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如来ヶ岳登拝

 岐阜市と山県市の間に聳える如来ヶ岳は、山の高さに比して山頂から両側への裾の広がりがとても長くゆるやかで、その優美な山容は白山に通じるものがあります。標高も、白山のちょうど十分の一くらいです。私が古の行者なら、此処に白山権現を祀るだろう、と日頃感じておりましたが、どうやら、本当に白山信仰と関わりのあった山のようです。
 3月7日朝7時、雨がやんだばかりの山県市役所より如来ヶ岳を遥拝。


多福寺にお参りして高木神社へと歩を進めました。高木神社は明治の神仏分離までは白山社と称し、天平15年(743)に泰澄大師が当地に来た際、観音菩薩の像を彫って本地仏として祀ったとのことです。その後、本地仏が破損した為、応永2年(1395)に同体の観音菩薩像が奉納されましたが、明治の神仏分離の際に観音さまは多福寺に移されたそうです。
 多福寺から西の小山へ登ってゆくと祠がいくつかあり、やがて石段と鳥居が現われました。


猿田彦大神に参拝してさらに登ると、立派な拝殿と本殿の御前へ。


この周辺は3km四方に一社くらいは白山神社のある処ですが、如来ヶ岳北東麓の当社に泰澄大師が白山本地仏を祀ったとは、今まで知りませんでした。柏手を打ち、般若心経と白山権現ご真言・ご宝号、泰澄大師ご宝号をお唱えしました。


 高木神社の下の池から藪の尾根に取り付いて、尾根を西へと登ってゆきました。


尾根上は、藪の中に踏み跡が続いていました。


尾根は南に上っては北西へ続き、また南に上って…と、蛇行。南の樹間に山頂部が見え、なだらかな尾根を南へと下ってみましたが、やがて谷となり、8時に堰に着陸しました。


谷を渡って南の斜面へと取り付きました。踏み跡らしきもの(獣道?)はあるもののシダがワサワサと繁り、湿って滑りやすく、倒木も多く、ジュラシックな藪でした。


ドロドロになってシダを掻き分け尾根に出ましたが、南に見える山頂部との間には、谷。尾根は此処から西へ、反時計回りに山頂部へと続いているのでした。灌木の間の細道を登ってゆきました。


 やがて山県・岐阜市境の尾根に出、南へと縦走。如来ヶ岳山頂が間近に見えてきました。


8時半に登頂。南には眉山の後ろに金華山。


西側は彦坂方面。


東海環状自動車道は如来ヶ岳北麓から岐阜市城田寺までは地下トンネルとなるようで、この辺りののどかな風景は残されそうです。山頂から北東には、登ってきた尾根が眼下に見下ろせ、山県市役所は雲海の下。彼方に高賀の山並が一望できました。


北東に高賀山を遥拝しつつ般若心経と高賀山本地・虚空蔵菩薩ご真言、念仏をお唱えし、東日本大震災で亡くなられた方々を追悼しました。
 山頂から東へ下ると明瞭な山道となり、桧峠の「檜の古木」に掌を合わせました。


尾根を進んで左に少し下り、済法寺跡に参拝。


貞観3年(861)、比叡山の慈覚大師(円仁上人)が十一面観音菩薩を本尊として創建、保元年間(1156~58)に如来ヶ岳南東麓の現在地(粟野西)に移転し、慶長年間(1596~1614)に禅宗寺院として再興されたそうです。十一面観音菩薩は白山の本地仏であり、奈良時代に北東麓の高木に泰澄大師が白山本地仏を祀っていたことと、平安時代に慈覚大師が山頂部に十一面観音菩薩を祀ったことは、無関係ではなさそうです。慈覚大師は嘉祥3年(850)に奥州平泉・中尊寺を開山した際、鎮守として白山権現を勧請し、十一面観音菩薩を祀っておられます。
 済法寺跡にて観音経、十一面観音菩薩ご真言、慈覚大師ご宝号をお唱えしました。この山は「如来ヶ岳」と呼ばれていますが、済法寺のご本尊は十一面観音菩薩であり、如来ではありません。しかし、観音さまは元々、正法明如来が苦しむ人々を救う為に菩薩となった、とされるお方です。「如来(タターガタ)」とは仏の十号(十の尊称)の一つで、「如」即ち実相、妙理、覚りに到った者であると同時に、実相、妙理、覚りから来た者でもあります。
「如来の示現が自在無礙なるに、なんぞ必ずしも一向に丈光の形をなさん」(「摩訶止観」)。
「人間の如来は人間に同ぜるがごとし」(「正法眼蔵」)。
如来とは、後光の射した姿でばかりおられるのではなく、私たち衆生を救う為に光を和らげ、私たちと同態となって現われるお方です。お釈迦さまは、「如来(タターガタ)」とよく自称しておられたそうです。
 桧峠に戻り、山頂から東の尾根に続く鉄塔巡視路を降下。快適な山道からは、山県市役所や、工事中の東海環状道高富インターが見渡せました。


鉄塔から振り返って山頂部を遥拝。


山頂から30分程で市役所に戻りました。整備された山道を歩けば簡単に登れる山ですが、山麓から神仏を拝みつつ藪を掻き分け、谷を渡り、尾根を辿る中で、自ずと山、即ち神仏との対話がなされ、己れの小ささ、山の・自然の奥深さ、古人が遺した伝統の奥深さ、そして、み仏のお導きの奥深さが感じられました。
 帰路、東側から如来ヶ岳を遥拝し、如来のお導きに感謝をしました。


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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝