈競山が遥拝できました。


林道は一旦、北へ迂回して谷を東へ下り、藪の露でズボンはズブ濡れとなりました。やがて鉄塔巡視路に出、下ってゆくとカモシカが出迎えてくれました。


8時半前に国道に着陸しました。
 国道をしばらく北へ進むと、右手に林道入口が現われ、林道を南へ。かつて、豊原寺から白山まで修験者の「禅定道」があり、豊原寺から榎峠を越えて吉谷へ、次いで近庄峠から浄法寺山、大日山などを経て市ノ瀬に至る道であったようです。詳しいルートは不明のようですが、平泉寺からの白山越前禅定道とは別の行者の道というのは、長瀧寺から白山美濃禅定道とは別に、尾根伝いに行者の道があったことと似通っています。林道を登ってゆくと、西に先程越えてきた尾根が見えました。


 9時前、近庄峠の手前で左手の沢沿いの踏み跡に入り、藪を少し漕ぐと稜線直下の林道に出ました。林道はぬかるんでいますが眺めがよく、北に日本海が望めました。


林道はやがて、東へと続く尾根の北側山腹を蛇行。東に丈競山の姿。


10時、林道は尾根を越えて南へ下ってゆき、此処で林道に別れを告げて尾根上の踏み跡に突入しました。


踏み跡は思っていたより藪化していましたが、しばらく進むと藪中でチェーンソーで樹を伐っている方と出会いました。「山歩きかね?」「ハイ」「ごくろうさん」。山仕事も、なかなか大変です。藪を登って稜線上に出、冠岳へと続く尾根を見渡しました。


地形図には踏み跡がついている、この尾根。いったいどこまで藪が続くのやら…。
 やがて、尾根は完全な藪となりました。灌木が足元から枝を広げ、紅葉もたくさんあります。



紅葉はやはり、見て楽しむもの。紅葉の頑丈な枝は前に進もうにも進めず、枝の間を這って右へ左へ。灌木あり、笹あり、松あり、足の踏み場もない藪紅葉の尾根。やがて踏み跡が見出だせましたが、その上には樹が張り出し灌木がはびこり、小動物ならいざ知らず、人間がまともに歩ける状態ではありませんでした。数十年前には道があったのでしょう。あるいは、豊原寺の行者たちもこの尾根を歩いたかもしれません。人の通らなくなった山道とはこのようなものなのでしょう。
 11時半すぎ、尾根の右手に登山道が現われました。九頭竜川の黒龍に嫁いだ丸岡の町娘の供養のため、両親が祀ったという不動明王(びんつけ地蔵)に掌を合わせました。


一時間半の藪漕ぎでジャンパーの袖はビリビリです。南西に福井市街、西には日本海が見渡せました。


 正午に冠岳登頂、藪で予定より時間が経ってしまったので、山道を急ぎました。


12時半すぎに浄法寺山に登頂すると、大日山へと続く尾根の先に、雪を被った白山三所権現が鎮座していました。


南東には経ヶ岳や荒島岳。


山頂には、じょんころ広場から登ってきた登山者がけっこういました。北に見える丈競山へと縦走。


13時に登頂し、大日山の後ろに横たわる白山に掌を合わせました。


丈競山頂には、御前峰・別山・大汝峰をバックに白山三所権現の石像と白山宮が祀られ、十一面観音菩薩・聖観音菩薩・阿弥陀如来のご真言をお唱えしました。


 13時半すぎ、北丈競山に登頂。静かな山頂で白山を遥拝し、観音経を読誦しました。


南東には丈競山、浄法寺山。


白山に投地礼をして下山しました。豊原寺に日暮までには戻りたいので、走るように山道を下りました。14時半、じょんころ滝で喉を潤し、じょんころ広場へ。


かつて、丈競山の龍が水浴びする淵があったと伝わる龍ヶ鼻湖(ダム)より、丈競山を遥拝しました。


 竹田川沿いの道から国道を南下し、15時半に右手の林道へ。鉄塔巡視路を辿って進むと尾根を西へ上る踏み跡があり、これを辿りましたが、尾根はやがて北へ。踏み跡も消え、西を目指して藪を登っては作業道が現われ、分岐の多い作業道を西へ辿るとやがて道は北へ曲がってしまい、西へ谷を登り…。西の尾根(榎峠のある)を越えれば豊原に下れるのですが、なかなか尾根に出られず、日没が迫ってきました。頭の中にあるのは、只、「西へ」。南に上がる急斜面の藪を、只々、西の稜線目指してトラバース、手が傷だらけになるのも構わず登ってゆくと、17時に尾根に出ました。すでに薄暗く、ヘッドランプを点けて西側へ下りました。尾根の下に作業道がありましたが、西へと下る谷沿いの斜面を下ってゆき、下の作業道(林道?)に着地。側に標識のようなものがあり、見てみると「化生ヶ岳登口」でした。


化生ヶ岳の藪を越えてきたのでした。
 林道を下ってゆくと、樹間に福井の夕景が見えました。


17時半前に豊原寺白山社跡に出ました。


すでに真っ暗です。藪紅葉、雪の白山、そして、只「西へ」と進ませ、化生ヶ岳越えで此処へと導いてくださった白山権現の思し召しに感謝し、白山妙理大権現、即ち十一面観音菩薩への報恩の思いを新たにした登拝でした。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝