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岩滝山~北山~権現山順拝

 21日午後、買い物に出たついでに岩滝山上の白山神社に久々にお参りしたくなりました。山麓の六所神社に参拝し、山道を登って先ずは「洲原白山」に参拝。


白山美濃馬場前宮・洲原白山(洲原神社)を勧請した処です。尾根に沿って東へ登ってゆき、白山神社へ。


今日は白山は雲隠れ。般若心経と白山本地・十一面観音菩薩ご真言、白山権現ご宝号をお唱えしました。
 白山社から20分程で北山頂の多度神社への石段へ。


この山は権現山とも呼ばれ、周囲にたくさんある「権現山」と区別するため各務原権現山と呼ばれているようですが、此処は元々、多度権現を勧請した処と思われ、多度権現山と呼ぶのが正しいでしょう。多度神のご神託により満願禅師(万巻上人)が多度山麓に神宮寺を建て、多度大菩薩を祀ったのは天平宝字7年(763)。此処からも、南西に多度山がよく見えます。山頂の多度神社にて多度大菩薩ご宝号をお唱えしました。
 多度権現山から北に、もう一つの権現山が見えます。


岐阜権現山とか芥見権現山と呼ばれていますが、この山は泰澄大師が蔵王権現を勧請した処と伝えられ、蔵王権現山と呼ぶのが正しいでしょう。蔵王権現山へと縦走してゆきました。東に中央アルプスの白い山並を見つつ北へ進み、峠へと急降下。峠から山道を駆け登って稜線に出、西のピークの芳野神社に多度権現山から20分で到着しました。


明治の神仏分離までは蔵王権現と呼ばれ、白山を開山された泰澄大師が天平宝字5年(761)にこの山の麓を通った際、蔵王権現が出現したので山頂に社を建てて祀ったそうです(「芥見郷土誌」)。蔵王権現は役行者が金峯山(きんぷせん)で感得され、本地は釈迦如来・千手観音菩薩・弥勒菩薩です。蔵王権現ご真言と泰澄大師ご宝号をお唱えしました。
 芳野神社から東のピークへ。此処は三角点があり、見晴らしがよいです。南には多度権現山の向こうに名古屋の高層ビル。


西には金華山と長良川。


東には中央アルプスと恵那山。北には高賀の山並。


北面して、今日は見えない白山に掌を合わせました。北麓の大洞にある願成寺は、泰澄大師が養老5年(721)に当地に移して開山されたと伝わり、ご本尊は行基作の十一面観音菩薩です。泰澄大師は白山に十一面観音菩薩を祀って開山しただけでなく、京都の愛宕山、越後の国上山、九州の阿蘇山など各地で神仏習合・神仏両道の教えを弘めた方です。泰澄大師が白山三所権現を開いた養老元年(717)から40年後の天平宝字元年(757)に箱根山に三所権現を感得した万巻上人も、多度山の他、鹿島に神宮寺を建てており、泰澄大師の教えを受け継いだ方だといえましょう。
 蔵王権現山から来た道を戻り、多度権現山へ。夕暮れの濃尾平野の向こうに多度山の山かげ。


東には中央アルプスの白い山並の上に満月が昇り、西には岩滝山(白山権現)の彼方に日が隠れようとしていました。



思えば、白山は長良川の源流であり、多度山は長良川の河口部。白山の本地仏は十一面観音菩薩であり、多度山の「鷲蔵観音」も十一面観音菩薩です。此処に来たのは偶然ではなく、十一面観音さまのお導きであったのだな、と理解したのでした。
 尾根を西へ下ってゆくと、雲に沈んだ夕日の残照が後光のように輝いていました。


思わず、阿弥陀さまの名号をお唱えしました。東には多度権現山の上に満月。


薬師如来ご真言をお唱えしました。岩滝山の白山社にて心経を読誦し、蔵王権現山から一時間で六所神社に戻りました。


何回か登ったことのある山道でしたが、新たな体験をさせていただくことができました。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝