FC2ブログ

記事一覧

雪の石徹白/阿弥陀ヶ滝

 3月1日早朝、雪の中、郡上白鳥の薬王山正法寺坐禅会へ。東日本大震災から間もなく5年。今年も、和尚さま発願の慰霊の旅に参加して現地を訪問してまいります。西澤英逹管主のテレホン法話は0575-82-4321です。
 坐禅会後、晴れ間は出てきたものの雪はやまず。白く凍りついた道をローギアで運転し、桧峠を越えて石徹白へ。白山中居神社には膝丈まで新雪が積もっていました。


影向石から宮川の向こうに大宮殿を遥拝。


この石は、泰澄大師が坐して礼拝念誦していると、眼下の短滝に貴女が現われた処と伝えられています。貴女(白山妙理大権現)は、私は此処を中居(ちゅうきょ)として和光同塵の垂迹身を現わしているが、本当の姿(本地)は白山の天嶺にある、と大師に告げて消えたのでした。
 越の大徳・泰澄大師は、臥行者(能登出身)と清定行者(出羽出身)の二弟子と共に修行していた山から白山を遥拝し、霊亀2年(716)、夢に現われた貴女のお告げで白山開山を発願、翌養老元年(717)、「中居」に夢の貴女が現われ、白山天嶺にて本地・十一面観音菩薩を感得したと伝えられています。大師が白山を遥拝し発願した処と、貴女の現われた「中居」には、文献により二つの伝承があります。一つは、越前の越知山で修行していた時に貴女の夢告があり、大野隈筥川の東・伊野原の林泉(白山越前馬場・平泉寺の御手洗池)で貴女が現われたという伝承。もう一つは、加賀の医王山で修行中に夢告があり、舟岡山安久濤淵(白山加賀馬場・白山本宮の旧鎮座地付近)で貴女が現われたという伝承。白山美濃禅定道・石徹白の「中居神社」には、この地が「舟岡山」と呼ばれ西側を「隈筥川」が流れるなど、越前と加賀の両伝承に通じる地名があります(越前大野の隈筥川は隈川(真名川)と筥川(九頭竜川)のことですが、石徹白の隈筥川は、「越前国名蹟考」の石徹白境内図によれば、石徹白川のことのようです)。そもそも、観音さまは「十方の諸の国土に刹(くに)として身を現ぜざることなし」(「観音経」)と説かれるお方ですから、「中居」がたくさんあるのが当然といえます。越前の人を救う為には越前の人と風土に合わせて身を現じ、加賀の人の為には加賀の人と風土に合わせて身を現じ、美濃の人の為には美濃の人と風土に合わせて身を現じるのが、観音さまの自在な抜苦与楽の行であります。
 布橋を渡り、大宮殿に参拝。


此処には明治の神仏分離まで、奥州平泉の藤原秀衡公が寄進した虚空蔵菩薩さまが祀られていました。虚空蔵菩薩は大日如来の大空三昧を表わしており、右手には宝剣を握り、左手には宝珠を持っています。宝剣とは一切皆空、即ち般若(智慧)のこと、宝珠とは、虚空より無尽の宝財を出生する福徳のことです。「色即是空、空即是色」です。白山においては、別山平の加宝社、加賀禅定道・笥笠中宮の先の加宝社、越前馬場平泉寺の本社・白山三所権現の隣の加宝社などに祀られ、比叡山麓日吉大社の客人宮(白山権現)にも「賀宝」として祀られていました。加宝とは、虚空より無量の財宝を雨降らす虚空蔵菩薩の徳のことでありましょう。かつて虚空蔵菩薩が鎮座していた大宮殿にて般若心経と虚空蔵菩薩ご真言、念仏をお唱えし、東日本大震災の犠牲者を追悼し、被災地の復興を祈りました。
 大宮殿の後ろの本殿に登り、柏手を打って白山妙理大権現に参拝。さらに裏山の雪を登って浄安杉にお参りしました。


カモシカもお参りに来てました。


古の白山美濃禅定道は、この尾根を美女下平へと登って初河谷に下り、鍋倉平に登って倉谷に下り、大杉のある今清水社へと続いていました。今年もまた、古の白山禅定道の登拝を続けてまいりたいものです。その為には、今は体調大事にせよ、と泰澄大師がお諭しのようです。
 中居神社から大師堂に移動。かつて中居神社に祀られていた、藤原秀衡公寄進の虚空蔵菩薩などの仏像・仏具は、明治の神仏分離騒動以降、此処で大切に守られています。


般若心経、虚空蔵菩薩ご真言、白山権現および泰澄大師ご宝号と念仏をお唱えし、当地の方々と被災地の方々の為にお祈りしました。虚空蔵菩薩は丑寅の方角、即ち東北の守り本尊でもあります。
 桧峠へと車で戻り、前谷のハートピアに車を停めて阿弥陀ヶ滝へ。こちらも、膝丈くらいの新雪でした。阿弥陀堂にお参りして滝へ。


外周の凍った滝壺に、水が落ちていました。


滝の後ろをくぐって不動明王に参拝。


太い氷柱が上から落ちてくるので、注意が必要です。岩窟に入って正身端坐。


この滝は養老6年(722)、泰澄大師が白山中宮(白山美濃馬場・長瀧寺)本殿建立の際に神女のお告げで発見し、長滝と名づけ、中宮の寺号も長瀧寺としたとのことです。泰澄大師は養老元年(717)に北陸側から白山を開山した後、美濃に下って社を建てましたが、養老6年に元正天皇の病を加持して治した後、再び美濃を訪れて長瀧寺を整備したようです。また、烏帽子岳にて白山開踏を祈願し、不動明王から呪文を授けられたとも伝えられています(「明宝村史」)。泰澄大師は、養老元年から2年にかけて下見をした後(前谷の床並社は養老2年の建立と伝わります)、養老6年に美濃側からの白山開山に尽力されたのでありましょう。
 「長滝」はその後、天文年間(1532~1555)に長瀧寺阿名院の道雅法印が阿弥陀如来を感得してから、「阿弥陀ヶ滝」と呼ばれるようになりました。白山妙理権現(即ち十一面観音菩薩さま)は、白山を念じる人の機根に応じ、私たちの思議・思量を超えた姿かたちで現われ導いてくださいます。あるいは大自然の体験の中で、不思議な夢の中で、あるいは日常の生活の中で。江戸時代の円空上人も、郡上千虎の法伝の滝で白山の神託を得ています。いかなる苦しみのさ中にあっても、白山を、観音さまを、正しく念じてまいりたいものです。
「彼の観音力を念ずれば 釈然として解脱することを得ん」(「観音経」)。
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

白山順禮写真館

Haxanjunrei

松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝