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美女下平~芦倉山~丸山~初河山放浪

 3月22日朝5時半、石徹白の白山中居神社に参拝し、大宮殿の右から尾根へと続く古の白山美濃禅定道を登ってゆきました。



浄安杉から処々藪が出ている雪上を縦走し、泰澄大師が斧の刃をつぶして保川に投げ捨てた、と伝わる斧石(よきいし)を経て、45分程で美女下平到着。北の樹間に、母御石山が頭を出していました。



美女下平には、かつてイワナガヒメが祀られていました。イワナガヒメは妹のコノハナノサクヤビメのような容姿の麗しさはありませんが、はかない美しさではなく、不老長生の女神です。本地仏が何だったのか伝わっていませんが、薬師如来でしょうか?かつて女性は此処までしか登拝を許されていませんでしたが、泰澄大師の母君は母御石まで登って行ったのでした。泰澄大師と、大師の母君に掌を合わせました。
 美女下平からの古の白山美濃禅定道は、八丁坂を下って初河谷を渡り、鍋倉平へと続きますが、今日は禅定道を離れて芦倉山へ。6時半、1017mピークより北東に初河山と芦倉山を遥拝。



西には野伏ヶ岳と薙刀山。



ピークから尾根を北東へ進むと、雪に覆われた林道に出、林道から東側の尾根に取り付きました。



雪上を急登して7時に稜線に出ると、朝日が差してきました。



ゆるやかな尾根は雪に覆われているものの、処々に藪も出ていました。南に毘沙門岳、南西に能郷白山、北側には初河山と芦倉山の間に1659m峰が拝めました。



やがて、正面(北東)に芦倉山の姿。



東側には、保川と小シウド谷の源頭の「中須宿」があった峠。



長瀧寺から尾根伝いに続いていた、白山鳩居(はとい)入峯行者の行場です。朝日に向かって中須宿本地・普賢菩薩ご真言をお唱えしました。
 芦倉山を目前に見上げつつ行道。



ゆるやかだった尾根は次第に急となり、処々で藪漕ぎ。しかし、登るにつれて見晴らしはよくなってゆきます。北には別山が現われ、南には石徹白が見下ろせ、彼方には高賀山。8時半すぎに芦倉山登頂、雪に覆われた山頂より白山を遥拝し、観音経を読誦しました。



左から銚子ヶ峰、一・二・三ノ峰、別山、御前峰、南白山。その手前を、此処から丸山、神鳩、銚子ヶ峰へと続く白山鳩居行者の尾根。振り返れば、鳩居行者の尾根が南東へ中須宿・天狗山・大日ヶ岳へと続き、さらに南へ、桧峠から毘沙門岳・西山を経て長瀧寺まで続いています。





この尾根を横切って、桧峠から石徹白へと下り、中居神社から美女下平へと登る白山美濃禅定道。南西、登ってきた尾根の下方に美女下平が望め、その後方には小白山と野伏ヶ岳、さらに能郷白山・姥ヶ岳、銀杏峯が拝めました。



長瀧寺から白山へと続く美濃禅定道と、鳩居行者の道。美濃禅定道は泰澄大師が開いたと伝えられていますが、私は、鳩居行者の道も大師の開いた道だと思います。泰澄大師は養老元年(717)に越前側から白山を開いた後、美濃側に下って白山中宮を建てました。その後、養老6年(722)に中宮を整備し、長瀧寺と名づけました。明宝の伝承によれば、大師は養老6年(722)に烏帽子岳にて白山開踏を祈願して不動明王を感得しており、おそらく、養老6年に美濃側の峰々を踏査した末、行者の修行の場としての道と、一般の人々が広く結縁できる禅定道の二つの道を開いたのではないでしょうか。
 芦倉山頂から東には、御嶽山・乗鞍岳・北アルプスの峰々を遥拝。



今日は午後に用事がある為、芦倉山から八反滝に下って戻るつもりでおりましたが、天候も雪質も体調も良好、このまま丸山へと縦走することにしました。



1669m峰のヤセ尾根にはけっこう藪が出ていましたが、雪上を順調に縦走。丸山の南東の藪の峰々は、尾上郷から何回か徘徊したことがあります。



この辺りの飛騨側(尾上郷側)に、鳩居行者の行場「カウハシ宿」があったはずです。カウハシ宿本地・文殊菩薩ご真言をお唱えしました。初河谷と大シウド谷の源頭の鞍部に下り、丸山へと雪の上を登ってゆきました。



この辺りは、無雪期には厳しい藪の行場です。10時前に丸山登頂。



正面に聳え立つ別山、その右奥に御前峰。左側には、一ノ峰・二ノ峰・三ノ峰が一つの山として見えます。飛騨側の古地図で「高砂岳」と名づけられているのは、一・二・三ノ峰のことでしょう。そして別山は、「四海波岳(四海浪岳)」と呼ばれていました。白山に向かって観音経を読誦し、四海の波が平らかであることを、また、被災地の復興の成就を祈願しました。丸山から東に、尾上郷の彼方に北アルプス・乗鞍岳・御嶽山を拝みました。



 丸山から南には、歩いてきた鳩居行者の尾根が芦倉山へ、さらに大日ヶ岳へと続いています。



この尾根ではなく、右側の尾根を南西へ、初河山へと下ってゆきました。



10時半に1659m峰着。白山の手前に、丸山から神鳩宿へと続く鳩居行者の尾根が見渡せ、神鳩の避難小屋もよく見えました。



緩んで藪も出ている雪上を下ってゆき、初河山の雪を登って11時すぎに登頂。



北には、白山の手前に右側から続く鳩居行者の尾根が、銚子ヶ峰手前の神鳩で美濃禅定道と合流しているのが見てとれます。



南には、美女下平から石徹白、桧峠へと続く美濃禅定道と、大日ヶ岳から桧峠へ下り、毘沙門岳へと続く鳩居行者の尾根が交叉しているのが見てとれます。



その彼方には高賀山、滝波山・美濃平家岳・平家岳。初河山から丸山への尾根は、美濃禅定道の尾根と鳩居行者の尾根の中間に位置します。泰澄大師は、この尾根も下見したのではないでしょうか。
 以前、夏に、八反滝から尾根を初河山へと登り、初河谷に下って山腹の藪を徘徊し、八反滝へと下ったことがありましたが、凄まじい藪でした。今日も、初河山から尾根を下って八反滝に降りることにしました。雪の尾根を南西へ順調に下り、南側へとカーブする尾根を下ってゆきました。時々、脚の付け根まで雪にはまります。次第に藪が繁くなり、初河谷が下に見えてきました。が…滝が見えません。山腹をしばし徘徊すると、以前通ったような絶壁の険路に…。八反滝より手前の尾根を下ってしまったのでした。今日は時間がないので、下ってきた尾根を登り直して正しい尾根を下ることにしました。しかし、大量の雪に鍛えられた藪を登るのは大変です。必死に登って稜線まで戻り、南西から南へ下ってみると、下の方に八反滝の音と姿が現われました。



喜び勇んで谷へと下ってゆきましたが、下は絶壁でした…。慌てず、藪中の急斜面を流れる沢で喉を潤し、顔を洗いました。沢を渡ると、急斜面ではありますがなんとか下り落ちることはでき、13時すぎに初河谷に着水できました。谷を渡り、雪上を歩いて八反滝へ。



この滝は、「越前国名蹟考」の古地図には「鳩居三番瀧」と書いてあります。此処も、鳩居行者の行場であったのではないでしょうか。長瀧寺から神鳩宿までの尾根伝いに十の宿(行場)があったとされていますが、鳩居入峯とは、禅定道のように白山まで登拝することを第一の目的としたものではなく、白山の山域の中で一心に修行することであったと思われます。単に尾根を歩いたのではなく、十宿を中心に、その周辺の滝や岩に下って修行をしていたのではないでしょうか。長瀧寺からの入峯が、なぜ「鳩居(はとい)」と呼ばれるのかは分かりませんが、「鳩居(きゅうきょ)」には粗末な家・仮住まいの意があり、白山を、大自然を仮の棲み家として修行する行者には相応しい名であるといえましょう。滝前にて般若心経を読誦し、白山妙理大権現に感謝しました。
 八反滝から林道へと急ぎました。できれば林道は使わず、古の禅定道を八丁坂から美女下平へと登って中居神社に戻りたかったのですが、今日は下界での用事があり、急がねばなりません。左上に美女下平を見上げつつ、石徹白川沿いの林道を一心に下ってゆきました。



日当りのよい箇所には路面が現われていますが、まだまだ残雪は多いです。呼吸と歩調と十一面観音菩薩のご真言を合わせ、無心に行道。40分程で中居神社に戻り、白山三所権現と虚空蔵菩薩、泰澄大師に、今日の体験と無事を感謝したのでした。


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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝