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タカネ(箭筈山)・高賀山登拝

 高賀山には四方八方から登らせていただいておりますが、今回は板取・白谷(しらたに)の根道神社からの尾根を、タカネ(箭筈山)経由で縦走してみました。
 ところで、タカネという山について、三年前の夏に白谷の観音洞より登った際、当ブログに「高賀山の西に鎮座するタカネは、頂部中央の窪みの左右に二つのピークを持つ、均整のとれた姿のよい山で、何故この山が高賀三山に含まれていないのか不思議なくらいです」と書きました。江戸時代に書かれた「濃陽志略」には、「洞戸」の「山川」に、「高賀嶽、此の山最も秀抜、板取白谷嶽と相対す、遠望の形箭筈の如し、近国皆名づけて箭筈山と曰う、是也」(原漢文)とあります。箭筈(やはず)とは弓矢の尾部にある、弦(つる)に当てる小さな凹みのことで、矢筈とも箭括とも書きます。高賀の山並を日頃見ている者ならば、この「箭筈山」とは高賀山(高賀嶽)ではなくタカネ(白谷嶽)のことであろう、と察しがつくでありましょう。その通りで、「濃陽志略」の「板取」「山川」には、「箭括嶽、白谷に在り、孤峰秀抜、洞戸高賀嶽と相対す、遠方これを見るに、形、箭括の如し、故に名づく」とあります。矢筈山という名の山は日本全国にあり、皆、このタカネのような姿をしております。古来、その姿から箭筈山と呼ばれていたこの山が、何故、高賀三山に入らぬどころか、カタカナの呼び捨てになっているのか理解に苦しみます。白山からも濃尾平野からも一目で分かるこの山が、古来の名である「箭筈山」、あるいは「矢筈山」と呼ばれることを切に望み、提唱いたします。


(昨年12月9日撮影)
 1月22日朝6時半、白谷の根道神社に参拝。昨年から急に有名になった○○の池に、灯籠の光が映っていました。


神社の裏手の遊歩道から、雪の積もった尾根へ。藪を覚悟していましたが、古道なのか山道らしきものが続いており、獣の足跡がありました。


尾根を東へ登ってゆくと、北東に箭筈山と高賀山の姿が見上げられました。これから縦走してゆく尾根が高賀山の手前に見えます。


 7時半、594m三角点に出ると朝日が差してきました。


三角点からさらに尾根を進むと、巨大な岩が現われました。


「濃陽志略」に「高山石、白谷山中に在り、竪一丈四尺横一丈三尺許、形圓く榻(とう)の如し、里老云わく、高山上人は養老年中の人也、此に於いて坐禅す、故に以て名と為す」(原漢文)とありますが、これが高山上人の坐した石でしょうか?養老年中(717~724)といえば、白山を開いた泰澄大師と同時代です。泰澄大師が白山に登って修行をされたように、高山上人も箭筈山や高賀山で修行していたのでありましょう。当時、おそらく、名も伝わらぬ多くの行者たちが峰々で修行していたはずです。各地に伝わる泰澄大師の伝承の影には、それらの無名の行者たちの活動が含まれているのではないでしょうか。
 周辺にも岩が多く、東側に今淵ヶ岳~瓢ヶ岳方面の山並が見渡せました。


雪の尾根は東へ続き、やがて高度を上げつつ北東へ。8時半、尾根は北向きとなり、右前方に高賀山、左前方に箭筈山を見つつ縦走してゆきました。


積雪は10cmくらい。なだらかな尾根が続いた後、箭筈山への上りとなり、右手に高賀山、左手に伊吹山を遥拝。



岩の多い斜面を登り、10時前に山頂部へ。東のピークを経て箭筈山の凹みを通過。


積雪は深い処で膝下くらいです。西のピークより北に白山を遥拝しました。


三ノ峰と別山が拝めましたが、白山頂部は雪雲の中。凍てつく北風の中、白山に向かって般若心経を読誦しました。
 箭筈山から高賀山との鞍部に下り、鉄塔より箭筈山を振り返りました。


高賀山へ尾根を直登、雪が深くなってきたのでカンジキを履きました。11時半、山頂西の巨岩に登り、伊吹山から多度山までの山並を遥拝。手前には白谷から箭筈山まで歩いてきた尾根を一望できました。


雪雲に隠れた白山に、観音経を読誦。山頂へと向かいました。


 正午前に高賀山登頂。白山は雪雲を被っていましたが、鷲ヶ岳の白い山並がよく見えました。


白尾山のスキー場も、ようやく開業できたようです。白山の左には美濃平家岳と滝波山。


東側は御嶽山は雲隠れ、郡上八幡の彼方に中央アルプスと恵那山が望めました。


南には濃尾平野、木曽三川、伊勢湾。


高賀山本地・虚空蔵菩薩ご真言をお唱えして下山しました。
 山頂西の岩の庇の下は南面し、雨風の防げる処です。おそらく、この大岩は行場であったのでしょう。相変わらず空気は冷たいですが、昼の日差しに樹々の雪が舞い落ちていました。


「衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし」(「白隠禅師坐禅和讃」)
高賀山の雪は板取川~長良川を下って伊勢湾へ、大海へと流れ、雲となり、雨や雪となります。雪は、雪ぎりではありません。そのように、人も、人ぎりではありません。餓鬼にも畜生にも修羅にもなれば、菩薩や仏にもなれるはず、誰にでも仏性・仏因はあるはずです。「当に成るべき仏」です。坐禅も念仏も読経も礼拝も、皆、その為の縁でありましょう。一世一代ぎりの縁ではなく、生生世世にわたる仏縁です。
 箭筈山との鞍部から箭筈山へ少し登り、途中から雪の斜面を南側へトラバース。


13時半に往路の自分の足跡に出会い、足跡を辿って下ってゆきました。雪が緩み、往路よりも藪が出ていました。15時前に高山石(?)を拝んで三角点から下り、北東の高賀山と箭筈山に掌を合わせて虚空蔵菩薩に感謝しました。


16時前に麓に下山、白谷観音堂の十一面観音菩薩さまにお参りしました。


「観音堂、古、大悲山圓教寺と名づく、今廃れ、観音堂一宇を存す、濃州三十三番第一たり、白谷に在り」(「濃陽志略」原漢文)
かつては大きな寺院であったそうです。高山上人とも係わりがあったのかもしれません。モネの池を見に来られる皆さま、是非、白谷観音堂にもお参りください。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝