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三方崩山~奥三方岳登拝(日暈)

 5月19日朝4時、白川郷の帰雲城埋没地に参拝。



天正13年(1585)の天正大地震で背後の帰雲山が大崩壊し、帰雲城と城下町は埋没、四代に渡って当地を治めてきた内ヶ島氏は滅亡してしまい、同時に、三百年以上治めてきた郡上を追われて内ヶ島氏を頼っていた東氏も、運命を共にしたのでありました。観音さまの御前で法要を修し、天正大地震および熊本地震、東日本大震災で亡くなられた方々の菩提を弔い、被災地の復興成就をお祈りしました。
 道の駅飛騨白山に駐車し、4時半に出発、三方崩山へと登ってゆきました。5時半前に東の山の端より朝日が差し、主稜線に出て新緑の山道を西へ、一心に登ってゆきました。6時すぎに崩れたヤセ尾根に出、奥に三方崩山を遥拝。



南西には別山の白い頭が拝めました。尾根から振り返ると雲を纏った御嶽山、南東には御母衣湖が望めます。



6時半すぎ、尾根の脇にようやく残雪が現われ、今日初めて雪に触れました。
 三方崩山へと続く、ヤセた尾根。



北東に帰雲山・猿ヶ馬場山、その左奥には三ヶ辻山と、泰澄大師が開いたと伝わる人形山。北北西には大笠山と笈ヶ岳、さらに野谷荘司山・妙法山と連なる峰々を遥拝。



何もしなくても崩れてゆくナイフブリッジを渡ると、三方崩山の背後に別山、その右奥の奥三方岳越しに御前峰・剣ヶ峰・大汝峰が頭を現わし、白山三所権現(御前峰・別山・大汝峰)を拝みました。





 7時15分に三方崩山登頂、めがねストラップと手袋をして西の藪へと下ってゆきました。斜面の笹原から正面に、奥三方岳へと連なる尾根、その左には白水湖と別山。



鞍部は気持ちのよい草原で、北に笈ヶ岳と大笠山を遠望。



南側は崩壊した谷です。



鞍部からの上りはもちろん道はありませんが、笹丈はさほど高くなく、どこから登ろうと随意です。アマツバメが飛んでいました。尾根のピークからは、樹の枝がはびこる藪。尾根の北側の残雪は途切れ途切れで、尾根の南側、崖の縁は藪が薄く、左の崖っぷちと右の残雪を使い分けて進みましたが、結局は尾根上を一心に藪漕ぎして前進しました。



左前方に、白山頂部が間近に見えてきました。


 奥三方岳頂への登りは、藪の尾根ではなく谷の残雪を使いました。残雪を経由して山頂北側へ回り込みつつ登ると、山頂のすぐ西の雪上に出ました。9時に登頂、山頂は藪です。



山頂西の雪上より白山を遥拝。観音経を読誦し、熊本地震と東日本大震災の復興成就を祈願しました。



養老元年(717)、泰澄大師が白山頂の池で念誦を行じていると九頭龍王が現われ、本地の真身を現わすべし、とさらに念ずると、十一面観音菩薩が示現したのでした。「本朝神仙伝」によれば、泰澄大師が阿蘇神社に詣でた際、阿蘇山の池に同様に九頭龍王が現われ、真実を示すべし、とさらに念じていると、夕焼けの池上に金色の千手観音菩薩が示現したのでした。泰澄大師が白山と阿蘇山で九頭龍王の後に本地・観音菩薩を感得した、という伝承は、これらの山が噴火や災害を繰り返してきたことと無縁ではないでしょう。大師が観音さまを祀ったのは、苦しみが起こらない為ではなく、苦しみを乗り越える為であったのではないでしょうか。先月の熊本地震では阿蘇神社の社殿が倒壊し、復旧には十年かかるそうです。被災された方々の生活再建に向けての支援を続けると同時に、精神的な拠り処としての寺社等の再建にも支援が必要です。
 奥三方岳から白山頂を望むと、火山としての姿がよく分かります。



最高峰の御前峰(中央左)はもともと成層火山でしたが、四千五百年前に東側が大崩壊し、東開きの外輪山となりました。二千年前、崩壊した東側に新たに剣ヶ峰溶岩ドーム(中央)が出現しました。大汝峰(中央右)はもっと古い火山体の一部だそうです。溶岩ドームというと雲仙岳の平成新山が記憶に新しいところですが、先月からの熊本地震で長崎県島原半島もかなり揺れており、平成新山溶岩ドーム崩壊の恐れがあるそうです。
 奥三方岳の雪上より、帰雲山の大崩壊跡に掌を合わせました。



天正大地震(1585)は白山周辺が震源とも云われていますが、白山から遠く離れた大垣城や長浜城が全壊し、京都の東寺も被災するなど、とても広範囲な震災であり、先月からの熊本地震と同様、複数の断層が連動して起きたものと思われます。白山に観音さまの大悲心を拝み、10時半に下山しました。
 山頂北の残雪を下ると、下に雪融け水の池がありました。



ふと上空を見上げると、太陽の周りに大きな虹の環が出ていました。



日暈です。南西に白水湖と別山を拝み、三方崩山へと尾根を戻ってゆきました。



三方崩山との鞍部へは、往路に登った笹ではなく谷筋の残雪を下ってゆきました。



谷の途中から笹の海を南へ漕いで、11時半に鞍部の草原に出ました。



ショウジョウバカマ咲く高原の石上で、正身端坐。北から清々しい風が吹き、花の間を黄色い小蝶が舞っていました。草原には、人の心を癒す力があるようです。故郷の町の草っぱらで遊んだ、子供の頃の思い出…。自然は、やさしくも感じられますが、厳しく無慈悲にも感じられます。自然とは移ろいゆくものであり、無常です。私も花も、蝶もハエも、草木も石も、みな移ろいゆくものです。その移ろいゆく姿のまま、私たちはみな、大光明に、大円鏡智に照らされているのでした。中天の太陽には相変わらず、日暈の大円が現われていました。
 正午すぎに坐を立って三方崩山へ登り、帰雲山の大崩壊跡を見下ろしつつヤセ尾根を下ってゆきました。





13時、ヤセ尾根から太陽と日暈を見上げると、日暈の下方、三方崩山の上空に、環水平アークが現われていました。



思わず、光明真言と白山権現ご宝号をお唱えしました。み仏は、私の煩悩・業・苦しみを、愚かさを、常に照らしておられました。私たちの煩悩・業・苦しみを、常に照らしておられました。白山の十一面観音菩薩も阿蘇山の千手観音菩薩も、無量の大光明の反映の一つ、応現の一つに他ならないのでした。
 山道を下ってゆき、沢の水で洗顔して喉を潤し、15時に道の駅飛騨白山に戻りました。帰りに、荘川の道の駅で堅豆腐を買って帰りました。白山麓の堅豆腐の如く、道心堅固ならんことを。

阿蘇神社社殿復旧特設サイト
http://aso.ne.jp/asojinjya/

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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝