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安久濤淵~奥獅子吼山~宿ノ岩等巡拝

 4月20日朝5時、白山市吉野の御仏供杉に参拝。


肥後出身の禅僧・大智禅師は元から帰国後、正中3年(1326)頃に当地に祇陀寺を開山されました。元徳2年(1330)肥後の菊池氏の請を受けて当地を去る際、逆さに挿した杖がこの大樹となったそうです。鎌倉時代末期の動乱の世、大智禅師が菊池武時公に教誨したと伝わる法語には、生死の無常迅速であること、生死の路頭において主宰となるには、端身正坐して心に何事も思わず、坐禅に参得することが大事であること、順境にあっても逆境にあっても長遠の志を堅持するのが仏道であること、生死の根本は「我」であり、仏道を行じてゆくなら吾我名利の心は自ずと生じなくなること等が説かれています。大智禅師の坐像の前で般若心経、大悲心陀羅尼、大智禅師発願文を読誦し、熊本地震で亡くなられた方々のご冥福と、被災された方々の生活復興を祈りました。


 5時半に道の駅しらやまさん着、手取川の向こうに舟岡山を拝みました。


舟岡山の麓には霊亀2年(716)から文明12年(1480)まで、白山本宮・白山寺がありました。白山加賀馬場の拠点です。石徹白の中居神社の所在地が舟岡山と呼ばれるのは、白山本宮に倣ったものでありましょう。手取川に降りた処が、安久濤ヶ淵です。


養老元年(717)4月1日、泰澄大師は此処で女神の神託を受けて白山に登ってゆき、天嶺で女神の本地の直身(十一面観音菩薩)を感得したのでした。越前側では、女神のお告げを受けたのは伊野原の林泉(平泉寺御手洗)と伝えられていますが、私はどちらも正しいのだと思います。観音さまは、私たち衆生に合わせたお姿で普門示現されるお方です。加賀では安久濤ヶ淵に女神の姿で現われ、越前では林泉に女神の姿で現われ、美濃では大日ヶ岳に大日如来の姿で現われたとしても何ら不思議はありません。それらは、一つのものの無限の現われなのです。
 橋を渡ると、古宮公園がありました。かつて白山本宮・白山寺があった処です。「白山之記」によれば、宝殿・拝殿などの社殿の他、講堂・西堂・東堂・十一面堂(法花常行堂)・鐘楼・五重塔など四十余の堂宇が建ち並んでいました。文明12年(1480)の火災で正殿・塔・講堂・大拝殿・常行堂等が類焼(「白山比メ神社略史」)し、仮に三宮へ遷座、その後三宮が本宮となり、現在の白山比メ神社に至っています。古宮公園には往時を偲ばせるものはほとんどなく、水戸明神の小さな社があるのみです。


般若心経と白山三所権現ご真言・ご宝号、泰澄大師ご宝号をお唱えしました。
 古宮から加賀一の宮駅跡の線路を渡ると、白山比メ神社表参道に出ます。


参道を上って荒御前神社にて本地・毘沙門天ご真言をお唱えし、本殿にて白山権現ご宝号と三宮本地・千手観音菩薩ご真言をお唱えしました。白山比メ神社から南へ進み、樹木公園から奥獅子吼山登山道を登ってゆきカモシカにご挨拶。


山道にはイカリソウが咲いていました。


7時に東の稜線から朝日が差し、カタクリとタムシバの咲く山道を登って稜線に出ました。日が差し、カタクリもようやくお目覚めのようです。


北西に舟岡山や安久濤ヶ淵が見下ろせ、手取川が日本海へと流れていました。


 8時、奥獅子吼山登頂。


南に白山を遥拝し、観音経と念仏をお唱えしました。北西には加賀平野と日本海が広がり、小松空港へと向かう飛行機の音が響いていました。


奥獅子吼山から尾根が南東方向へ続いており、口三方岳の左奥には大笠山、右奥には笈ヶ岳が頭を出しています。


この尾根を、行ける処まで進んでみることにしました。奥獅子吼山頂から少し戻ると南へ下る尾根がありましたが、厳しい藪です。山道をさらに戻った処に板尾方面への山道があり、そちらを下るとやがて尾根に乗ることができました。イワウチワ、カタクリ、タムシバの咲く山道を南へ進んでゆくとギフチョウが現われ、思わず白山妙理大権現に掌を合わせました。


 9時すぎにケカン谷の頭に出、南に白山を遥拝。


山道は此処から南西の尾根に下っていますが、目指す南東への尾根上は厳しい藪。藪に突入しようとも思いましたが、念のため山道を少し進むと、山腹を南東へと下る山道がありました。下ってゆくと、尾根の鞍部辺りに宿ノ岩が現われました。


白山修験の行場があった処のようです。そもそも、宿(しゅく)とは修験道の行場のことです。この辺りで白山寺の行者が修行していたのかもしれません。美濃側には白山美濃禅定道とは別に、長瀧寺から尾根伝いに白山鳩居入峯行者の宿(行場)がありました。越前側には、平泉寺からの白山越前禅定道とは別に丸岡の豊原寺から尾根伝いの行者の道があったようです。加賀側にも、白山加賀禅定道とは別に白山寺などの行者の道があったのではないでしょうか。白山寺から白山までつながる尾根は、奥獅子吼山から宿ノ岩を経て口三方岳~中三方岳~奥三方山~奈良岳~大笠山~笈ヶ岳~三方岩岳~妙法山~間名古の頭~大汝峰と続く尾根の他にはありません。無論、行者たちは白山頂に登ることよりも、広大な白山の山域の中で一心に修行することを目的としていたのでしょう。
 宿ノ岩のすぐ先には「座禅岩」があり、岩上は藪が茂って坐せませんでしたが、岩の下にしばし坐しました。すぐ近くでウグイスが題目を唱え、少し離れた処からはキツツキの樹を叩く音が響いていました。10時すぎに坐を立ち、ギフチョウと共に山道を登り北ノ峰(890m峰)を越えて下ってゆくと、山道は尾根を離れて南へ。此処から尾根は、藪です。藪を漕いで11時前に一つ目のピーク着。イワウチワとタムシバ咲く藪の中から、南に白山を拝みました。


さらに藪の尾根を縦走。藪ではありますが、処々に藪の薄い古道らしきものがありました。


鞍部に下って登ってゆくと残雪が現われ、残雪からさらに藪を登ってゆきました。


 正午に二つ目のピーク登頂。タムシバの樹に上ると、南に烏帽子山の後ろに白山が拝めました。


林藪の中を進むのは大変ですが、林藪の中に坐すと、樹々は天然のパーテーションとなります。また、天然のバリケードにもなります。山で暮らす生きものたちにとって、林藪は心理的に安全な場であることを実感しました。避難所での生活にも、心理的安全性への配慮が大切ではないでしょうか。
 この920m程のピークから尾根は南東へ続き、すぐ南西には921m三角点のピークがあります。12時半に下山、来た藪を戻りました。北西に奥獅子吼山と西ノ谷を望み、一つ目のピークから振り返ると、先程登ったピークと921m三角点の山の間に烏帽子山と白山を遥拝。



藪中の池を経て13時半に登山道に戻りました。


北ノ峰、宿ノ岩を経て14時半にケカン谷の頭着。登ったピークの後ろに口三方岳、その右後ろに笈ヶ岳から白山へと続く尾根が見渡せました。


 奥獅子吼山へと戻る途中、キクザキイチゲの花に白山妙理大権現を拝みました。


15時すぎに奥獅子吼山着。山道を下って白山比メ神社、古宮公園の水戸明神と巡拝し、17時に道の駅に戻りました。かつての白山本宮・白山寺の伽藍配置はよく分かりませんが、白山越前馬場中宮平泉寺と白山美濃馬場中宮長瀧寺は、どちらも拝殿と大講堂が直角方向に並んでいました。白山加賀馬場本宮白山寺も、同様であったのかもしれません。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝