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越前大日山~加賀大日山縦走

 11月16日朝6時半、勝山市横倉の白山神社に参拝。


神社からさらに奥へ林道を車で上がってゆくと、越前大日山(越前甲山)登山口に着きました。谷沿いのぬかるんだ山道を、7時前に出発。登ってゆくと背後から朝日が差し、上には越前大日山が見上げられました。


20分程で大日峠に出、南東に経ヶ岳・赤兎山・大長山を遥拝。


ぬかるむ急斜面の尾根からは行く手に越前大日山、北西に加賀大日山が望め、やがて東には白山三所権現がお姿を現わしました。




 8時前に越前大日山登頂。西風が冷たいです。白山を遥拝し、観音経と白山三所権現ご真言・ご宝号、大日如来ご真言をお唱えしました。


北には加賀大日山と、日本海。


此処は、越前丸岡の豊原寺から白山までの行者道の行場として大日如来が祀られていたそうです。今は何も祀られていません。二週間前、豊原寺から浄法寺山まで登って丈競山へと縦走しましたが、豊原寺禅定道は浄法寺山からさらに大日山へと続いていたそうです。加賀大日山と越前大日山、どちらに大日如来が祀られていたのでしょうか。白山美濃馬場・長瀧寺からの尾根伝いの行者道には、大日ヶ岳に金剛界大日如来と胎蔵界大日如来を祀る二つの行場があったとされています。おそらく、豊原寺からの禅定道にも金剛界・胎蔵界の二つの大日如来の行場があったのでしょう。
 越前大日山から加賀大日山までは藪漕ぎを覚悟していたのですが、山道が切り開かれていて拍子抜けしました。しかし、有難いことです。縦走尾根からは南に荒島岳・能郷白山・銀杏峰・部子山が見渡せ、西には加賀甲山から浄法寺山へと続く尾根と、丈競山が拝めました。



岩の上から白山を遥拝し、崩壊している処もあるヤセ尾根を加賀大日山へと縦走。


やがて加賀甲山からの山道と合流し、9時前に加賀大日山に登頂しました。東に白山頂部(御前峰・剣ヶ峰・大汝峰)と、別山・三ノ峰。


南東には越前大日山の後ろに荒島岳・経ヶ岳・赤兎山・大長山。


平泉寺からの白山越前禅定道は、赤兎山と大長山の間の小原峠を越えて市ノ瀬へと下っています。北東には白山加賀禅定道の尾根や笈ヶ岳、大笠山。


白山の雪は、ここ数日の暖かさですっかり融けています。白山の山並を前に正身端坐して般若心経と念仏をお唱えし、パリの同時多発テロで犠牲となられた方々のご冥福を祈りました。
 大日如来とは密教における宇宙の根源であり、顕教における宇宙の真理の当体(法身仏)・毘盧舎那仏のことであります。「梵網菩薩戒経」には、盧舎那仏が千百億の化身(釈迦牟尼仏)に大乗戒(十重禁戒・四十八軽戒)を授け、千百億の釈尊がそれぞれの国で人々に大乗戒を説いている、と説かれています。仏教の戒律(十重禁戒)の第一は、不殺生戒です。
「殺してはならない、殺させてはならない、方便をもって殺してはならない、殺すことを賛嘆してはならない、殺すのを見て喜んではならない、呪殺してはならない…一切の命あるものを故意に殺してはならない。菩薩とは、常に慈悲の心・孝順の心を起こし、方便をもって生きとし生けるものを救護するものである…。」
空爆(空襲)とテロの応酬という人類の危機的状況にあって、私たちはどう生死していったらよいのか。現実問題として、考えなければならないところまで来ていると思います。
 一時間程して坐を立ち、白山に向かって投地礼をして加賀甲山へ。大日山と甲山の鞍部の谷は水が豊か。


水は冷たかったです。20分程で甲山の避難小屋に着きました。


東に白山、西には浄法寺山と丈競山。



北には日本海。10時半に下山し、越前大日山への尾根を戻りました。


雲が増え、別山の頂や三ノ峰は雲に隠れました。越前大日山の手前から、切り立った岩壁の下に南麓が見下ろせました。


 11時半に越前大日山着、大日如来ご真言をお唱えし、白山を正面に見つつ、ぬかるむ尾根を下ってゆきました。


豊原寺の行者たちも、この尾根を白山を拝みつつ下ったことでしょう。峠から谷沿いに下り、12時半前に登山口着。車で林道を下ってゆくと、林道脇に、越前大日山をバックに小さなお堂が建っていました。


此処から野津又川沿いに登ってゆけば、先程の登山口に出られそうです。さらに下ると、越前大日山をバックに滝が拝めました。


八反滝です。滝と大日山に掌を合わせました。
 横倉の白山神社の境内には、「おとらん清水」という霊水がありました。大日山の中腹から湧いているそうです。昔、この辺りは大きな池で、雌の大蛇が棲んでいたとのこと。その大蛇が九頭竜川の雄の大蛇に惚れて出て行った際、跡に清水と平地が残ったそうです。そして村人が大蛇の霊と清水を守る為にお寺を建てたことが、「おとらん清水」の名の由来とのこと。そのお寺は後に雪崩で潰れてしまったそうです。白山神社にお参りした後、岩屋観音へと向かいました。
 岩屋観音は豊原寺禅定道の行場で、行者たちは浄法寺山から大日山への尾根から一旦、岩屋観音まで下っていたようです。九頭竜川から岩屋川沿いの林道をしばらく上った処に、岩屋観音はありました。観音堂の前には拝殿があり、神仏習合の姿が残されているようです。


本尊は如意輪観音菩薩・十一面観音菩薩・聖観音菩薩で、縁起によれば、養老元年に泰澄大師が白山頂で如意輪観音菩薩・十一面観音菩薩・聖観音菩薩を感得、翌年、大師の弟子・清定行者が山麓に三尊の像を祀って平泉寺を開き、岩屋観音の窟でも清定行者が三尊を感得して祀ったとのことです(大野市歴史博物館「白山 越前の修験道」)。白山三所権現の本地仏は十一面観音菩薩・聖観音菩薩・阿弥陀如来の三尊を祀るのが一般的ですが、本地仏が確定するまでには、別の伝もあったことでしょう。白山の本地仏が十一面観音菩薩か如意輪観音菩薩か、どちらが正しいなどと決めてかかる必要はありません。そもそも、観音さまは相手に応じて自在に姿を変えることで、より多くの人々を救うことができるのですから。
 観音堂の横に大杉があり、お堂の裏山には遊歩道がありました。


行者たちは、この裏山を登って浄法寺山~大日山の尾根へと戻っていたのでしょう。「岩屋くぐり堂」という窟があり、中には「岩屋観世音御座所」と書かれた石碑がありました。


清定行者が三尊を感得して祀った窟でしょう。観音経と三尊ご真言をお唱えしました。此処には、観音さまが神さまとして祀られているような雰囲気があり、若狭の神宮寺と共通する、古の神仏習合・神仏両道の伝統が感じられました。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝