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多度山放浪

 1月11日早朝、多度山の麓の愛宕神社に参拝し、山道を駈け上がりました。


7時に愛宕社跡に出ると、木曽三川の向こうに名古屋と恵那山が望め、長島の向こうから朝日が昇ってきました。



やがて、朝焼けの空を映す木曽・長良・揖斐の三川に輝く、三つの光明。


三川が伊勢湾に流れ込む一帯には幾つもの中洲があり、たび重なる洪水の中で、先人たちは輪中を形成してきました。長島輪中と三川を照らす金色の光に、お釈迦さまの教えを想いました。
「自らを洲とし拠り処として、他人を拠り処としてはならない。法を洲とし拠り処として、他を拠り処としてはならない。」
愛弟子・舎利弗尊者と目連尊者を失った晩年のお釈迦さまが、弟子たちに説いたお言葉です。無常なるものを拠り処にするのではなく、変わることのない妙理・妙法を自分の拠り処にしなさい、自分のものにしなさい、というお諭しでありましょう。
 山頂に登り、高峯神社に参拝。


神社の隣には、無数のお地蔵さまの石仏を祀ったお堂がありました。山頂から、恵那山や雲を被った御嶽山を遥拝。木曽三川の中洲は、昔はもっと小さな洲が点在し、その間を川が網の目のように流れていたそうです。水害と向き合いながら先人たちが作りあげてきた輪中の生活の知恵は、地球温暖化による海面上昇や、大規模な風水害に直面しつつある私たちと子孫たちにとっても、大切です。
 山頂から鉄塔巡視路を伝って相場振り跡へ。電信・電話のなかった時代、米の相場を桑名で手旗で示すのを望遠鏡で受信し、手旗で今尾(海津市)や赤坂(大垣市)に送信していたそうです。見晴らしのよいピークからは、御嶽山が望めました。


白山方面は雲に覆われていました。来た道を戻って30分程で愛宕神社に下り、隣のお堂に参拝。


この辺りには多度大社の神宮寺である宝雲寺があり、ご本尊の「鷲蔵観音」や「多度大菩薩」が祀られていたそうですが、元亀2年(1571)、織田信長の長島一向一揆攻略で多度大社も宝雲寺も全山焼失、後に再建されましたが、明治の神仏分離で廃寺となりました。神宮寺を建てたのは箱根三所権現を開いた満願禅師(万巻上人)で、天平宝字7年(763)、この辺りに阿弥陀如来を祀っていた満願禅師に、多度神より「仏法僧の三宝に帰依したい」旨の神託があり、お堂を建てて多度大菩薩の像を祀ったとのことです。
 多度大社へと足を進め、多度観音堂に参拝。明治の神仏分離で廃寺となった宝雲寺のご本尊・鷲蔵観音さま(十一面観音菩薩)と千手観音菩薩の御前で、般若心経をお唱えしました。小野篁(おののたかむら)が遣唐副使として渡唐の際、暴風雨に遭ったものの、この観音さまの霊験によって助かったと伝えられているそうです。小野篁は承和3年(836)と翌4年(837)の二回とも遭難して渡唐に失敗しており、この時のことでしょう。承和5年(838)の渡唐は成功していますが、篁は病などを口実に日本に残っています。
 多度大社本宮と別宮に参拝。本宮と別宮の祭神は親子とされているようで、別宮(一目連神社)の祭神は古くはイチモクレンの神と呼ばれ、暴風雨(竜巻)を起こす神、あるいは暴風雨から守る神として信仰され、その姿は片目のない龍であるそうです(小島瓔禮「日本の風神雷神信仰」(「天空の世界神話」所収))。満願禅師に三宝帰依を願ったのも、この龍神でありましょう。また、小野篁が「暴風雨」に遭い命を救われたというのも、一目連の神を想起させます。「多度大菩薩」と「鷲蔵観音」は、二尊一体であるのかもしれません。
 多度大社から愛宕神社に戻り、東麓の宇賀神社に参拝しました。近辺の山林には猿の群れがいました。大人もいれば子猿もおり、びっこをひいているお猿さんもいれば、坐禅をしている(?)お猿さんもいました。


何やら人間社会を思わせる彼らの息災延命を祈りました。
 揖斐川を渡り、油島の治水神社に参拝。江戸時代宝暦年間、幕府より木曽三川の治水工事を命じられた薩摩藩の工事犠牲者が祀られています。自決した方と病没した方が合わせて86名に上り、総奉行であった平田靱負(ゆきえ)も、宝暦5年(1755)の工事完了後に亡くなっています。観音堂にお参りし、この時に造られた千本松原から、揖斐川の向こうに多度山を遥拝しました。


火難、水難、風難…災害を防ぐには祈るだけではダメで、本当の祈りには行動が伴うはずです。
 アフガニスタンで長年、灌漑水利事業を続けておられる中村哲医師は、江戸時代に造られた福岡県の山田堰など、日本の先人たちの治水・利水の知恵を応用しているそうです。木曽三川の輪中からも、先人たちの知恵を学ぶことができます。「輪中の農家」には、水害時に避難できる高台の「水屋」がありました。


また、母屋には障子が北と南にあり、取りはずせるようになっています。これは、川が北から南へ流れているので、洪水時に水を逃がして倒壊を防ぐ知恵だそうです。大切な仏壇は、水害時にはロープで二階へ上げられるようになっていました。洪水が溢れる場所を作っておく「霞堤」もそうですが、先人たちは人間の力では食い止められない大自然の力を、うまく逃がす知恵を持っていました。
 昼頃、北の方の雲が晴れ、長良川に架かる橋から真っ白な能郷白山、そして長良川上流に白い頂がうっすらと見えました。白山のようです。


白山連峰の雪を源とする、長良川。能郷白山や伊吹山地を源とする、揖斐川。御嶽山などから流れる、木曽川。白山に掌を合わせ、山の恵み、川の恵み、大自然の恵みに感謝しました。この恩恵を独り占めせず、分に応じていただき、周囲の人、次の人、生きとし生けるもののために、とっておきましょう。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝