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白山開山千三百周年に向けての提案


 来年は、泰澄大師が白山を開山されたと伝わる養老元年(717)から千三百年目となります。「泰澄和尚伝記」等によれば、大師は越前の越知山(あるいは加賀の医王山)にて白山の登拝を発願し、養老元年4月1日に大野隈筥川の東・伊野原の林泉(越前平泉寺の御手洗池)あるいは舟岡山・安久濤淵(加賀白山寺の旧鎮座地付近)で女神の神託を受けて白山に登り、御前峰(緑碧池)に十一面観音菩薩(白山妙理大菩薩)、別山に聖観音菩薩(小白山別山大行事)、大汝峰に阿弥陀如来(大己貴)を感得して白山三所権現を開いたのでした。
 「白山之記」によれば、泰澄大師が白山の神託を受けたのは養老3年(719)7月3日とあり、また、「大法師浄蔵伝」には、慶雲年中(704~708)に神融という苦行人が始めて白山を開いた、とあります。神融法師(禅師)とは泰澄大師の別号で、古志の小大徳、越の大徳とも呼ばれていました。大師がいつ、どこから白山を開いたかについては諸説があり、養老元年越前説は、「泰澄和尚伝記」の説が「元亨釈書」に採用されていることから通説とされているようです。少なくとも言えることは、泰澄大師は白山にいきなり登ったのではなく、周囲の尾根や谷を隈なく歩き、何年もかかって白山を開山されたであろう、ということです。
 「開山」とは、単に山頂に登った、ということではありません。また、観光の山として開発したワケでもありません。白山火山は四十万年前から活動しており、現在の山頂部は、ここ数万年の活動で形成されました。加賀の白山本宮(現在の白山比メ神社)は崇神天皇7年(紀元前91)の創建、石徹白の白山中居神社は景行天皇12年(83)の創建と伝わります。太古から、人々は白山を拝んできたのでした。泰澄大師は、白山の本地仏として御前峰に十一面観音菩薩、別山に聖観音菩薩、大汝峰に阿弥陀如来を祀り、み仏が私たち日本人に合わせて日本の神々の姿で垂迹した、とする神仏習合の「白山三所権現」を開いたのでした。それは、観音菩薩の「普門示現」の慈悲行であり、神と仏の共生の道であり、神と神との共生の道であり、人と人との共生の道に他なりません。
 明治元年(1868)の神仏分離令、その後の廃仏毀釈により、白山開山以来千百五十年に渡って祀られてきた白山頂の本地仏は、下山させられました。山中や山麓には、破壊されたり売られた仏像もあったことでしょう。御前峰・別山・大汝峰に祀られていたみ仏は、山麓白峰の林西寺・白山本地堂に安置されております。
 白山開山千三百周年に向けて、様々な観光促進のイベントが企画されているようです。千三百年目だけでなく、毎年続けられている行事・毎日続けられている祈りがあってこその千三百年だと思いますが、この機に提案したいことがあります。
 白山の本地仏が下山させられてから、およそ百五十年。ご神体も本地仏の化身でありますから、神像も仏像も一つのものの無限の現われに他ならないのですが、白山開山千三百年に合わせ、山麓に避難している本地仏の山頂への帰還を検討していただきたいのです。かつては背負って山を登り下りしなければなりませんでしたが、今ではヘリコプターを使えば可能なはずです。千三百年目だけの期間限定なら、神社側としても問題はないでしょう(次の千四百周年までには、本地仏が山頂にお戻りになっているかもしれませんが)。泰澄大師が千三百年前、白山に開いた三所権現を元の場所に戻し、泰澄大師の遺徳を偲び、神と仏に世界の平和を祈り、誓うことこそ、白山開山千三百周年に相応しい行事であると思われます。
 また、白山麓の越前・加賀・美濃三馬場を始めとする白山神社においても、本地仏を祀っては如何でしょうか。白山麓の山間部には、今でも拝殿の後ろに本地仏が祀られている社があります。明治の神仏分離以降「白山神社」と呼ばれている社の多くは、それまでは「白山権現」と呼ばれていました。白山頂と同様、白山三所権現の本地仏が祀られていたことでしょう。本地仏のお像が既にない神社には、新たに本地仏を奉納されることをお勧めします。白山開山千三百周年に向けて、さらに千四百周年・千五百周年に向けて、提言いたします。

南無白山妙理大権現         順昭


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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝