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洲原神社より瓢ヶ岳登拝

 12月30日朝7時、白山美濃馬場前宮・洲原神社に参拝しました。


養老5年(721)泰澄大師の創建と伝わり、かつては拝殿の後ろの本殿三殿には、白山三所権現の本地仏である十一面観音菩薩・聖観音菩薩・阿弥陀如来が祀られていたことでしょう。柏手を打ち、白山三所権現のご真言とご宝号をお唱えしました。拝殿・本殿と直角方向には斎殿があり、背後には鶴形山の姿。


白山美濃馬場中宮・長瀧寺は、白山宮の拝殿・本殿と直角方向に大講堂があり、拝殿の前で両者の参道がクロスしています。白山越前馬場中宮・平泉寺もかつては同じ配置をしていました。洲原神社の斎殿も、かつて講堂であったとすれば全く同じ配置になります。長瀧寺大講堂のご本尊は大日如来・釈迦如来・阿弥陀如来の三尊、越前・平泉寺の大講堂(中堂)および豊原寺の講堂のご本尊は薬師如来、白山加賀馬場の七社の講堂のご本尊は大日如来であったようです。十一面観音菩薩・聖観音菩薩・阿弥陀如来の三尊は講堂(中堂)の本尊ではなく、あくまで白山宮の本地仏として祀られていたことは、白山三所(御前峰・別山・大汝峰)の頂の大御前社・別山社・大汝社に明治の神仏分離まで十一面観音菩薩・聖観音菩薩・阿弥陀如来の坐像が祀られていたことからも、明白です。
 国道を渡って慈光寺に参拝し、鶴形山登山道へ。今清水社跡にて地蔵菩薩ご真言をお唱えしました。白山美濃禅定道・石徹白大杉の側の今清水社を勧請したものでしょう。不動の滝は水が少なめでした。別山社・大御前社跡に参拝し、長良川を見下ろしました。


谷を渡って奥御前社跡へ。美濃側・越前側からは、大汝峰は奥院になります。朝日に向かって念仏をお唱えしました。


8時前に鶴形山登頂、鉄塔からは北西に母野洞の姿。


鶴形山から西へ縦走し、8時半すぎに高山(湯の洞山)登頂。雪の御嶽山・乗鞍岳・北アルプスを遥拝しました。


高山から少し戻ると母野洞方面(北)への細道があり、下ってゆくと尾根がずっと続いていました。峠からは尾根を北上、鉄塔を経て9時15分に母野洞に登頂しました。


母野洞からさらに尾根を北西~北へと縦走。倒木などがありますが、踏み跡は明瞭です。右手には中央アルプス、御嶽山、乗鞍岳、北アルプス。


急峻な坂を登って10時前に鉄塔に出、北西に今淵ヶ岳を遥拝しました。


 鉄塔から先は足元に笹。倒木上には残雪も見え始めました。10時半、反射板より御嶽山や中央アルプスの山並を遥拝。


南アルプスの山並も見えました。峠のお地蔵さまに掌を合わせ、笹の尾根を北西へ。


やがて岩の間を縫って西へ登り、11時に片知山登頂。


片知山から北へ下ると、雪で足が滑りました。北へと続く縦走路は、笹が深い処で腰丈くらい。たいした藪ではありませんが、登り道では付加がかかり長丁場では疲れます。正午に南岳に着くと、北に真っ白な白山が拝めました。


山頂部は雲を纏っていますが、際立つ白さです。白山に向かって観音経を読誦しました。
 南岳から瓢ヶ岳へ。瓢ヶ岳には、藤原高光が虚空蔵菩薩(高賀山の本地仏)のご加護で鬼(あるいは妖怪)を退治した、という伝承があります。高光公(如覚法師)は右大臣・藤原師輔の子で、父の死後、地位も妻子も捨てて比叡山で出家し、奈良の多武峰に移って増賀上人を招いた方です。瓢ヶ岳の鬼退治の伝説は、表面的なことよりもその意味する処が重要でしょう。「虚空蔵菩薩の所現の相は一切皆空なるがごとく」(「摩訶止観」)。虚空蔵菩薩のご加護とは、「一切皆空」、即ち般若(仏さまの智慧)です。鬼(妖怪)とは私たちの煩悩であり業であり、苦でありましょう。「衆罪は霜露の如し、慧日よく消除す」(「観普賢経」)。私たちの煩悩(欲望、怒り、愚痴、名利など)を、絶えず智慧の光に照らして転じることが、この伝説の眼目だと思います。


 12時半に瓢ヶ岳登頂、積もるほどの雪はありませんが、冷たい空気が気持ちよいです。東側に乗鞍岳・御嶽山・中央アルプス・南アルプス・恵那山を一望。


北側には白山、滝波山、美濃平家岳、高賀山。


白山に向かって如来寿量品偈と円頓章を読誦し、しばし坐しました。


如覚法師(高光公)の師であった多武峰の増賀上人は、名利を捨てるために伊勢神宮から比叡山まで衣類を人々に与えて素っ裸で帰ったり、貴人の法事で名利の心を笑殺するが如き振舞いをしでかしていますが、上人は特に止観(禅)の教えに通じていたようで、多武峰(妙楽寺)で摩訶止観を講じたり、季節ごとに二十一日間の法華三昧(止観の修行法の一つ)を行じたりしています。止(禅定)と観(智慧)の実践によって、己れの強い煩悩と深い悪業と苦しみという結果を絶えず見つめ直し、些かでも転じてゆきたいものです。
 妙理妙法の光明を反映する白山に投地礼をし、13時に下山。南岳より瓢ヶ岳と白山を拝み、来た道を戻ってゆきました。


14時に片知山着。


15時に鉄塔から下ってゆくと、猿たちが逃げてゆきました。16時に母野洞と高山の間の峠を通過、高山の登山道に出て六角堂方面へと下ってゆくと、高山から続く山の端に夕日が隠れてゆきました。


アップダウンのある尾根を六角堂へと下ってゆき、17時、南に長良川や高速道路の車の灯りを見下ろしました。


六角堂に下り、泰澄大師作と伝わるお地蔵さまに参拝。


お堂の前に拝殿があるのは、元々、このお地蔵さまが本地仏として祀られていたからでしょう。越前勝山の岩屋観音、越中五箇山の白山宮と同様の、白山信仰の古来の姿です。白山信仰の遺産を○○遺産に、という話もあるようですが、私は信仰の遺物よりも生きた信仰こそが大事だと思います。奈良時代以来、一千年以上に渡って私たちのご先祖たちが行ってきた神仏習合の信仰の姿が、此処にひっそりと残されています。白山三馬場の白山神社も、平成の時代に明治政府の神仏分離政策を続ける必要はないはず。白山頂の社殿に、白峰に下山している本地仏を戻せ、とは申しませんが、本殿に、あるいは、せめて境内に本地仏を祀ってもよいのではないでしょうか。奈良・多武峰の妙楽寺も神仏分離で廃寺となり、仏像が撤去されて談山神社となりましたが、談山神社には一体の観音さまのお像が残され、祀られています。○○遺産も結構ですが、神仏習合の公式な復権には、世界的な意義があるかもしれません。
 ヘッドランプを点けて峠道を下り、国道の立花トンネル須原側に降りました。左前方に鶴形山の山かげ。長良川鉄道のワンマン車輌が山裾を走ってゆきました。


17時半に洲原神社に戻り、燈籠の灯りを頼りに参拝。白山権現と泰澄大師に、この一年の山行の体験と無事を感謝しました。燈籠の向こうに鶴形山のシルエットを見上げ、掌を合わせました。


来たる年が皆さまにとって、光多き年となりますように。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝