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笥笠中宮より中宮山登拝

 12月2日朝6時半、白山加賀禅定道の笥笠(けがさ)中宮に参拝。


天暦11年(957)創建と伝わるそうですが、「元亨釈書」には、神融法師(泰澄大師)の弟子の蔵縁が晩年(8世紀後半か?)に笥笠に庵を結んだ、と記されています。蔵縁行者は体が短小で姿は醜く、歩くのがとても速く、常にお地蔵さまの宝号を唱えていたとのこと。現在は社殿があるのみですが、「白山之記」によれば本地は如意輪観音菩薩、神殿・拝殿等の他、講堂には大日如来が祀られ、常行堂には阿弥陀如来、法華三昧堂には普賢菩薩が祀られていました。藤原敦光の「白山上人縁記」(「本朝続文粹」)には、西因上人が保安2年(1121)に大願を発し、阿弥陀如来の像を笥笠神宮寺に奉請して昼夜不断に弥陀の宝号を念じた、とあります。西因上人は肥前国松浦郡の出身、比叡山で受戒して諸国で難行苦行の末、白山に到り、43年の修行を経て大願を発したそうです。「十二口の夏臈を定め置き、昼夜不断に弥陀の宝号を念じ奉る」というのは、12人の僧侶と共に常行三昧を行じた、ということでしょうか。常行三昧とは天台智者大師の「摩訶止観」に説かれる「四種三昧」の一つで、九十日間、身は常に歩み、口には常に阿弥陀仏の名を唱え、心には常に阿弥陀仏を念じる修行です。西因上人の願文には、「若し白山の名を聞く善悪諸衆生、生死に流転せば、我即ち成仏せじ。若し此の善に結縁する遠近諸衆生、極楽に坐せずんば、我即ち往生せじ。…十悪五逆は風前の塵、妄想顛倒は空中の花、弥陀の白毫一たび照らさば、煩悩の黒業悉く除かれん。然れば則ち誰か観音の金台に登らざらんや。なんぞ安養の宝池に詣でざらんや。若し一人も往生せざれば、我れ誓って正覚を成ぜじ…」とあります。「続古事談」にも、西因上人が「白山三所権現は阿弥陀如来・聖観音菩薩・十一面観音菩薩の垂迹である」と語ったとあり、西因上人が白山三所権現の本地を阿弥陀三尊と見、白山の名を聞いたすべての人、白山に登拝したすべての人、白山麓笥笠での常行三昧に結縁したすべての人の現世安穏・後生極楽を誓願としていたことが分かります。
 笥笠中宮にて般若心経、如意輪観音菩薩ご真言と念仏をお唱えし、西因上人と蔵縁行者、白山有縁のすべての人々に回向しました。笥笠中宮にあった常行堂が、西因上人の道場であったのでしょう。笥笠中宮の裏山に取りついて尾根の藪を登ってゆきました。林道を横切ってスキー場跡を登り、さらに急峻な尾根を北へ。


樹間に朝日が差し、7時半、雪に覆われた林道に出ると、南に白山が拝めました。四塚山・七倉山の奥に、阿弥陀如来を本地とする大汝峰。


林道を東へ進み、ロープのある尾根に取りついて雪の尾根道を登ってゆくと、8時前に稜線上に出ました。雪上にはクマなどの足跡。


雪を踏んでサクサクと東へ縦走し、中宮山を遥拝。


8時半前、南側に展望の開けた処から白山を拝みました。


雪の上には鳥や獣の様々な足跡。皆、白山に育まれている兄弟たちです。


日が高くなって、締まっていた雪が緩んできました。時々ザクッと足がとられ、さらにズボッとはまり出したので、たまらず愛用のかんじきを履きました。今期の初かんじきです。


 9時半前、やどみ尾に出ると、東に笈ヶ岳と大瓢箪山が遥拝できました。


かんじきのおかげで雪上は楽に歩けますが、雪の重みで横たわった樹の間を通るのは、やっかいです。


藪を越えて9時45分、中宮山に登頂しました。


南に拝む白山のお姿は見事で、ハライ谷から長倉山、美女坂、四塚山、七倉山を経て大汝峰に至る加賀禅定道を一望。


大汝峰の左奥には剣ヶ峰も拝めました。「白山之記」の白山頂部や加賀禅定道の地理的記述はかなり正確で、大汝峰の麓の磐石上の泉水(御手水鉢)、玉殿の泉(油池)、雨池(天池)、高滝(百四丈滝)、檜新宮等が記されています。白山を遥拝しつつ観音経と念仏をお唱えし、雪を払って傾いた樹に坐しました。東から北東の樹間に、笈ヶ岳・大笠山・大瓢箪山が望めました。


 「白山之記」には、「御在所(御前峰)の東の谷に宝池あり。人跡不通。ただ日域聖人あり、その水を汲む」とあります。「続古事談」にも、西因上人の「衆生の煩悩・邪魔を此の池にかりこむる故に、かりこめの池と云う」という語に続いて、日泰上人という聖人が白山の「滝の池」の水を始めて汲み、人に飲ませると皆、病が癒えた、とあります。「古事談」には、白山の御在所を去ること三十六町、深山中に御厨(みくりや)池という池があり、龍王たちが集まって供養をする池で、人が近寄ると雷電猛裂にして人を害う。昔、浄蔵及び最澄聖人らが白山権現に申請してこの池の水を汲んだ、それを伝え聞いた日台聖人も池の水を汲んだ。この水を病人が飲み、塗れば治らぬことはなく、生生世世、仏法に値遇することができる、とあります。さらに、「本朝世紀」には、天喜年中(1053~1058)に日泰上人が白山の龍池の水を酌んだ、とあり、日域聖人・日泰上人・日台聖人は同一人物でしょう。また、宝池・御厨池・龍池も同じ池で、「続古事談」の「滝(瀧)の池」は、「龍の池」の間違いではないでしょうか。「御厨池」については「大法師浄蔵伝」に、浄蔵法師が49才の時(数え、天慶2年(939))、白山で夏安居をした後、「昔、神融という苦行人が白山を開き、法華経の功力で毒龍悪鬼を御厨池に籠めた、人が近寄れば天地震吼し、四方は暗闇となる」という古老の伝を確かめようと、池の水を酌んで護身結界したところ、雷電霹靂し暴風雨となり、天地震裂し毒龍が現われた、神呪を誦しつつ逃げ戻った法師が後に京の庶民にこの水を与えると、病が治った、とあります。この「御在所の東」にあるという池は、石徹白に伝わる白山絵図にも「みくりやの池」として描かれており、今年10月の「大白川より白山登拝」の際に確認したとおり、実在する池です。


(写真は今年10月登拝時)
「続古事談」で西因上人が語っている「かりこめの池」も、この池なのでしょう。上人の「衆生の煩悩・邪魔を此の池にかりこむる故に、かりこめの池と云う」という語は、「神融法師(泰澄大師)が法華経の功力で毒龍悪鬼を籠めた」(「大法師浄蔵伝」)ことの意味を説いているようにも思われます。また、西因上人の願文には「弥陀の白毫一たび照らさば、煩悩の黒業悉く除かれん」とあり、これは、浄蔵法師が語ったという「泰澄和尚伝記」の「緑碧池より九頭龍王が現れた後、十一面観音菩薩が示現した」という開山説話の意味とも受け取れます。私は「緑碧池」も御厨池のことではないかと考えています。「白山之記」には、「翠池」(翠ヶ池)と「深谷」(千蛇ヶ池か)が長久3年(1042)の噴火でできたことが記されており、泰澄大師が龍を籠め、浄蔵法師や日泰上人が水を汲んだと伝わる御厨池(龍池)の伝承が、後に火山活動で形成された翠ヶ池や千蛇ヶ池に、また、打波の刈込池や長瀧寺の千蛇ヶ清水に移されていったのではないでしょうか。


いずれにしても、様々な説話(おとぎ話)よりも大切なことは、その意味する処、眼目です。泰澄大師や浄蔵法師のような超人的な霊験・呪力に頼ることのなかった西因上人は、み仏の光明・阿弥陀仏の本願に、白山信仰の眼目を見たのでした。


私の深い煩悩・業・苦しみも、み仏の光明に、まっ白に輝く白山の光明に、絶えず、常に照らされていたのでありました。
 11時15分に坐を立ち、白山に投地礼をして下山。朝よりも緩んだ雪上を戻ってゆき、13時前に林道へ。雪融け水と一緒に林道をゆるゆる下ると、道で遊んでいた二匹のおサルさんが音もなく藪に隠れました。


林道をずっと下ってゆき、14時に新中宮温泉入湯。天然温泉ですが、370円で入れます。「此の地促膝の人、今生にはつねに我が山の加護を蒙り、当来には必ず彼岸の覚位を証せん」(西因上人発願文)。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝