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出雲巡礼/大念寺~西谷~仏経山2

(承前)
 2月21日10時半、出雲・出西(しゅっさい)の久武神社(くむじんじゃ)から東へ歩を進めると、古の出雲郡家(こほりのみやけ、郡役所)の辺りに出、近くの稲城大明神に参拝。


奇稲田姫(クシイナダヒメ、櫛名田比賣)がかくまわれていたと伝わる処です。境内に咲く梅の花。


伊弉諾尊と伊弉冊尊が日本の父母であるとすれば、須佐之男命と櫛名田比賣は出雲の父母といえましょうか。さらに東へ足を進め、北西に出雲の御崎山を一望。


11時に曽枳能夜神社(そぎのやじんじゃ)に着きました。


「出雲国風土記」に「曽伎乃夜の社」とあり、祭神の伎比佐加美高日子命(キヒサカミタカヒコノミコト)は神魂命(カムムスヒノミコト)の御子で、神名火山(かむなびやま、仏経山)に祀られる神さま。神魂命(神産巣日神)は、「古事記」によれば天地開闢の際に高天の原に最初に天之御中主神が現われ、次に高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)、そして三番目に現われた獨神(ひとりがみ、両性分化以前の神)。大己貴命(大国主神)が兄弟の八十神たちに殺された際、 蚶貝比賣命(キサガヒヒメノミコト)と蛤貝比賣命(ウムガヒヒメノミコト)を遣わして生き返らせたり、息子の少名毘古那神を出雲に送って大国主神の国作りを補佐させるなど、出雲の国を陰ながら支え続けておられる神さまです。黄泉・幽世(かくりよ)・意識下の原初的大神と申せましょうか。境内には大社遥拝の岩盤(いわくら)として神魂命が祀られており、四拍手してお参りしました。


 曽枳能夜神社下より、南東に拝む神名火山(仏経山)。


南の谷沿いに行道、本誓寺の岩屋薬師堂に参拝。


かつて仏経山の中腹に祀られていたという古仏に、般若心経をお唱えしました。此処から先は道は不明瞭。左手に尾根があり、山頂につながっているはずなので登ってみました。


尾根はすぐにシダに覆われ、野人好みの道と思いつつ登ってゆきました。途中、岩場があり、上に神名火山を遥拝。


再びジュラシックな尾根となり、足元はフカフカでシダに腰まで埋まります。下側に靡いているシダに逆らって登るのは太い笹藪並のキツさ、しかもシダ藪の中にイバラが隠れており、指やジャンパーを切り裂きます。


まさかのジュラシック・ジャングル。山頂になかなか近づけず、これでもかこれでもかと立ち塞がるシダ、シダ、シダ。


ようやく山上部に出るとシダは減り、笹を掻き分け正午に題目塔の建つ山上に登頂。


北東に荒神谷と宍道湖。


荒神谷遺跡からは、弥生時代中期(紀元前後)頃の358本の銅剣と16本の銅矛、6個の銅鐸が出土しています。北西には御崎山の山並と、大社方面。頂上は、さらに南です。


予定よりかなり時間がかかり、山頂へと急ぎました。
 山頂手前より、斐伊川と大社を遥拝。


神名火山が仏経山と称されるようになったのは、戦国時代に尼子経久が山頂に白馬寺、山腹に十二坊を建立してからと伝わるそうです。


登ってきたシダ藪を下る気にはなれず、遠回り覚悟で林道を下山。北西の眼下に本誓寺が見えます。


が、林道は南側へ・・・。梅の花見つつ道を急ぐと、「高野明神元宮」がありました。



「出雲国風土記」にある支比佐の社(きひさのやしろ)で、祭神は北西麓の曽枳能夜神社と同じく伎比佐加美高日子命。現在は南麓の阿宮(あぐ)に遷座しているとのこと。お参りして林道を下ると、北側へ登る道と南側へ下る道に分岐。北へ下りたいのでどちらへ進むか迷いましたが、南へ下ることにしました(正解は、逆でした)。13時に南麓に下ると、そこは斐伊川の河岸でした。北に仏経山を遥拝。


北に下るつもりが南へ下り、予定していた出雲市発の電車に間に合うことは不可能。これも須佐之男命から与えられた試煉、と、神名火山を遥拝するかの如く建つ石碑に掌を合わせ、他の用事は捨ててこのまま出雲の旅をじっくり堪能することにしました。


 斐伊川に古風な橋が架かっており、対岸へ。


橋から望んだ上流。


下流には高速道路。


橋を渡って神名火山を遥拝。


美しい川です。


須佐之男命を祀る氷川神社の名も、この斐伊川(「古事記」には「肥の河」、「日本書紀」には「簸の川」)に由来するよう。


(武蔵国一宮・氷川神社、2018年末)
川はやがて西から北にカーブし、前方に弥山(みせん)など御崎山の山並が見えてきました。


14時すぎ、斐伊川放水路着。斐伊川の洪水を神戸川(かんどがわ)に分流する水路です。現在の斐伊川は宍道湖に注いでいますが、古代の斐伊川は神門川(かんどがわ)下流に広がっていた神門水海(現在の神西湖はその一部)に注いでいたそうで、洪水でたびたび流路が変わってきたとのこと。放水路より、午前中に歩いた西谷の丘を遥拝。


さらに川沿いに歩を進めると、「来原岩樋」に着きました。


斐伊川から農業用水を取水するため、元禄13年(1700)に松江藩によって掘られた岩樋で、取水された水は高瀬川と間府川となって農地を潤しているとのこと。岩樋上の丘に登ると、斐伊川下流に午前中渡った南神立橋が望めました。


 高瀬川沿いに足を進めると、三谷神社(西谷9号墓)の麓を通って出雲市街へ。町中を流れる、来原岩樋で取水された清流。


予定より大幅に遅れて出雲市駅に戻りましたが、須佐之男命が与えてくださった試煉と、大国主神や神魂命のお導きのおかげで、太古から流れ続けている「出雲の大川」(「出雲国風土記」)・斐伊川の景観の美しさと恵みの豊かさに、心が洗掘されました。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝