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長瀧寺~桧峠~毘沙門岳~三ノ宿巡拝

 4月10日、白山美濃馬場中宮長瀧寺より、白山美濃禅定道を旧桧峠まで登り、峠から白山鳩居入峯行者の尾根を縦走して長瀧寺へと戻りました。
 朝5時に長瀧寺に参拝し、長良川沿いの国道を歩いて前谷へ。



毘沙門岳を遥拝し、前谷白山神社に参拝しました。



これから登ってゆく古禅定道の床並社を、大正6年に此処に遷したそうです。前谷白山社から車道をしばらく登ると、千人塚がありました。



昔、源平の戦いの際、平家方の戦死者千人の耳が埋められた処と伝えられています。念仏をお唱えし、源平双方の戦死者に回向しました。
 6時、二十刈で車道を離れ、古の白山美濃禅定道を登ってゆきました。棚田の間の静かな道を登ってゆくと、東の山の端に朝日が昇ってきました。



床並社辺りからは、平成5年に白鳥中学校の生徒さん達が整備した山道が続いています。床並社は養老2年(718)、泰澄大師が当地に逗留していた時に疫病が流行し、病難消除の為に白山妙理大権現を勧請した処です。



前年に北陸側から白山に登り、御前峰・別山・大汝峰に白山三所権現を祀った泰澄大師は、美濃側に下って白山中宮を建てています。床並社の建立も同じ頃でしょう。養老6年(722)に大師は長滝(後の阿弥陀ヶ滝)を発見し、中宮の寺号を長瀧寺としています。床並社にて般若心経と白山権現ご真言・ご宝号、泰澄大師ご宝号をお唱えしました。
 苔むした古の禅定道を登ってゆき、右下の樹間に荒倉の滝を拝みました。



斜面にはイワウチワが咲いていました。滝のすぐ上が茶屋峠。お地蔵さまと、江戸時代宝暦年間の石徹白騒動犠牲者の供養碑があり、念仏をお唱えしました。



中の峠を経て7時すぎに旧桧峠着。



峠のお地蔵さまに参拝しました。古の白山禅定道は、此処から石徹白へ下り、中居神社から美女下平へと登っていたのでした。旧桧峠付近からは樹間に石徹白の山々、三ノ峰、そして別山が拝めました。
 今日は此処から、白山鳩居入峯行者の尾根へ。まずは毘沙門岳の登山道を登ってゆきました。山道にはほとんど雪がありません。8時前に雪のないスキー場の上に出、南に毘沙門岳を遥拝。



毘沙門岳へと登ってゆき振り返ると、左下の石徹白の集落から奥へ、美女下平、鍋倉平、銚子ヶ峰、一・二・三ノ峰、そして別山、御前峰へと続く美濃禅定道と、右側の大日ヶ岳から左奥へ、芦倉山から銚子ヶ峰へと続く鳩居行者の尾根が見渡せました。





泰澄大師は此処から白山までの峰々を遥拝し、尾根伝いの行者の道と、川筋から尾根へと登ってゆく美濃禅定道を開いたのかもしれません。8時半に毘沙門岳に登頂、白山に向かって観音経を読誦しました。
 毘沙門岳から南側には西山、その左奥に三ノ宿、背後には滝波山・美濃平家岳・平家岳の三山を遥拝。



めがねストラップと手袋を着用し、藪の中へと突入しました。背丈をはるかに越える、物干し竿のような笹が密生しています。しばらく谷の残雪を下り、左手の尾根に取り付いて鞍部へと下ってゆきました。



尾根から下った処には、西側から新しい林道が上ってきていました。林道終点には軽トラが1台。近くに人は見当たりませんでした。藪中を、多和ノ宿跡を探して徘徊。見つからないのであきらめ、西山方面へ登ろうとすると、草刈り機で藪を刈っている方がいました。林道終点から先の藪や樹を刈っているようです。「遺跡」のことを尋ねると、場所を教えてくれました。林道に戻って少し下の方に、多和ノ宿はありました。



立派な案内板もできています。もし、独りで草刈りをしている方に出会わなかったら、此処に参拝することはできなかったでしょう。神さまのお告げでしょうか、仏さまのお遣いでしょうか、藪まで刈ってくださり、本当に有難いことです。私の如き者が白山の古道を巡拝できるのも、この方や白鳥中学校の生徒さんはじめ、地元の方々の不断のご尽力があってのことであるのを、忘れてはなりません。多和ノ宿にて般若心経、多和ノ宿本地・毘沙門天ご真言、白山権現および泰澄大師ご宝号をお唱えしました。案内板は林道が延びて昨年立てられたとのこと、それまでは地元の人でも多和ノ宿の場所が分からなかったそうです。
 藪漕ぎ覚悟で西山へ。幸い、西山の北側斜面には残雪があり、残雪を伝って山頂部へと登ることができました。



11時に登頂。毘沙門岳の後ろに大日ヶ岳、その左に芦倉山、丸山、白山へと続く山々を拝み、多和ノ宿から神鳩宿までの鳩居行者宿の本地仏ご真言、および白山三所権現ご宝号をお唱えしました。



残雪上に正身端坐。山上ではウグイスが題目を唱え、下の方からは先ほどの方の草刈り機の音がのどかに聞こえていました。一昨日は、お釈迦さまの誕生日。うっすらと見えている白山三ノ峰と二ノ峰の間には、かつてお釈迦さまの誕生仏が祀られていました。ウグイスの声も草刈り機の音も皆、お釈迦さまの法を説いていました。


 40分程して坐を立ち、山頂から南へ藪を漕いで10分程下ると、作業道に出ました。作業道から南東に三ノ宿(三角点)を遥拝。



西山と三ノ宿(三角点)の鞍部のどこかに、三ノ宿(行場)はあったのでしょう。作業道を経由して13時前に三ノ宿三角点登頂。毘沙門岳の後ろに白山が拝めました。白山は午前よりうっすらとしています。



耳を澄ますと、多和ノ宿から草刈り機の音。北風が涼しいです。三ノ宿の本地仏は阿弥陀如来。念仏をお唱えし、東日本大震災の犠牲者と、広島・長崎原爆死没者に回向しました(ちょうど、広島でG7外相会合が開かれていました)。南東には、二ノ宿方面が望めました。



 白山に投地礼をして13時半に下山、三ノ宿から東へ藪の尾根を下り、沢を渡って二ノ宿方面への尾根に乗りました。尾根上は雪がなく藪ですが、物干し竿のジャングルに比べれば歩きやすいです。東の樹間に長滝の道の駅(白山文化博物館)が見下ろせました。



この尾根上のどこかに、二ノ宿があったはずです。般若心経と二ノ宿本地・釈迦如来ご真言をお唱えしましました。



カモシカが谷を駈け下ってゆきました。
 1116mピークを下った鞍部で林道を横切り、尾根を南へ。長瀧寺入峯堂へ下るには、途中のピークから尾根を北東~北へ下るのですが、並行する一つ手前の尾根を下ってしまいました。下ってゆけば左下に現われるはずの一ノ宿は現われず、林道が現われました。しばし林道をさ迷うと自分の位置が判明し、16時すぎに一ノ宿に参拝しました。



目的のルートを歩むばかりでなく、別のルートをさ迷うことも大切な勉強になります。迷うこと・間違えることによって、慢心や我執が止められ、大自然・神仏との一対一の対話の中で、より正しい見方が得られるようになります。一ノ宿本地・不動明王と白山妙理大権現、泰澄大師のお導きを感謝し、投地礼しました。
 一ノ宿から後ろの尾根に上って下り、林道を横切ってイワウチワやタムシバの咲く尾根を降下。



右下の谷に下り、17時に桜の花咲く長瀧寺に下って入峯堂・薬師堂・大講堂・白山三社、そして鳩居入峯の起点・金剛童子堂にお参りし、無事に巡拝させていただけたことを白山権現と泰澄大師、そして地元白鳥や石徹白の方々に感謝しました。




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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝