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白山前宮・中宮放浪~火定の遺徳

 5月31日朝4時半、白山美濃馬場前宮・洲原神社に参拝。


社前を流れる長良川右岸の河原を、上流へと歩いてゆきました。振り返ると、洲原神社の社叢の後ろに鶴形山。


山頂から北東へずっと伸びている尾根が、鶴の首のように見えます。現在の国道からは、鶴形山は鶴のようには見えません。往古の白山登拝者たちは、洲原神社から長良川右岸の河原を歩いていたのではないでしょうか。
 上河和大橋を渡って長良川左岸へ。5時半前に佐羅早松神社参道入口に着きました。長良川の向こうに、首をこちらに向けた鶴形山を遥拝。


河戸谷を遡って佐羅早松神社に参拝しました。この社は、白山加賀馬場の中宮三社の一つ、佐羅宮(現・佐羅早松神社)を勧請したものと思われます。「白山之記」によれば加賀の佐羅大明神宮(本地は不動明王)は天元5年(982)の創建ですので、それ以降に勧請されたものでしょう。「美濃市史」によれば、「武儀郡神名帳」に「正一位佐羅明神」とあり、当時のこの地域では最も社格が高かったようです。白山三所権現ご真言・ご宝号と、本地・不動明王ご真言をお唱えしました。
 河戸谷を上流へ少し進むと、霊泉寺があります。かつて佐羅早松神社に祀られていた十一面観音菩薩と阿弥陀如来の像は、明治の神仏分離以降、霊泉寺の観音堂に祀られています。般若心経とご真言をお唱えしました。霊泉寺から谷沿いに少し登ると、「郡上道」と書かれた石碑がありました。


郡上街道は現在と同じく長良川右岸を通っていましたが、左岸にも脇道がありました。


古道は山裾を西へゆるやかに上がってゆき、6時に黒地峠のお地蔵さまに参拝。


峠には南西~北東の尾根上に鉄塔巡視路があり、古道は北へと下っています。先ずは、北東へ尾根を登ってみました。スタートとゴールだけ決めて、どこへ行くかは即興で歩くのが放浪の楽しみです。
 20分程で409m峰の鉄塔着、南麓から高速道路の車の音は聞こえますが、雲で展望はありません。来た道を戻って黒地峠に下り、古の郡上道を下ってゆきました。古道は山腹を北へ、トラバース気味に下っていました。イノシシの家族とお会いしました。


鈴をつけました。
 やがて、高速道路の母野トンネル出口の上に出ました。


林道が現われましたが、トンネルの上から西へ急斜面を下り、7時に長良川左岸の県道の通行止区間に着地しました。黒地の集落を通って北へ進むと、右手に石仏が祀ってあるのが見え、その奥には社がありました。


さらに北へ進み、7時半前に「真海道路跡地」着。馬頭観音さまの御前で般若心経を読誦しました。真海和尚は近江の出身、ハンセン病を患い、放浪の末に当地に来られ、絶壁の険路を切り開いて新たな道に造り替えたそうです(井爪謙治「長良川鉄道物語」)。道路が完成したのは安政元年(1854)とのこと。「真海道路」の上に現在の県道が乗っています。河岸の絶壁を降り、真海和尚が道普請をした絶壁に掌を合わせました。


 黒地歩岐の延命水をいただき、真海和尚のご位牌の前で法要を修し、和尚の遺徳を偲びました。さらに進むと、また馬頭観音さまが祀られていました。険しい道で多くの馬が命を落としたのでしょう。絶壁を過ぎ、勝原(かっぱら)の子安神社に参拝。


養老6年(722)泰澄大師創建の四十九社の一つで、大師が子安大明神を祀ったとのこと。十七世紀には円空上人が当社の神仏の像を彫っています。社殿の後ろの「子安の森」には石碑が建っており、見てみると、中央に建っているのは真海和尚の供養碑でした。


念仏をお唱えしました。
 子安神社から長良川河畔へと下り、「真海火定跡」へ。真海和尚は、道路完成の六年後の万延元年(1860)に此処で火定に入り、往生されました。


火定とは焼身供養、つまり、身をもってみ仏を供養することです。「法華経」の「薬王菩薩本事品」に、一切衆生喜見菩薩が師の日月浄明徳仏と法華経を供養するために火定に入り、千二百年燃え続けて亡くなった、とあります。河原に西を向いて正身端坐しました。火定とは、本当の自由への道です。それは、新幹線の中で焼身自殺したり、他人を巻き添えにして自爆する攻撃などとは根本的に違います。ベトナム戦争中、ベトナムの僧侶たちが焼身供養を行ったことについて、ティク・ナット・ハン師はこう述べています。
「かれらは自分の身体をたいまつに変え、ベトナムの人々の苦悩を照らし出した。本当の自由を得た人だけが、本源的次元を深く観ることができた人だけが、このような行動をすることができる。」(藤田一照訳「法華経の省察」)
真海和尚の焼身供養は、和尚の道普請と本質的に同じ心、即ち、大慈悲の心に基づいた行いであるといえます。その灯は、当地の人々を照らし続け、ハンセン病の方々を照らし続け、悩み苦しむ私たちすべてを照らし続けています。
 長良川の水は、樹々を映して緑に、岩を映して白く、只、滔々と流れ下っていました。私が対象をあるがままに受け容れられないのは、私の心が我見や我執、不安や怖れに濁っているからでしょう。無心であってこそ、対象をあるがままに受け容れることができます。心を安定させるには、まず身体(姿勢)を安定させ、次に息(呼吸)を安定させること。正しい坐禅の基本を忘れては、どれだけ長く坐っても無意味であることを、実感しました。
 一時間程して坐を立ち、真海大和尚に投地礼をしました。黒地の真海道路跡へ戻り、往路に古道から降りた処より手前で林道を登ってゆきました。鉄塔巡視路を登り、10時に真海道路の絶壁の上方にある鉄塔着。北に長良川の滔々たる流れと真海和尚火定の地が見下ろせ、掌を合わせました。


尾根をそのまま登ってゆき、494m三角点着。此処から尾根は東へ、水晶山へと続いています。尾根を南西へと下り、往路に登った409m峰の鉄塔へ。雲が晴れ、樹間に鶴形山・高山・母野洞が遥拝できました。11時前に黒地峠に下り、お地蔵さまと今日三度目のご対面。尾根を南西へ登り、342m峰登頂。山頂南の岩場に出ると南~西の展望が開け、目の前に鶴形山から高山、さらに母野洞の山並。


眼下を長良川が流れていました。


342mピークから一旦尾根を戻り、鉄塔巡視路を西へと下ってゆきました。大師像に参拝し、母野(はんの)の白山神社へ。


養老年中、泰澄大師が母君と当地に来られた際、人家がなくて野宿をされた所と伝えられています。境内は山からの風が涼しく、一休み。ふと見ると、指にヒル君がいました。叢には蛇さんがいました。昔の人たちの野宿は、大変だったことでしょう。母野から長良川に架かる橋を渡り、橋の上より北に、歩いてきた尾根を遥拝。


対岸の木尾(こんの)にも立派な白山神社があり、参拝しました。


「白山前宮」とは、もともと洲原神社だけではなく、近隣の佐羅宮や母野・木尾の白山宮なども含めたものであったのかもしれません。木尾から南へ古の郡上街道を進むと、叢に馬頭観音さまが祀られ、裏には滝があり、美しいオオミズアオが草にとまっていました。


この辺りは郡上郡の南端にあたり、番所があったそうです。江戸時代、郡上の南隣の武儀郡の大半は、尾張藩領でありました。
 長良川鉄道母野駅から西の谷筋の林道へ入り、鉄塔巡視路を登って鶴形山へ。コアジサイが綺麗でした。


山頂から洲原神社奥の院の奥御前社跡・大御前社跡・別山社跡に参拝。風が爽やかです。かつては、奥の院に白山三所権現の本地仏が祀られていたのでしょう。14時に下山して不動の滝に下ると、水量が少なく、程よいシャワーを浴びました。慈光寺に参拝して14時半に洲原神社へ。慈光寺は禅宗の寺ですが、かつては洲原神社の神宮寺が何処かにあったのかもしれません。
 翌6月1日早朝、白鳥の薬王山正法寺で参禅。西澤管主は、財産よりも、祈りを相続することの大事を説いておられました。正法寺テレホン法話 0575-82-4321 お聞きください。
 坐禅会後、白山美濃馬場中宮長瀧寺に参拝し、戦国時代16世紀に長瀧寺の敬愚比丘が焼身供養を行ったという山に登りました。長瀧寺から対岸に渡り、御坊主ヶ洞の急峻な山道を登ること20分。大岩壁の下に供養塔が現われました。


陰暦6月1日、敬愚比丘は此処で火定に入られたのでした。「長瀧寺真鑑正編」によれば、大永・享禄(1521~1531)の頃のことのようです。岩壁は西を向いており、敬愚上人は西面し、念仏を唱えつつ焼身供養を行じたのでした。供養塔には、阿弥陀如来の種字。法要を修し、岩壁の下にしばし正身端坐しました。爽やかな風に、妄想が吹き払われるのを感じました。
 大岩壁の上へ鉄塔巡視路が続いており、登ってゆくと北に大日ヶ岳、西には毘沙門岳・西山・三ノ宿などの山並が拝めました。


さらに北へ進んで一つ下の鉄塔まで下ると、北は大日ヶ岳から南は二ノ宿辺りまで、白山鳩居入峯行者の尾根を一望。


大日宿(大日如来)、国坂宿(十一面観音菩薩)、多和ノ宿(毘沙門天)、三ノ宿(阿弥陀如来)、二ノ宿(釈迦如来)の本地仏ご真言をお唱えしました。焼身供養の火煙は、これらの行場からも見えたことでしょう。上人が斯様な山中で火焼三昧に入られたのは、戦国乱世の人々の苦しみを、より多く照らすためであったのでしょう。それは、み仏への、仏法への、白山妙理大権現への供養であり、白山に帰依する者を照らし続ける、大菩提心の灯です。約五百年前のこの灯を、五百年後、千年後へと相続してまいりたいものです。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝