FC2ブログ

記事一覧

富士宮~村山~天子ヶ岳巡拝

 2月12日朝6時、薄明の中、富士宮市の富士山本宮・浅間大社に参拝しました。



富士山から湧く湧玉池に、灯籠の光が映えていました。



浅間大社から若之宮浅間神社を経て北東へ。正面に拝む富士山は、頭に雲を纏っていました。



車道を歩いてゆき、8時前に富士山登拝者の古道、「道者道」に出ました。付近には「山辻の石畳」が残っています。



やがて、富士山根本宮・村山浅間神社に到着。かつての村山修験の拠点、興法寺です。境内には浅間宮と大日堂が並んでいます。



興法寺を建てた末代上人は、富士山の本地仏を大日如来とし垂迹の姿を浅間大菩薩として、聖護院を本寺とする富士山修験の礎を築いた方です。「富士上人」とも呼ばれた末代上人は、白山とも深い縁のある方です。
 「本朝世紀」に、久安5年(1149)、京の一院で大般若経の書写供養が行われたことが記されています。この書写供養は、駿河の末代上人が大般若経六百巻分の料紙を鳥羽法皇に献じたことにより、法皇の発願で為されたもので、末代上人は慈覚大師(円仁上人)の如法経書写供養に倣って関東の庶民に写経・埋納を勧進し、残った料紙を携えて上洛したとのことです。それまでに末代上人は富士山に登ること数百度、富士山頂に大日寺を建て、また、白山の龍池の水を酌んだ、かつて天喜年中(1053~58)に日泰上人が白山の龍池の水を酌んだが、末代上人は日泰上人の後身か?と書かれています。後身とは、生まれ変わりということでしょう。
 日泰上人が白山の「滝」の池の水を酌んだことは「続古事談」にも書かれており、この「滝(瀧)」は「龍」の写し間違いかもしれません。また、「古事談」には、白山の深山中に御厨(みくりや)池という池があり、龍王が集まって供養をする池で、人が近寄れば雷電猛裂にして人を害うが、浄蔵及び最澄(泰澄か?)聖人が白山権現に申請して池の水を汲んだ、その事を伝え聞いた日台聖人が二十一日間勤行して池の水を汲むと、心神迷妄となったが無事に持ち帰り、その水を病人が飲み、塗れば治らぬことはなく、生生世世仏法に値遇することができる、とあります。さらに「白山之記」には、白山頂の東の谷に宝の池があり、人跡不通であるが、日域聖人がその水を汲んだ、とあります。「日域」は「日代」の写し間違いではないでしょうか。いずれにしても、末代上人より一世紀程前に日代(日泰・日台)上人が白山の龍池(御厨池・宝池)の水を汲んだことは、間違いないようです。そして、「浅間大菩薩縁起」には、末代上人以前に富士山に登った三人の名が記されており、その一人は日代上人とのことです。
 「古事談」には、日台聖人が白山御厨池の水を汲む以前に浄蔵法師が水を汲んだと記されていますが、「大法師浄蔵伝」によれば、浄蔵法師が天慶2年(939)に白山で夏安居の折、古老から「神融という名の苦行人が景雲年中(慶雲、704~708)に白山を開山し、法華経の功力で毒龍悪鬼を御厨池に閉じ籠めた、人が近づけば天地震吼し四方は暗闇となる」との話を聞き、確かめに御厨池の水を汲みに行ったことになっています。神融法師とは泰澄大師のことですから、この池を介して泰澄大師~浄蔵法師~日代上人~末代上人が繋がっていることになります。「白山之記」には、白山頂・御前峰の宝殿前の鰐口と錫杖、大汝峰頂・別山頂の宝殿前の錫杖は、末代上人の請により鳥羽法皇が願主として奉納したものであることも記されています。(尚、白山の御厨池(龍池)については、昨年10月末の「大白川より白山登拝」時の記録に詳細がありますので、興味のある方はご覧ください。)
 浅間宮にて浅間大菩薩ご宝号、大日堂にて般若心経と大日如来ご真言をお唱えし、その間の奥にある高嶺総鎮守に参拝。



明治の神仏分離までは「大棟梁権現」と称し、「富士山縁起」によれば本地は十一面観音菩薩。江戸時代の「駿河国冨士山絵図」を見ると、浅間宮・大日堂と並んで大棟梁権現が建っていたようです。末代上人が祀られているとのことですが、「仏法大棟梁」とは白山妙理権現の別号ですし、十一面観音菩薩は白山権現の本地仏、「大棟梁権現」は白山との繋がりを感じさせます。「泰澄和尚伝記(金沢文庫本)」の奥書には、泰澄大師は白山本地・十一面観音菩薩の普門示現の声聞形である、と記されていますが、末代上人にも同じ意識があったのかもしれません。泰澄大師が越知山で入定されたように、末代上人は村山で入定されたそうです。大棟梁権現ご宝号をお唱えし、泰澄大師から末代上人へ、白山から富士山へと続く神仏習合の流れに思いを致しました。
 村山から西へと歩いてゆくと、右手に雲を被った富士山が拝めました。



行く手に天子ヶ岳を望みつつ進み、9時に山宮浅間神社着。



本宮浅間神社(浅間大社)の元宮で、社殿はなく、富士山の遥拝所があります。



今日は富士山頂は雲隠れ。末代上人は、富士山頂と火口を曼荼羅に見立て、中央(火口)に大日如来、八方の峰々に仏菩薩を祀りました。東は薬師如来(阿シュク如来)、南は宝生如来、西は阿弥陀如来、北は釈迦如来(不空成就如来)。金剛界曼荼羅の五智如来です。この四仏は、私たちの深層の無意識を大円鏡智に、意識下の我執を平等性智に、意識を妙観察智に、眼耳鼻舌身の五識を成所作智に転じる、大日如来の智徳を表わしています。その中間の四方は、弥勒・文殊・地蔵・観音の四菩薩が当てられており、胎蔵界曼荼羅に倣ったものでしょう(胎蔵界曼荼羅では弥勒・普賢・文殊・観音ですが)。末代上人は富士山の本地仏として大日如来を祀るだけでなく、富士山に大日如来の理徳を表わす胎蔵界と智徳を表わす金剛界の両界曼荼羅を感得したのでした。富士山に向かって光明真言をお唱えしました。
 山宮浅間神社から山宮薬師寺に参拝し、さらに西へ。



小雨が降ったり止んだりしていました。この辺りは、八幡宮と道祖神が多いようです。10時前に北山本門寺に参拝。



法華経の題目をお唱えしました。密教における宇宙の根源・大日如来と法華経の久遠実成の本仏・釈迦如来は、二仏一体です。本門寺から北へ、右前方に富士山、左前方に天子ヶ岳を望みつつ行道。天子ヶ岳の頂も雲に隠れてきました。
 11時前、高台の稲荷神社に参拝しました。北側に少し下ると若桜神社という社があり、背後に天子ヶ岳の姿。



富士山も拝める社前には、日清・日露・太平洋戦争に当地・上井出から出兵した戦没者の慰霊の碑があり、念仏をお唱えしました。工藤祐経の墓、曽我の隠れ岩、音止の滝を経て、白糸の滝へ。



屏風のように立ち並ぶ絶壁から幾筋もの滝が流れ落ちる光景は壮観で、思わず掌を合わせました。



滝には江戸時代の富士講の中興の祖・食行身禄の碑があり、滝の上には「お鬢(びん)水」という鏡の如き真清水があり、お水を服して浅間大菩薩に掌を合わせました。



 いよいよ、これから山登りです。11時半、滝から北西へと出発、佐折の石幢(六地蔵)にお参りして天子ヶ岳を遥拝。



沢のほとりに建つ白山大権現にて般若心経と十一面観音菩薩ご真言・白山権現ご宝号をお唱えし、「行ってまいります」と山道を登ってゆきました。



一時間程登ると山道には残雪が現われ、霧の中を急登。13時半前、天子ヶ岳に登頂し般若心経と仏法大棟梁白山権現ご宝号をお唱えしました。



長者ヶ岳方面への尾根は雪に覆われていました。



 帰りは麓からバスに乗るつもりでしたが、立石バス停をバスが通るまであと一時間。一心に駈け下り、山頂から50分で白山大権現着、観音経を読誦して白山権現さまに感謝し、沢の冷水で汗を洗いました。



白山宮から再び、バス停までダッシュ。無事にバスに間に合い、帰路につきました。
 帰りのJR身延線の車中でのこと。ワンマン電車の二両目は、無人駅ではドアが開かない旨、日本語でのアナウンスがありましたが、中国人のカップルには分かるはずもありません。降りようとしてドアが開かず、戸惑っていました。見ていた私が指で前の車両を示すと、理解したのか前の車両へと急ぎ、無事に降りることができました。世界遺産「富士山」構成資産を訪れる外国人は少なくないはず。また、耳の不自由な乗客もあるはず。文字(日本語と英語)での表示や英語でのアナウンスがあったら、もっと多くの人が利用しやすくなることでしょう。


関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

白山順禮写真館

Haxanjunrei

松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝